第三章

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7 総督への嘆願  レイモンドがサリーと戯れている頃、マリオンは総督の執務室へと向かう廊下を歩いていた。養成所の選抜試験が終わった日、レイモンドが勢い込んで帰ってくる前に、明日、総督の執務室へ来るようにとウォン補佐官から連絡があったのだ。  総督の執務室を訪れるのは、実に1年ぶりであった。 「マリオン・ゼクスターです」  軽くノックをしてから声をかける。 「入れ」  低く厳しい声が応えた。 「失礼します」  マリオンは部屋に入って、執務の椅子に座る総督の前に膝を折る。立ちなさいと総督補佐に促されて、マリオンは姿勢を正した。その目をまっすぐに射抜きながら総督が口を開いた。 「レイモンドは養成所の選抜試験に合格したそうだな」  手にした書類には試験の合格者とその成績が載っていた。 「はい。正式な発表は明日ですが、養成所の責任者からそう聞いています」 「なかなかいい成績だ。よくやってくれた、マリオン」 「ありがとうございます。しかし、誉められるのはわたしではなく、レイモンドです。すべてあの子が頑張った結果です」 「なに、謙遜することはない。14歳で養成所入りできるとは、期待以上の成果だ。誉め言葉は素直に受けておけ」 「はい」 「聞くところによると、容赦なく鍛え、罰を与えていたそうだな。手こずったか?」  総督がにやりと笑いながら聞く。 「……最初は大変でしたが。よく言うことを聞いてくれましたし、どんなトレーニングにも根を上げずについてきてくれました」 「そうか。プレスクールからの報告では乱暴で手が付けられないと言われたが、おまえにはそうでもなかったようだな。ところで、おまえから見てレイモンドはどうだ?」  総督はどうしてこんなにレイモンドを気にするのだろうか。優れた資質を持ってはいるが。それでも一生徒にどうしてこれほど目をかけるのだろう。 「レイモンドはなろうと思えば、コスモ・サンダーになくてはならない幹部になると思います。それだけの才能があります」 「なろうと思えば、か」 「はい。こうと決めたら絶対に諦めない。あの子は操縦士になると決めたようですから、きっとコスモ・サンダーでも一、二を争う操縦士になるでしょう」 「ふむ。トップクラスの操縦士であるおまえが言うんだから、そうかもしれんな」 「ただ…、わたしはあの子は操縦士というだけでなく、もっと大きな資質を感じます。レイモンドを指導して、初めて自分よりも能力のあるものがいるんだと気づかされました」 「そうか、そうか」  総督はいかめしい顔をほころばせた。 「わたしは、艦隊で過ごすより、ずっといい勉強をさせてもらったと思っています」  マリオンは本心からそう言った。 「そう言ってくれるなら、おまえを教育係にした甲斐があったというもんだ」 「はい」 「だがな、マリオン。そろそろおまえを艦隊にもどせと周りがうるさい。極東も西域も荒れているからな。いい指揮官が必要なのだ」  1年前に言われたなら、飛び上がって悦んだだろう。しかし、今は…。 「あれから1年になる。来週には新幹部を任命するつもりで、招集をかけている。マリオン。おまえには回り道をさせたから特別に選ばせてやろう、副司令官かキャプテンかどちらがいい?」  たかが教育係でしかない男に幹部の椅子を選ばせてもらえると言うのは破格の扱いであった。だが、マリオンは迷っていた。 「失礼を承知で申します。わたしには、それしか選択肢がないのですか」 「どういう意味だ? 副司令官もキャプテンも気に入らないのか!」  笑んでいた総督の顔が途端に険しいものに変わる。 「いえ…。総督はわたしに、レイモンドを養成所に送り込み、最終的にはコスモ・サンダーの艦隊でやっていけるようにしろと命じられました。あの時、レイモンドは13歳でした。養成所に入れるのは、普通は16歳、2〜3年かかると思っておられたはずです。  それに、レイモンドはなんとか養成所に入れただけ。まだまだ、コスモ・サンダーの艦隊でやっていけるレベルではありませんし、わたしの指示には従いますが、教官や上官の命令に素直に従うかというと疑問です。すみません、そこまで躾きれていません。  ……総督、あと1年か2年、わたしにレイモンドの教育係を任せていただけませんか。操縦士としてはもちろん、必ず、コスモ・サンダーの幹部になれる男に育ててみせます」 「ふ〜む。おまえはすぐにでも艦隊に戻りたいのかと思っていたぞ。それに、コスモ・サンダーの艦隊はおまえを必要としている」 「艦隊に戻りたい気持ちはあります。しかし、ここでレイモンドを放り出すのは間違っている気がするのです。あの子は親に捨てられ、一人で生きてきました。頼れる人間も自分の居場所も持っていませんでした。  わたしはこの1年、レイモンドに厳しい指導と帰る場所を与えてきました。代わりに、ある程度の信頼を得ています。あの子は頑固でこうだと思ったらテコでも動かない難しい子です。それに養成所に入ったと言っても14歳の少年に過ぎません。まだ、右のものとも左のものともわからない。強い意志を持って導かなければどうなってしまうか。せっかくの苦労が無になってしまうかもしれない。  いえ、苦労はどんな任務にもつきものですから構わないのですが、あの子を潰してしまいたくない。……1年前、あれだけ嫌がっておきながらこんなことを言うのもおかしいですが、もうしばらく、わたしにレイモンドの教育係をやらせてください。お願いします」 「おまえは、自分だけがレイモンドの教育係にふさわしいと思っているのか!」  総督が厳しい声で訊いた。 「艦隊勤務を命じたらおまえは拒否するのか」 「いえ…。もちろん命令には従います。総督が艦隊へ行けとおっしゃるなら、艦隊へ行きます。ただ…」  マリオンは言いかけた言葉の続きを呑み込んだ。  確かに、俺でなくても、レイモンドを指導するのにふさわしい男はいるだろう。思い上がるな! 「おまえの希望は、聞いておく。来週の新幹部決定会議に出るように。下がっていいぞ」  総督が最大限の譲歩だというように言い渡した。 「失礼します」  マリオンが執務室を後にすると、総督は部屋の隅に立っていた補佐官に尋ねた。 「ウォン、どう思う?」 「マリオン・ゼクスターは艦隊にとって必要な男です。抗争が絶えない今、司令官たちが喉から手が出るほど欲しがっているのもわかります。ただ…、そうですね。レイモンドに最高の環境を与えるとしたら…、教育係には彼しかいないでしょう」 「ふ〜む。なぜだ?」  ウォンは、難しい顔をした総督に対して率直な意見が言える数少ない側近である。臆することもなく言葉を続けた。 「わたしの意見を言わせてもらえれば、艦隊には代わりがいるかもしれませんが、レイモンドにぴったりの教育係を見つけるのは至難の業です。あれほど扱いの難しい子どもがゼクスターには懐いた。それは、言ったことは必ずやらせる意志の強さと公正さにあるとわたしは思います。  総督がレイモンドのことをどれほど大切に思われているか。それから、今を取るのか、将来を取るかが判断の基準になるかと……」 「将来を取るとは?」 「ゼクスターなら、レイモンドを立派に育ててくれる。きっと将来、コスモ・サンダーに役立つ男にしてくれる。そんな気がします」 「……」 「総督! わたしはそろそろあなたと一緒に行動したくなりました」  ウォンがまったく関係のないことを言い出した。 「なんだと?」 「これまで、総督補佐と言ってもあなたのすぐ側にいたのはグインでした。わたしは本部を守っているだけ。ここを任せられる男がいれば、わたしも総督と一緒に行動できる。ここを任せられる男がほしいとずっと思っていました」 「なっ! おまえは今、自分の口でマリオンならレイモンドを立派に育ててくれると言ったばかりじゃないか。それなのに、マリオンに自分の椅子を譲るというのか?」 「いいえ、総督補佐はわたしです。サポートしてくれる男がほしいだけです。ゼクスターは先ほど、総督に対して、遠慮することもなく、自分の意見や希望を口にした」 「それを言うなら、おまえの方がズケズケ言いたいことを言ってくれる」 「わたしはあなたが総督になられた時から補佐をしていますから。御意見番だと思っています。でも、ゼクスターはキャプテンですらない。ただの隊長だった男ですよ。総督が睨んだら震え上がっても不思議ではない」 「そう言われればそうだが」 「総督も生意気なことを言うなとゼクスターを怒鳴りつけたりはしなかった。聞く価値のある話だと思ったからでしょう?」 「だが…、あの若さで、おまえのサポートとはいえ総督補佐の執務は荷が重いだろう」 「荷は重いですが…、わたしはこの1年、レイモンドを見ると同時にゼクスターを観察してきました。あの男は冷静で冷徹で、断固としている。あれほど容赦のない男も珍しいと思うほどです。それでいて、やさしさも温かさも持ち合わせている。キャプテンをやらせておくにはもったいない男です」 「ほお〜。これまで、わしがおまえのサポートにと推薦してやった男をことごとく叩き出してきたのになあ」 「艦隊の司令官と同じように、わたしもゼクスターが欲しくなりました。それにわたしは、コスモ・サンダーの中枢に、ゼクスターが育てた2年後のレイモンドが欲しい」
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