第二章

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6 罰  だが、10分も経つとレイモンドは後悔し始めていた。腕が上がらない。身体が言うことをきかない。それなのにマリオンは、いつも以上に厳しく容赦がない。 「レイモンドッ! もっと集中しなさい」 「はいっ!」 「さっきから、ぜんぜん当たっていない!」 「は、はい…」  腕が震えて、的から外れる弾が増えていた。  限界…だということはわかっていたが、レイモンドが自分から進んで射撃訓練をやりたいと言ったのだ。あっさり許してやるほどマリオンは甘くない。 「レイモンド、おまえは口だけですかっ。……もういいっ! 壁に両手をつきなさい」 「……は、い」 「尻を打ちます」  マリオンの宣言に、レイモンドは泣きそうな顔になった。  この場で罰を受けることになるとは思わなかったのだ。夜の射撃ルームであるから人の姿はまばらだが、隣のブースにはアレクセイがいる。アレクセイの目の前で罰を受けるのはいやだ。  だが、口にしたらマリオンは絶対に実行する。逆らってもムダだと言うことをレイモンドは知っていた。 「…お、お願いします」 「覚悟はいいですね」  冷たい声で言うと同時に、レイモンドの尻に竹刀を振り下ろした。  ビシッ! ビシッ! ビシッ! ビシッ! ビシッ! 「…うっ」 「あと5打!」  ビシッ! ビシッ! ビシッ! ビシッ! ビシッ! 「……ううっ。あっ、ああ〜」  容赦のない打撃に、ぐっと噛みしめた口から声がもれる。ぎゅっと閉じられた瞳から涙がこぼれた。それでも。打ち終わったマリオンに向かって、かすれた声で躾られた通りの言葉を口にする。 「ご、指導、ありがとう、ございました」 「レイモンド。できもしないことを言わない! いい加減にやるなら、やらないのも同じです!」  突き放すような叱責に、レイモンドが珍しく言葉を返した。 「いい加減にはしません。最後までやらせてください!」  マリオンは心に鎧を被せて、これ以上ないほど冷たい視線を浴びせる。  ゆっくりと時間をかけて弾倉ケースを手に取る。その重さを量りながら 「それなら。集中を途切れさせないで、これを撃ち終えなさい」  ゆうに2時間はかかるだろう弾丸の量であった。 「はい……」  決意を胸に的に向かったレイモンドを眺めて、マリオンは小さく頭を振った。今夜はなかなか終われそうもない。  ふと見ると、ハワードジム長とトレーナー、そしてアレクセイがこちらをうかがっているのが見えた。 「マリオン?」  ハワードが呼びかける。 「ハワードジム長、何か? ああ、すみません。ジムを閉める時間ですか」 「それはいいんだが…」 「あの…」 「なんだ、アレクセイ?」 「僕…、初めてみました。あんな…」  後が続かない。レイモンドに罰を与えたのがショックだったのだろうか。生徒が罰を受ける姿など、養成所で見慣れているだろうに! 「レイモンドがうらやましいなどと、言えなくなっただろう?」  戯れ言をいうマリオンにハワードの落ち着いた諫め声。 「やりすぎだ、マリオン。昼からやってるんだから、とっくに限界だ。わかっているだろうに」 「そう、ですね…」 「尻まで叩いて…。無理をさせても身に付かない…」  無理強いしていると思われているのか。 「それは違います。レイモンドが強情でやめようとしないだけです。わたしもそんなにやらせるつもりはないのに…」 「……?」 「あの子は負けず嫌いなんです…、アレクセイの射撃を見たから」 「どういうことですか?」 「君に比べて自分は下手だと思った。もっとうまくなりたいと」 「……」  ハワードが、「そうか」とようやく納得した。 「ははっ、らしいと言えばレイモンドらしい。それにおまえがつけ込んだというところか」 「そうなりますか?」 「彼は射撃を始めてからどれくらいですか」  レイモンドの射撃訓練を見つめながら、アレクセイがマリオンに訊いた。 「そうだな、1カ月ぐらいか…」 「ええっ!」  アレクセイが絶句する。 「身の程知らずだろう? 君と比べるなど傲慢だ、と教えてやってくれ」  レイモンドが絶対に気づくことのない時だけ愛おしそうな視線を注ぐのを見て、アレクセイはマリオンの思いを知る。 「いえ…、1カ月であれだけ撃てるようになるなんて、すごい。僕なんか、物心ついた時には銃を握っていたのに、いまだに教官にアドバイスをもらっています」 「そんなことを言っても、レイモンドには通じない。自分で納得するまでは…、そういう子なんだよ」 「……」  話をしているとレイモンドが新しい弾倉を充填するために手を止めた。ちらりと視線が向けられたのを見て取ったマリオンが 「レイモンドッ、よそ見などせずに集中しなさい!」と注意する。 「はいっ!」 「まだ、時間がかかりそうだな?」 「ええ。基礎トレーニングもやっていませんから…」  アレクセイはえっというような顔でマリオンを見上げる。隣でハワードがはあ、と大きくため息だ。 「この厳しい教育係さんは、射撃訓練が終わった後で基礎トレをやらせるつもりのようだ。レイモンドも可哀想に」 「戸締まりはやっておきます」 「付き合いきれんしな、頼むよ…」 「はい、お疲れ様でした。アレクセイ、君も養成所の寮に戻らねばならないだろう?」 「もう少し、見ていてはいけませんか?」 「何を? レイモンドが叱られるのはそんなに面白いか?」  アレクセイは言葉に詰まる。そんなつもりではない。なぜと問われても答えられないが、レイモンドに目が行くのを止められないのだ。  あの尻を打たれていた場面でさえ、レイモンドには威厳があったと思う。まるで王のような、いや、年齢からいうと王子だろうか。 「彼は…、誰か、幹部の息子さんですか?」 「レイモンドが? いや、あいつはスラム出身だ。親はいない」 「えっ?」 「どうした?」 「……、いえ。彼はどんなときでも毅然としている。教官に叱られていた時でさえ……、僕にはプリンスのように見えました」 「プリンス?」 「はい、生まれながらの風格が備わっている、高貴な方に違いないと。……あ、愚にもつかないことを……、寮に戻ります。今日は、ありがとうございました」 「あ…、ああ。課題試験、頑張りなさい」 「はいっ」  アレクセイは後になって、その出会いを繰り返し思い返したものだ。  思考はいつも同じところにたどり着く。彼はプリンスとして、国を統べるためにこの世に生を受けたのだ。そのときに僕は、プリンスに仕えたいと。  アレクセイが帰った後も、銃声はしばらく鳴りやまなかったし、結局、明け方までトレーニングをするはめになったのは言うまでもないだろう。  レイモンドはくたくたに疲れ切っていたが、部屋に戻ってもなかなか眠りは訪れなかった。  マリオンのアレクセイに対する態度が気になって仕方がなかった。  あいつ、射撃の腕はよかったけど…、マリオンがアレクセイに向けた温かい笑顔が心をよぎる。あんなにやさしいなんて…。  それからも養成所の生徒と一緒になるたびに、レイモンドはマリオンの彼らに対する態度を見て落ち込んだ。俺には厳しいのに、養成所の生徒にはやさしい。  たまには自分にもやさしくしてほしいと思う。それが無理なら、冷たく厳しい視線でもいいから、マリオンの視線はすべて自分に向いていてほしい。  だが、そんなことを言えるわけもなく。  養成所の生徒たちと一緒にいるマリオンを見ては、嫉妬した。  マリオンは俺の教育係だ。他の生徒を見ているのが気に入らない。指導するのが気に入らない。  マリオン、お願いだから。厳しくてもいいから、せめて、俺だけを見ていてよ! 
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