第二章

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9 バーにて  その日の夜である。  グレアムが選んだのは、趣味のいいバーだった。ブルーのネオンサインが控えめに店の名を告げるのを見て、マリオンも落ち着けそうだと感じたのだ。  いらっしゃいませと声をかけたバーテンダーは白のシャツに黒のベストをピシッと着こなしていた。流れているのはビートの利いたジャズ。カウンターにはいかにも遊び慣れた感じの若者がたむろしている。  2人はカウンターではなく、足の高いスツールが配されている丸テーブルに席をとった。  20代半ばのいい男が2人である。どちらも背が高く、鍛えられた体つき。精悍だがどこか危うい雰囲気を醸すグレアムと、整った顔立ちに知性をまとったマリオンは、カウンターに腰掛けるカジュアルな服装の若者たちとは比べ者にならなかった。ソファに陣取る高級スーツを着こなした男たちとも違っている。  店に入った瞬間から、あちらこちらからチラチラと視線が寄こされていた。  養成所時代から女に苦労をしなかった2人であるが、責任ある仕事で実績を上げ、自信を身にまとっていた。男としての魅力では、ここにいる若者たちの中でもずば抜けているという他はないだろう。  当然のごとく、店内の女性たちは色めき立ち、皆が皆、2人と言葉をかわす隙を狙っていた。 「グレッグの活躍を祈って、乾杯!」 「サンキュー! 乾杯!」  2人は手にしたグラスをカチンと合わせて、酒を口にした。 「ふう、旨いな。おまえと飲む酒は格別だ」 「よく言う。久々のオフだから旨く感じるんだろうよ。下手な姿は見せられない部下もいないしな」 「まあ、な。あいつらがいると、酒を飲んでてもブレーキがかかる」 「そうだろうな」 「おまえだって、艦隊にいるときは冷徹な表情を崩さなかったじゃないか。ま、いまだって、顔つきは変わってないが…。俺はおまえらしくてうれしかったが、養成所時代に一緒にバカやってなかったら、近づくのが恐いほどだ」 「……、俺はそんなにキツい顔をしてるか?」 「ああ、完璧に上に立つ者の顔だ。今の方がまとう雰囲気が厳しいくらい」 「そう、か? レイモンドになめられないように苦労しているからかな」  マリオンの軽い疑問に、グレアムは考え込む。 「ふん。昼までだったら、おまえがなめられるなど冗談だろうと笑い飛ばしたが…。確かに、あいつは底知れぬ力を持っているな。見くびるなっていうおまえの台詞が耳に痛い」 「ははっ…、トレーニングを任せてすまなかったな。で、グレッグ、どう思う?」  マリオンが訊いた。  グレアムなら鍛えがいがあると思うだろうか。自分の目を信じていたが、ずっと一緒にいるために冷静な判断ができているかどうか不安だった。 「どうも、こうも。俺と互角に闘えるヤツなんて、めったにいない。しかも、あんな小さい子どもだぜ。腕力は足りないが、スピードも勘も抜群だ。うちの戦闘員じゃ、太刀打ちできないかもしれない」 「そうか。鍛える価値があるか」 「鍛える価値は、もちろんあるだろうさ」 「そうか、よかった。いい操縦士になれると思うか?」 「勘も判断力もよさそうだから…って、俺に聞くなよ。いい操縦士になれるかどうかはおまえの方がよくわかるだろう。  ただ、そうだな。身体ができてきたらもっと強くなるだろうし、おまえが育ててるんだ。いい幹部になるだろうぜ。おまえを独り占めするなど許せないと思ったが、どこまで伸びるか楽しみだ。せいぜい、鍛えてやれ…、おっと。余計なことか」 「余計なこと?」 「ああ、俺が思う以上に、おまえは厳しく鍛えてるってことさ」 「……?」 「あのな、格闘技をやってたときにレイモンドの足がふらついてきたから休憩にした。俺もかなりバテてたしな。そしたら、叱らないのかと訊かれたよ。トレーニングについていけないから切り上げたんだろう、なぜ叱らないと。マリオンは泣いても、倒れても、休憩なんかくれないってね」 「おまえに泣き言を?」  叱っておくよと教育係の顔をして見せるマリオンにグレアムがあわてて。 「叱らないでやってくれ、そういうことじゃないし、俺が告げ口したようじゃないか。あれは泣き言ではなく、不思議がって訊いただけだし、単に、俺の指導が甘すぎると指摘されただけだ…」  必死で言いつくろうのに、マリオンは笑みを返す。 「おまえに免じて、聞かなかったことにする」  ほっとするグレアムにマリオンはおかしそうに微笑んだ。周りで見ていた女たちがハッとするほどの魅力的な笑み。  声をかけようか、どうしようかと悩んでいた女が、その笑顔に態度を決めた、ようだ。 「ご一緒させていただけませんか?」  やわらかい素材の白いインナーにネイビーのスーツを合わせた大人の女性が声をかけてきた。はっきりした顔立ちの美人で、場末のバーあたりではお目にかかれないような女であった。隣には淡いピンクのトップスに花柄のスカートのかわいらしい女性。ふわりと巻いた金髪がレイモンドの髪の色に似ているとマリオンは思った。 「あなた方のような美しい方なら、大歓迎です。どうぞ」  チラリと目配せをくれてから、グレアムがそつなくスツールを進める。今日の目的は女と遊ぶことであるから、ありがたい展開であるはずなのに。  グレアムのにこやかな顔を見てもマリオンは少しも心が弾まなかった。 「お見かけしたことがありませんね、この店は初めてですか?」 「ええ。俺はほとんど宇宙を飛び回っていますので…」 「あらっ、では?」 「艦隊の方です」  女たちはそのひと言で、2人がコスモ・サンダーのメンバーだということがわかったようだ。  他の惑星なら、海賊など怖がられはしてもモテる対象になどならないのだが。さすがに、コスモ・サンダーが本部を置く惑星である。関連の事業も多く、住民の7割近くがいろいろな形でコスモ・サンダーと関わりを持っていた。コスモ・サンダーの一員と言うだけで、特別扱いしてもらえる土地柄なのである。  そうでなければ、グレアムも簡単に身分を明かしたりしない。  中でも、本部の幹部や艦隊エリートは、女たちにとって高嶺の花であった。  グレアムとスーツの女は、戦闘話で盛り上がっている。もちろん、ヤバい部分は脚色でごまかして、おいしい話しかしない。  おだてられて鼻の下を伸ばしているのを見てマリオンは苦笑した。グレアムはもともと精悍な男である。この若さで艦隊のキャプテンだと言えば、女が目の色を変えるのもわからないではない。しかし、大切なのは肩書きだろうか? ぐいっとバーボンを呷ったマリオンにもう一人の女が訊く。 「あなたは、艦隊で働いていらっしゃらないのでしょう?」  女はマリオンの端正な顔を、まぶしそうに見つめていた。 「どうしてですか?」 「いえ…、あなたには艦隊が似合わないような気がして。もっと、知性の必要なお仕事かと…」  マリオンは苦笑した。  冷酷で、非情で。どんな危険をも恐れずに飛び込む。迷わずに部下を死地に追いやる。自分ほど艦隊の仕事が似合う人間はいないと思っているのに。 「わたしは、いま養成所の教官をしているんです」  ああ、やっぱりという風に女が納得する。 「何を教えていらっしゃるの?」 「操縦です」 「まあ! 宇宙船を操縦されるのですか」 「ええ、まあ」  目を輝かせる女を前に、マリオンは応えに窮した。どうでもいい相手とのどうでもいい会話なのだから、適当に流しておけばいいのに。マリオンが黙ってしまったのを見て、グレアムが助け船を出す。 「いまは教官なんかしているけど、こいつは、うちでも1、2を争う操縦士なんですよ。宇宙船や戦闘艇どころか、宇宙艦の操縦士として…」  それなら、どうして教官などを。という質問が続きそうで、マリオンはあわててグレアムを止める。 「おいっ、グレアム。身内自慢はやめてくれよ。それより、このバーへはよく来られるんですか? いい店ですね」  強引に別の話へ持っていった。どうせ、しばらくたわいない会話をして、ホテルに行くだけだ。二度と会うことはない…。  それにしても。  マリオンは女たちと過ごすことをまったく楽しんでいない自分に驚いていた。  昔から、女を落とすことも、女を抱くこともグレアムと競ってきた。それはまるでゲームのようにではあったが、駆け引きを楽しんでいるという自覚があった。  ところが。  今回は、首尾よく高級ホテルのベッドにいる今になっても、マリオンの気持ちは冷めていた。上辺だけの笑みを投げて、女の身体を開く。うわずった声を聞きながらも、頭の中では、レイモンドはどうしているだろうかなどと、別のことを考えている。 「グレアムと出かけてきます。今夜はひとりでトレーニングをしなさい」と告げたときのつまらなさそうな顔が目に浮かぶ。 「わたしがいないからと言って、なまけるのではありませんよ」と声をかけると、「はい」と返事をしたが、「今夜は返らないかもしれないぜ」と言うグレアムの言葉にうつむいてしまった。  どういう意味かわかっているのだろう。それでも「いってらっしゃい」と送り出してくれたけれど…。  髪の色がレイモンドと同じだから、俺はこの女を選んだ?  情事の余韻でほんのりと染まった顔を見ても、レイモンドの方がずっと綺麗だ、などと考えている自分は、いったいどうしたのだ…。  俺は、幼い子を残して家を空けてきた母親か? と思うのだが、レイモンドが気になって仕方がない。  節制していた身体は狂おしいほどに女を求めていたが、心が求めているのは違っていた。  俺は、どうかしている。  女とよろしくやっているグレアムを残して、マリオンは早々に本部に戻ることにした。
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