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中の人
自動販売機の中は思ったほど不快じゃなかった。座った姿勢のままだし、背伸びもできないけれど、体の当たりそうなところにはクッション材が貼り付けてあるし、通気もちゃんとしていて息苦しくはない。それに、設置場所は屋内だから、暑くも寒くもなかった。
しばらくするとスーツの男が前に立ったのが小さな覗き窓から見えた。男はボタンを押し、同時にカードを読み取り部にかざした。私は料金の引き落としを確認後、その銘柄の飲み物の瓶を、横に積み重ねてある冷蔵ボックスから取り出し、転がして出した。
四十時間の労働刑。これが判決だった。この国に観光旅行に来て二日目、ちょっと羽目を外しすぎてしまった。それはこの国では違法であり、軽犯罪に相当した。
一日八時間。休憩、食事、トイレは自由だが、それは刑の時間からは除かれる。足首に取り付けられたリングが看守だった。
自動販売機の中で機械の代わりに働く。それに何の意味があるのかわからないが、この国の人々はそれを刑としているのだから仕方ない。
話しかけてくる人はいない。中身が機械だろうが人だろうがどうでもいいようだった。こっちからも話しかけない。別に禁止事項にはなっていないが、自動販売機はなれなれしく話してはいけないんじゃないかと思ったからだった。そういえば、こうなるまで私も気にしちゃいなかった。
今日で四日目。明日で終わりだ。一日の労働が終わるたびに大使館の人が待っていて、身体に異常はないか、気分が悪くはないか確認してくれる。明日、刑が終わると同時にその人の付き添いで出国し、日本に帰る予定だった。
それにしても暇で暇でしようがない。朝と昼時にまとめて売れると後は一時間に一本出るか出ないかだ。本や電子機器など私物の持ち込みは許されなかったので、ただただぼうっと座っているしか無い。かといって休憩に出すぎると刑が終わらない。
私はあたりを見まわす。もう何百回もそうしたが、変わったものは何もない。パネル類、覗き窓、冷蔵ボックス、空調設備、照明、クッション材。
肩が凝ってきた。狭い空間で手足を順に伸ばしてほぐす。このコツは一日目で身についた。
しかし、今日は失敗してしまい、伸ばした腕がボックスにあたり、ずらしてしまった。
おっと、と思い、直そうとした時、ボックスの裏のクッション材が剥がれかけているのが目に入った。あれは何だ? 文字か。英語らしい。
顔を近づけてよく見ると、クッション材に親指の爪ほどの金属のかけらが差し込んであり、それで内壁の金属板を引っ掻いて書いたようだった。
大した内容ではなかった。私と同じく羽目を外しすぎた旅行者で、四十時間の刑も同じだった。ただひとつ違うのは、金属片を持ち込み、引っ掻いて一日目の午後から記録をつけていた事だった。
私は退屈しのぎになるかと思い、クッション材をめくりながら読んでいったが、すぐに失望させられた。衝撃的な事はなにもなく、退屈を訴えてばかりだった。
けれど、五日目、最終日の記載だけが違っていた。正確な文章は思い出せないが、大まかには、刑が終わるのを残念がっていた。ずっと自動販売機の中で誰とも話をせず座っていられたら、と書いてあった。
他にも書いたものがないか探してみたが、それっきりだった。名前など個人的な情報もなかった。私はめくったクッション材をできるだけきれいに元に戻し、ボックスをきちんと直した。
その日、粗末なベッドで眠りながら色々と考えた。明日で私の刑は終わる。帰国は嬉しい。
でも、あの旅行者の五日目の記載が気になった。ずっと自動販売機の中の人でいたいという願い。一時的な気の迷いかもしれないが、たとえ一瞬であれそう思ったのには違いない。
明日、私もそう思うようになるのだろうか。
五日目の夜。自動販売機から出るといつもの大使館の人が待っていた。荷物はすでに車に運び込んであり、確認して署名をすると、そのまま空港へ向かった。
結局、私はあの記録の主のように残念に思う事はなく、単純に刑の終わりと帰国を喜んでいた。
帰国後、心配をかけた家族や友人、知人に詫び、元の生活に戻ってしばらくたった頃だった。散歩中に自動販売機で飲み物を買った時、中に人がいるんじゃないだろうかと感じ、すぐに苦笑した。
日本のは小型化が進んでいる。奥行きもなく、人なんか入れない。
残念な事だ。
私はため息をついた。
了
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