桜宮天音の日常

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桜宮天音の日常

 やっちゃったやっちゃったやっちゃったやっちゃったやっちゃったやっちゃったやっちゃった、やっちゃった……。  わたしは放課後の誰もいない廊下を走り抜け、自分の教室へと駆け込んだ。  後ろ手でドアを閉め、ズルズルとその場へとしゃがみこむ。膝を抱えて小さく丸まり、顔をうずめた。  ——なんであんなことしちゃったかな。  わたしは生徒会室での出来事を思い出してはため息をつく。言葉ではうまく表現できないほど、いろいろな思いが混ざり合っている。  呼び出され職員室へ行ったはいいものの、正直先生の話を全く覚えていない。  明日改めて聞きに行かないといけないほど、わたしの心は絡まった糸のようにぐちゃぐちゃになっていた。  自業自得なんだけど——。  わたしは自分のしでかしたことを思い出しては、もう何度目かもわからないため息をつく。  そしてスマホを取り出して、ほぼ履歴が同じ名前で埋まっている人物へと電話をかけた。数コールの内に呼び出し音が切れて、聞き慣れた声が耳元へ届く。 『どうした』 「今電話大丈夫?」 『大丈夫だから電話出たんだろうが』  ——ごもっともで。 「ちょっと相談事があります……というか事後報告です」 『それ、俺が聞いてイイコトありそうか?』 「そんなこと言わないで聞いてよ、パパ」 『……なんだ、言ってみろ』  電話越しにでも聞こえるため息と、至極面倒くさそうな声音に、少し——結構心が折れそうになる。が、こんなこと相談できる相手はパパしかいない。  わたしはゆっくりと、つい1時間ほど前にあったことを訥々(とつとつ)と語った。 ✳︎  まあ、わかってはいたけれど……予想通りのパパの反応にある意味安心した。 『お前は本当に母ちゃん似だな』 「——怒ってる?」 『呆れてるわ。頭と顔の良さだけ似ればよかったのに、どうしてその後先考えずに行動するところも似たんだよ……」 「ママも同じこと言ってる。『パパの慎重さが似ればよかったのにね』て」 『お前ら頭いいんだから、少しは考えて行動しろよ』 「いつもはそうしてるよ……だけど、なぜだかあの時はそうしてしまったというかなんというか」 『……あれだけ九条の坊っちゃんには気をつけろって言っててこれだもんなあ』 「すみません……」 『まあ遅かれ早かれわかることだろうからな』  パパは「めんどくせえなあ」とひとりごちている。そしてガチャガチャと何かを探しているようだった。 「何か探し物?」 『あーまー……そんなところだ』 「あとでお店寄るから探すの手伝うよ」 『しばらく来なくていいぞ』 「なんで」 『……たった今、九条の坊っちゃんから連絡来たから、今日は来るな。まあ、明日明後日にはお前も来ることになるだろうけど』 「——あれからまだ1時間くらいしか経ってないけど」 『そういう家だろう、九条家は』  パパはまた「めんどくせえなあ」と呟いた。そのめんどくせえ理由を作ってしまったのはわたしなので、本当に申し訳ない……。 「じゃあ今日、3人でご飯もナシ?」 『あーそうだな……キャンセル。母ちゃんにも言っとけ』 「わかりました」 『まったく……お前もなあ。どうしてコッチ方面に興味持つかなあ……』 「それはパパとママの子どもだからじゃん?」  パパは黙り込み、そしてため息をついた。多分だけど、パパはきっと頭をかきむしり、タバコに火をつけて苦笑いを浮かべていると思う。 「じゃあ、また今度行く」 『そうしてくれ』 「パパも、もし早めに仕事終わったら家に来てよね」 『行けたらな』  そこまで言って唐突に切られた電話を眺めて、わたしはため息をついた。  ——もうバレてしまった。  まあ、それもそうだ。九条くんではやりかねない、そんな御家柄だ。  わたしは色々と諦めて立ち上がると、スカートについた埃をはたき落とす。そして夕日差す廊下を歩き始めた。  つい1時間ほど前まで一緒にいた、九条くんの姿を思い浮かべる。  九条くんが纏う凛とした空気感は、どこか異質で人を寄せつけない何かがある。それは何物にも侵食されない、不可侵領域みたいなもの。  彼のひとつひとつの所作は指先まで洗練されていて、もはや人外なんじゃないかと思わずにはいられないほど、崇高な何かに思えて仕方がない。  そんな九条くんにどうしてあんなことをしたのか。どうしてか、と聞かれても『そうしたかったから』としか言えない。  少しオレンジがかった西陽をうけた九条くんの姿は神々しく見えて、ワイシャツのボタンを外してクリアファイルで扇ぐ、その姿がとても綺麗だったから。  その神々しい姿とは裏腹に、背中には極彩色の鳳凰をたずさえる九条くんのアンバランスさが、わたしの好奇心を煽った……のかもしれない。 「——九条くんの鳳凰は、本当に綺麗だったな」  大の大人でも呻き声のひとつやふたつあげるのに、九条くんは施術中、一言も声を発しなかった。  とても痛かったはず、痛くないわけがない。  長丁場になっても、皆が痛がる箇所の施術でも、決して微動だにしなかった。ただひたすらに沈黙を貫いていた。  出来上がった刺青は、パパの腕もさることながら、デザインといい発色といい、九条くんにとても似合っていた。  細身の身体の背中一面に彫られた鳳凰は、歓喜の声をあげているかのように躍動して見えた。しばらく見惚れていたくらいに、美しく綺麗だった。  そんな九条くんの姿を見て、ピアスを開け始めたなんて言ったらなんというだろう。  自傷行為とまでは言わないけれど、自分の身体に傷をつけていく行為に、少なからずの背徳感と自己欲求を満たそうとする自分がいる。  今のわたしではない、もう1人のわたしを求めているんだと思う。  わたしは手をそっと自分の耳へ伸ばす。ポコポコとした穴の感触を確かめるように指を這わせた。凹凸のないつるりとした肌触りの箇所を見つけて1人微笑む。 「次はココに開けようかな」  学校での、優等生のわたしは好き。勉強も運動も好きだし、先生やみんなから慕われて頼りにされると嬉しくなる。  そして、高校のみんなには見せないもう1人のわたしも好き。クロムやシルバーのピアスにネックレス、リングを付けて夜の街を歩く高揚感がたまらない。   「……とりあえず、なるようにしかならないよね」  わたしはぐっと伸びをして肩の力を抜く。  とりあえずパパとのご飯が中止になったことをママに伝えて、2人でご飯を食べに行くことにしよう。 「——もしもし、ママ?」  夕焼け色に染まったわたしは、黒く長く伸びた影を纏いながら学校を後にした。  これからはもう1人のわたしの時間だ。眼鏡を外し、髪をひとつにまとめる。 「気分は夜の蝶? なんてね」  クロムハーツとシルバーのピアスを1つずつ付けながら、最後に最近お気に入りのバタフライピアスを付ける。揺れるグラデーションのガラスパーツの煌めきを残しながら、夕闇の街へと歩いていった。
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