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空港の中のカフェに入ると、つい先程別れたばかりの彼の姿があった。お菓子の入った紙袋と、玩具の入ったビニール袋を鞄の脇に置き、新聞を読みながらこちらに手を振る。私はそちらへ足を向け、彼の向かい側に荷物を降ろす。
「まだここに居たんですね」
彼は笑顔でそう言う。貼り付いた笑顔。本心から出るのではない笑顔。彼がその表情を崩すのはベッドの上だけ。それを知っているのは、かつては奥さん。そして今は私だけ。そう思うと少しだけ優越感があった。
「バスが出るまで時間があるので」
そんなことはおくびにも出さず、当たり障りのない答えを返す。彼が財布を手渡そうとするのを遮り、自分の鞄の中から財布を取り出す。他人の亭主にお金を出させるほど、私は図太くない。他人の亭主と普通の恋人のように談笑するほど、私は図太くはない。まるで自分に言い聞かせるかのように、幾度も心の中で呟く。
「なるほど。僕は一服してから帰ろうかと思いましてね」
そう言って彼はブラックコーヒーに手を伸ばす。骨ばった指の関節。ジャケットで隠れたその先を辿ると先ほどまで抱かれていた、たくましい腕がある。それを想像するだけでつい数時間前までの行為が脳裏を過ぎる。これ以上余韻を思い出すまいと、私はその手から目を離しレジへと向かった。
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