美女に目覚めた無双の剣豪

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 これは女の浅知恵とか女の猿知恵とかいった言葉が罷り通っていた江戸時代の飛び切り腕の立つ佐久間寅之助という侍が武士道の智の心で洞察した女に対する見解である。そこの所を念頭に置いて読んで欲しい。 「女は概して男に比して膂力が無いのは素より愚図でのろまで動き同様、頭も鈍く大した法螺は吹かないが、本当のことも言わず、頭の先から爪先まで秘密まるけにしておいて、その癖、その謎というのが深い意味が有るかと言えば、皮相浅薄だから他愛もないもので勘が良いというのも怪しいもので、ほぼ下衆の勘繰りと思って間違いなく、また繊細かと言えば、そうでもなく意外な程、図太く厚顔無恥で、おまけに妙に勝ち気で欲張りで食い気が物凄く我儘でイライラしやすく、かと思えば意味もなく馬鹿笑いするし、心にもないお世辞を平気で言うし、お追従笑いは日常茶飯事で、それというのが畢竟、媚びるのを常套手段としているからで富と権力に弱いのは言うに及ばず、自制心も弱い故、泣き虫で逆に虚栄心は強い故、見栄っ張りで序に言えば、どんな不細工でも己惚れやすい。」  これを読めば分かる通り寅之助は女を甚だ軽蔑している。それに女嫌いで人間嫌い。而も狷介不羈の魂を持っているから現代社会同様何かと束縛を受ける封建社会に於ける組織にいるのが嫌で脱藩、知行を失って浪人となり、ちびちびこせこせと仕事しながら長屋に住まうのは常に人間と接しないといけないから、それも嫌だというので自分の腕を活かして斬り取り、即ち人を斬って金品を奪う悪業で糊口を凌ぎ、住まいはと言うと、隠遁生活をしようと山中に小屋を作って住まうこととなった。そして居酒屋で痛飲するべく町へ出る時は態と平生よりみすぼらしいなりをして庶民の冷笑的な視線を浴びて胸中に蟠踞する慷慨を飽和状態にして、それを爆発させ斬り取り稼業に精を出すのだった。それこそどいつもこいつも俗物だと言わんばかりに・・・  この生活は人間嫌いで束縛を受けるのが真っ平御免の寅之助にとって持って来いと言って良かった。しかし、心は荒むばかりだった。やっていることが単独行動だから山賊とは言えないものの殺人鬼とも強盗ともならず者ともごろつきとも無法者とも無頼の徒とも言えるのだから然もありなん。  そこで寅之助はちょっと善を為そうと思って山賊が巣食う山塞がある山の麓辺りへ風来坊よろしくやって来た。狼藉を働く山賊を見つけたなら皆殺しにしてやり、序に金品を横取りしてやろうと思いついたのだ。  しかし、中々そんな機会に巡り合うことはなかった。で、しょうがないから金が足りなくなれば、街道筋や山道で斬り取りをやって人気のない所で野宿するのだった。  しかし、到頭、孟夏に入った或る夕暮れ前、辻斬りでもしたいような欲求不満な気分で郊外の海鼠塀が続く川沿いの道を歩いていると、北西へ二十間程離れた森の方から若い女と思われる黄色い悲鳴が響いて来て尚且つ四五人の男の騒ぐ奇声やら怒声が聞こえて来たので、これはと色めき立った寅之助は、一散にそっちへすっとんで行った。  すると森蔭で武家娘風の女が盗賊風の五人の男に今にも手籠めにされようとしていたから寅之助はこれは山賊に間違いない!こいつらをやっつければ娘を助けることにもなる!俺が善を為す俺が善を為す一石二鳥だと意気込み、深編笠を脱ぎ捨てると、意気盛んに息巻いた。 「おい!貴様ら!束になって独りの女に襲い掛かるとは卑劣千万なり!それより俺に束になって掛かってこい!その方が幾らか男らしいぞ!」 「何を!」と一人の山賊が向きになって寅之助の方へ振り向くと、他の山賊も釣られてそうした。 「ハッハッハ!やはり揃いも揃って悪党面だな。どうだ!やるか!」と寅之助が煽り立てると、山賊たちは刀を抜いて忽ち寅之助を取り囲んだ。 「ハッハッハ!やはり一人では適わぬと見たか。一網打尽にしてくれるわ!さあ、かかって来い!」と寅之助が吹っ掛けると、山賊の一人が匹夫の勇を揮ってがなった。 「何、抜かす!こいつは俺だけで沢山だ!野郎ども下がってろ!」 「おう、お前が頭目か、よし」と寅之助は気合を込めるように言うや、居合の構えになった。その刹那、頭目が機先を制して斬り込んで来た。一回太刀がかちあう鏘然たる音がしたかと思うと、頭目の刀を払い飛ばした寅之助は、業物を右から薙ぎつけ、唸りを上げる刀身は頭目を一瞬にして腰車にしてしまった。その切れ味は物凄く人間が物の見事に真っ二つになったのと血煙を上げて四方に飛び散った血潮が自分たちの目の前まで及んだのを目の当たりにした子分たちは、悲鳴を上げて震え上がって一目散に逃げようとしたが、寅之助の走る勢いも物凄く、剰えひらりひらりと舞い踊るが如く斬りつける寅之助にばったばったと撫で斬りにされてしまった。  刀を袈裟に振り下ろし、血ぶりをして納刀し、「全く何の張り合いもない相手にもならん情けない雑魚どもであった!ハッハッハ!」と高らかに笑う寅之助。浪人に身を窶すも一騎当千の荒武者。旗本クラスを殺めた時に失敬したものか金銀をあしらった立派な大小腰に差し総髪着流し中肉中背武骨な風采ながらその猛々しさたるや強者を慕う女を魅了せずにはいられない。寅之助に瞠若たらしめられた武家娘は、思い出したように衣紋を繕いながら科を作って寅之助に近寄った。 「危ない所をお助けくださり誠に忝く存じます」  顔が恐怖の色でまだ青みがかっているとは言え、なんと凛とした態度。それより何よりなんと美しいことか。未だ嘗て見たことがないそのどんな景勝をも引き立て役に回すような柳腰の﨟たけた佳人を間近に見て寅之助は強姦する気も追いはぎする気もゆめゆめ起こらず偏に心を打たれ、目を奪われた。 「礼には及ばんでござる。お見受けしたところいずれ由緒ある武家の令嬢と思われるが、何故、斯様な所でお独りで襲われたのでござるか?」 「はい、私の父上が師範を務める道場が道場破りに遭いまして以来、父上は廃人同然になり、今日になりまして私を手籠めにする為でございましょう、去って行った門弟の内、三名が乱入しまして邪魔となる父上を始め家の者を木刀で打ちのめしておいて私を捕らえようとしましたので私は必死に逃げて参りましたが、この森に身を潜める内、先程の盗賊に襲われたのでございます」 「ふむ、成程。門弟どもは道場破りをされたことで師範が腑抜けになり門弟皆が去ったのを良いことに貴女を前々から狙っていた由で狼藉を働いたのであるな」そう言いながら己の精悍な面構えが崩れるのを寅之助は意識した。こんなことは初めてだった。それは紛れもなく初恋であった。女嫌いである筈なのに今まで会った女とは一線を画す外面の美と内面から溢れ出る武家育ちの矜持を確と感じ取ったのであった。「それにつけてもどんな奴が道場破りをしたのでござるか?」 「はい、大兵の若武者で柳生新陰流柳生亮馬と名乗っておりました」 「柳生でござるか。してみると、これはことによると貴女の父上は若林直良公ではござらんかな?」 「はい、よく御存知で、どうしてお分かりになりました?」 「実は拙者、直良殿と同じく居合流派の一人でござってな」 「そうでございますか。これも何かの御縁でございますね」 「大いにね。ま、それは置いといて貴女も御存知であろうが嘗て上泉信秀公の一番弟子だった直良殿が今は○○藩剣術師範を隠居した信秀公から継承しているが、信秀公の前に○○藩剣術師範だった柳生亮厳の道場を信秀公が訪れ、亮厳の高弟、島田為長を試合で負かして、それが為に柳生家の門弟や○○藩の多くの者が鞍替えして上泉道場に入門した上、柳生は○○藩剣術師範の座を信秀公に明け渡す破目になったから奪還すべく恐らくは亮厳の息子であろう亮馬は道場破りに踏み切ったに相違ないでござる。そしてそれをやり遂げたとあっては同じ居合流派の誼故、拙者是非とも柳生亮馬を叩きのめしたくなり申した」無頼漢に誼なぞあろう筈がない。こう言ったのは下心があったからであった。 「あなた様ならきっとお果たしになりますわ」  ついぞ差し向けられたことがない尊敬の念の籠もった玲瓏たる瞳を麗しく輝かして言う令嬢にのぼせ上がった寅之助は、折しも業物の閃光の如く閃いた。「そうだ!拙者が夢想流若林門下生佐久間寅之助と名乗り柳生亮馬に試合を申し込み勝った暁には拙者が若林道場の師範代になろう。そして新たに看板を立ち上げ、柳生道場に鞍替えした者たちを取り戻してやるのだ!」そうなれば、今の悪しき稼業から足を洗えるばかりか令嬢を娶ることが出来るとそこまで寅之助は思いを馳せていたのだった。転機の訪れを強く感じ取っていたからで、また逸る気持ちを抑えきれず、「まずは拙者の腕を直良殿に見てもらい、入門の許可を得たいでござる」 「はい、それはもう勿論、請け合うでございましょう。佐久間様なら若林道場をお立て直しになるに違いございませんもの!」  そう持ち上げられた寅之助は、深編笠を打ち捨てたまま直良の屋敷へ令嬢と共に行くこととなり、その道すがら会話を交わす内、令嬢の名が萩乃と分かった。武家娘の例に倣って島田髷に結い、緋綸子地に花輪模様が入った小袖姿で歩く彼女は正に俗に言う立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花の百合の花である。で、寅之助は色香を楽しむ人間らしい一面を見せたが、二人の行く手にこっちに向かって走って来る野袴姿の三人の男が現れた。例の門弟三名である。今まで見当違いの方角へ行って探していたのであろう。やっと見つけて駆けつけて来たのだ。萩乃が寅之助にあれが私を襲った悪漢どもでございますと囁いている所へ悪漢たちの内一人が寅之助に向かって叫んだ。 「貴様、何者だ!」 「俺か、拙者、見ての通り萩乃殿のお供を致す者でござる」 「浪人風情が何を抜かす。その方は我ら師範のお嬢様なのだ。お嬢様をお連れ申すぞ!」と悪漢二人が各々強引に萩乃の両手を取ると、「何が我ら師範だ!何がお嬢様だ!何がお連れ申すだ!この謀反野郎が!この助平野郎が!」と寅之助は叫ぶや空手チョップのように萩乃の両手を取る手にそれぞれ当身を食らわせ、痺れて手を離した悪漢二人から萩乃を奪い返した。 「てめえ何をする!」と悪漢二人が同時に叫ぶと、寅之助は悠揚迫らざるもので落ち着き払って言った。 「それはこっちのセリフだ。お前らは成心ありありで萩乃殿を勝手に連れていこうとするのであるからな」 「何をほざくか!おい!」と悪漢一人が呼びかけると、悪漢三人は居合の流儀を無視して早くも抜刀した。「嬢を返せ!さもないと斬るぞ!」 「面白い。やる気か。やれるものならやってみろ」  寅之助が居合の構えになると、萩乃は懐中から懐剣を取り出しながら寅之助の背後へ下がって行った。  寅之助は状況に応じて鋩子が鞘から抜ける瞬間のタイミングをほんの僅かに変え、柄を握る右手で一連の動きをどう纏めるかによって刀身の角度を柔軟に変え、思うままに斬り込むことが出来る。この奥義を極めている上、浮き握りも柄送りも鞘引きも入神の技に達しているから相手は鋩子が鞘から抜ける瞬間まで寅之助がどう出るか全く予知出来ない。而もその後の動きが神速だから相手は冥々の裡に刀下の鬼と化す蓋然性が高い。だから三人一遍に掛かって来ても一人と対するが如く一気に三人片づけられる。この時も寅之助は機先を制すると、一人目を斬り上げ、二人目を袈裟懸けにし、三人目を水平斬りにして三人纏めて抜き打ちを決めるが如く一瀉千里に仕留めてしまった。  その抜き身は獲物を食い尽くした狼の牙の如く血に濡れている。いつものように血ぶりをして納刀した寅之助に懐剣を仕舞いながら近寄った萩乃は莞爾と笑って言った。 「お見事でございましたわ」  美人に褒められると、こんなに嬉しいものなのかと目から鱗が落ちる思いがした寅之助は、柄にもなく脂下がってしまった。  もう夕暮れ時、若林邸に向かう中、寄り添うように歩く萩乃に対し、矢張り女は男に比べて図々しいと寅之助は照れながら思い、この事実からも男の方が繊細であることが分かるとも思うのだが、早くも恋人同士のようで夕映えする萩乃を一瞥したりして、こうして歩くのもいいものだ、風流な夕涼みよのうと粋人のように浮かれるのだった。  若林邸に着いて見ると、皆がまだ伸びている中、直良だけが起き上がろうとしていた。萩乃を見て、おお、お前は無事だったかと弱々しく呟いた直良に萩乃は今までの経緯を介抱を施しつつ話した。だから直良は寅之助に深く感謝し恩を感じ、また彼から今後の意向を聞かされると、腕を見るまでもないと入門を許可し、自分の体が回復次第、直ぐにも実行させようと思い、翌日、柳生邸へ自分の門弟佐久間寅之助が柳生亮馬に試合を申し込む旨を綴った挑戦状を送り、当日、寅之助を連れ立って柳生邸へ赴いた。目的は勿論、試合に立ち会い勝負を見届ける為だった。  柳生亮馬は亮厳の長男で柳生新陰流の師範代だからこれに寅之助が勝てば、柳生の弟子一堂に会して皆が見守る中、行われるのだから当然こっちへ靡いた弟子たちを取り戻せると直良も思った。そうなれば寅之助の要求通り彼を我が道場の師範代にして萩乃と一緒にさせようとも思った。  果たして直良の願い通りになった。柳生亮馬もまた佐久間寅之助の敵ではなかったのだ。寅之助は一本取った後も残心を取る為に攻撃に早さと切れが増す上、付け入る隙を寸分も与えないから面はおろか胴も小手も打たせない。三本勝負で三本とも2分以内で2対0のストレート勝ち。完璧なる勝利。これを目の当たりにしたからには一同深く寅之助に感服し、直良に至っては自分は隠居し自分の代わりに寅之助を師範にしようと決めてしまった。そして寅之助と萩乃の婚礼は嘸かし盛大なものになるだろうと想像を膨らませるのだった。試合結果を萩乃に知らせ彼女の愛を得た寅之助にしても然りだが、嘸かし現金な者を見ることにもなるだろうと皮肉にも思うのだった。  寅之助は萩乃と結婚し、夢想流の師範となり、佐久間道場を立ち上げ、更には○○藩剣術師範になってからも剣術の修練を怠らず夢想流の発展に努める一方、道場では門弟たちを、△△城では藩主を指南するに吝かでなかったが、普段、近寄りがたい一刻者の様相を呈し、且つ人をなるべく避け、そして萩乃だけを一途に愛したということだ。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!