第三章

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第三章

1 反抗  マリオンが急いで部屋に戻ってみると、当のレイモンドがいなかった。  もう、真夜中過ぎである。トレーニングなどとっくに終わっている時間なのに。  ふうっとため息をついて、久しぶりに棚から酒を取り出す。氷をいれたグラスになみなみと注ぐと、ソファに陣取った。  掛け時計に目をやると、夜中の1時である。  どこへ行ったんだ。もしかして女、いや、男のところだろうか。俺がいないのを幸いに、誰かと過ごしているのか。  ここしばらく、外出するそぶりすらなかったのに。あの憂いを含んだ顔で言い寄れられれば、陥落しないものはいないだろう。しかし、あいつはまだ14歳だ。事件に巻き込まれた? 怪我でもしているのではないだろうか…。  悶々としていると、ドアが開いた。 「あれっ?」  ソファにいるマリオンを見て驚いた声をあげるレイモンドに、マリオンは凍りそうな視線を向けた。 「わたしがいないと思ったら、夜遊びですか?」  立ち上がると、目眩がした。酒がまわっているのだ。そのまま、ゆらりとレイモンドに近づく。 「どこへ行っていたんですか?」  言葉遣いは丁寧だが、冷たい声の響きに、レイモンドが言葉を詰まらせる。 「黙秘ですか、いい度胸ですね」  立ちつくすレイモンドの目前で、マリオンは立ち止る。 「トレーニングはやりました。あ…、朝まで帰らないって聞いたから…」 「わたしが朝まで帰らなかったら、何をしてもいいと思っているんですか?」  しわになった服、くしゃっと乱れた髪に枯れ草がついている。野外で誰かと抱き合っていたのだ。気になって帰ってきたのに、遊んできた様子がありありとわかる。  心がズキンと痛んで…、マリオンは自分を押さえることができなくなった。くそっ!   気が付かないうちに手が出て、バシッとレイモンドの頬を張っていた。  突然だったためか、勢いがあったのか、レイモンドが吹っ飛んで壁にぶつかる。容赦のない平手に頬がみるみる赤く染まっていく。 「どこで、何をしていた!」  教育係の殻を脱ぎ捨てて怒鳴ったマリオンを、レイモンドが唖然とした顔で見つめていた。カッとなって、壁際に身を縮めるようにしているレイモンドに手を伸ばす。  はっとして身構える少年の両手を、マリオンはやすやすと壁に縫いつけた。 「もう一度、訊く。どこで、何をしていたっ!」  ふっと開きかけた口が、ためらうように閉じられて…、レイモンドの美しい顔がしかめられた。そして、いやいやをするように何度も頭を振ると、 「言いつけられたことはちゃんとやった。空いた時間に、俺がどこで何をしようと、マリオンには関係ないだろう」  あからさまに反抗されたのは初めてだ。これまでどんな酷い指示を出しても、文句を言われたことはなかった。 「マリオンだって、好きなことをしてるじゃないかっ!」  苦々しげに吐き捨てられた言葉。  マリオンはショックで目を見開いたのだが、叫ぶなりうつむいてしまったレイモンドにはその表情がわからない。 「わたしが、好きなことを、している、と?」  凍りそうな声音に、レイモンドがビクリと身体をすくめる。 「……、仮にそうだとしても、わたしのプライベート。おまえにとやかく言われる筋合いはない。だが、わたしはおまえの教育係兼保護者です。おまえが、どこで、何をしているかを把握していないといけない。どこで何をしていたのか、言いなさい」  厳しい表情で見下ろすマリオンをチラリと盗み見たレイモンドが、突然、身体を捻って拘束から抜け出した。 「マリオンの馬鹿! マリオンなんかどこへでも行っちまえ。嫌いだ! マリオンなんか、大っ嫌いだ!」  あわてて捕まえようとする手を振り切り、レイモンドは部屋から飛び出した。  バタンと閉じられた扉。マリオンはその扉を呆けたように見つめていた。  レイモンドとのやり取りを思い返してみる。最初はそれほど反抗的ではなかった、と思う。それが…。  俺はどこで扱いを間違ったのだろう。  確かに、レイモンドが言うように、やることさえやって養成所に入ってくれれば、どこで誰と過ごしていようと構わないではないか。自分を納得させようとするが、教育係であろうとなかろうと、保護者であろうとなかろうと、レイモンドのことを何もかも把握しておきたいと思っていた。  女か男か知らないが、レイモンドが誰かと過ごしていると思うとたまらない。見惚れるような笑顔で誰かに甘えているなど、許せないと思う。  しかし。なぜ、許せないんだ…?  まんじりともせずに夜が明けていく。  窓の外が見る間にうすぼんやりと明るくなってきた。  マリオンは窓を開けて、酒の臭いが交じる空気を入れ換えた。  右手には本部の施設と街が広がる。左手奥には、うっそり茂った山。朝陽にとってかわられていく宇宙の星々を見上げて、マリオンは問いかけた。 「俺は、もういらないのか。あいつはこのまま、戻ってこないのか?」  言葉は、誰もいない闇に呑み込まれただけ。  大嫌いだと言う捨てぜりふが、ダダをこねる子どものようだと思いついたのは、ずいぶん経ってからだった。  トゥルルルルル……。  控えめなベルが通信を知らせていた。 「はい」 『済まないなマリオン、朝早くから』  ハワードジム長であった。 「いえ」 『おまえなら起きていて当然の時間だな』 「…はい」 『いつもならトレーニング中だろう?』  レイモンドの面倒を見てやらないのかと文句を言われるのかと思ったら…、ハワードが関係のないことを言い出した。 『うちのトレーナーの一人が大型犬を飼ってるんだ。賢い犬だっていつも自慢しててな。自分の言うことは聞くが、他の人間にはなつかないとかなんとか。本当に可愛いがっている』 「はい…」 『その犬が、帰ってこなかったらしい。時々夜に勝手に抜け出すことはあるそうだが、いつも朝には帰っている。心配だから探しに行くと連絡してきた。だから、ジムの早朝当番に行けないと』 「……それが、何か」  俺に探してくれと? 『それで許可してやった。そいつは、さんざん探し回って、山の中腹にある小さな原っぱでようやく犬を見つけたそうだ。あの山岳コースの半ばあたりの』 「それは……、よかったですね」  マリオンはイライラしてきた。いま、悠長におしゃべりを楽しんでいる心の余裕はない。 『ところが、そいつが呼んでもサリーが来なかったらしい。ああ、サリーというのは犬の名だ。尻尾は振っているが近寄ると唸るんだそうだ。何かを守っているようで…、仕方がないから時間をかけてサリーを宥めたそうだ。  ようやく側に近づくとな、……レイモンドがサリーにもたれ掛かって眠っていたそうだ』 「えっ! 山岳コースで、ですか?」 『そうだ。トレーナーは、サリーが自分よりレイモンドになついているのが(なつかれているか?)相当ショックだったようだ。それはどうでもいいが』    言いにくそうにハワードが続ける。 『また…、追い出したのか?』 「いえ、追い出してなどいません」  マリオンが即答した。勝手に出て行ったのだ。 『そうか? それならいい。昨晩は暗い顔をしていたから、気になっていた。レイモンドが落ち込むのはおまえに叱られたときくらいだろう?』 「暗い顔をしていた?」 『かなり、な』 「……そうですか。わざわざ、ありがとうございます。ご心配をおかけしました」  礼を言うマリオンに、ハワードはあまり叱ってやるなよといいながら通信を切った。    山で犬に守られるようにして眠っていたと。男でも女でもなく、犬だと?  それなら、昨晩遊んでいたのもサリー、なのか? マリオンの肩からふっと力が抜けた。  ふふふふ、ははははっ…。  笑いが込み上げてくる。俺は犬に妬いていたのか?  なぜレイモンドは話さなかったのだろう。俺が犬とのつきあいを禁じるとでも…。  ああ、そうか。あれはサリーが原因か。マリオンはハタと気が付いた。レイモンドが厨房から食糧を盗んだことがあるのを。あの時には厳しく叱った。だから、話せなかったのだ。  強く見えても、レイモンドは子どもである。遊び相手が必要なのだ。甘えられる相手が必要なのだ。抱きしめられることが必要なのだ。  だが、総督から教育係を命じられた俺は、指導に徹しなければならない立場である。  甘えさせてやることも、抱きしめてやることもできない。いや、教育係だからできないというのではなくて。  もし、抱きしめてしまったら、教育係として指導できなくなりそうなのだ。  きっと自分が押さえきれなくなる。レイモンドが軽蔑していたプレスクールの教官や誘いをかける戦闘員たちと同レベルに落ちてしまうだろう。  サリーが犬だったことに、感謝すべきだな。  マリオンは思った。  これが、女や男だとわかったら、何をしでかしただろうと思うと自分で自分が恐くなる。相手を吊し上げていたか、それとも自分の目が届かない時はレイモンドを閉じこめていたかもしれない。はあ。
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