6人が本棚に入れています
本棚に追加
8 合格発表
養成所に着くと、既に合格発表が始まっていた。
大勢の受験生とその保護者がモニターを見上げている。合格者の受験番号と名前が発表されているのだ。パソコンを通じて、自宅やプレスクールでも確認できるのだが、やはり、養成所でリアルタイムに発表を見たいと思う受験生は多いようだ。
むりやり合格発表についてきたのに、離れたところで立ち止まってしまったマリオンに、レイモンドがいぶかしむような視線を向けた。
「ここで待っています。自分で確かめてきなさい」
「え……」
動き出そうとしないレイモンドにもう一声かける。
「おまえの合格発表です。自分で確かめてきなさい。不合格でも怒りませんから、安心して見に行ってきなさい」
「はい」
レイモンドは人混みの中へと入っていった。しばらくモニターを見つめていた小さな姿が、小走りで戻ってくる。頬を上気させ、瞳をキラキラ輝かせて。
「合格していました!」
合格していることなど、とっくに知っていた。この顔が見たくて、一緒に来たのだ。
ほかの家族と同じように、抱きしめて、喜びを一緒に分かち合えれば…。だが、マリオンにはできなかった。レイモンドが離れていくのを、どうして手放しで喜べるだろう?
「そうですか。よかったですね」
笑みを浮かべるだけで精一杯。それでもレイモンドはうれしそうに満面の笑顔で言った。
「はいっ! ありがとうございました」
「おまえは健康診断と身体測定を済ませてきなさい。わたしは入所の手続きをしてきます。終わったら食堂で待っていますから」
軽く手を挙げて、レイモンドを送り出す。
今、ここから、レイモンドの新しい道が始まる。
入所手続きを済ませたら、俺にできることはもうない。一緒に暮らすのは寮の仲間だし、鍛えるのは養成所の教官だ。教育係はもういらない。教育係でも保護者でもなくなるのだと思うとマリオンは複雑な心境だった。
艦隊に戻ったら、レイモンドを指導することはもちろん、見守ることさえできなくなる。俺は、しばらく一緒に暮らしただけの他人に成り下がってしまう。そんなこともあったとふと思い出してもらえるだけの他人に。
途中から駆け出したレイモンドの後ろ姿を見ながら、マリオンは無性に寂しかった。
艦隊が俺を必要としていると、総督はおっしゃった。俺は、艦隊のキャプテンか副司令官として遠い宙域へと出ていくことになるだろう。
本部のあるこの惑星へ立ち寄ることなど、年に一度あるかないか…。
いつの間にか、レイモンドと一緒にいるのが当たり前になっていたのだ。この1年間、片時も目を離さずに見つめ続けてきた姿を目にしなくなることに耐えられるだろうか。
マリオンはハッとした。俺は何を考えているのだ。艦隊でのし上がることが夢だったのに。昔からずっと願っていたことなのに。
自分の思うとおりに戦闘員を動かし、コスモ・サンダーを動かし…。そして…、俺は何をしたかったのだろう。
落ち込んでいる場合じゃない!
マリオンは、自分自身を叱咤して、悪循環を繰り返す思考を止めた。
「ゼクスター教官。少し時間をいただけますか」
レイモンドの入所手続きをしていると、主任教官に声をかけられた。
「はい。何でしょう」
「教官がここを離れられる前に、レイモンドのことを教えてもらおうと思いまして」
「……?」
「お疲れさまでした。1年に満たない期間でしたが、教官は生徒にとってもわれわれにとっても、いい刺激になりました。養成所の生徒たち、特に操縦士をめざす生徒にとって、あなたに指導してもらえたのは貴重な経験になるでしょう」
「わたしが、ここを辞めると誰かに聞いたのですか?」
驚いて聞き返したマリオンに、主任教官はまずかったかと訊く。
「まだオフレコでしたか。実は、昨日、総督補佐から連絡がありました。来年度の訓練計画はゼクスター教官抜きで立てるようにと。養成所は前線で実績を積んできた教官がほしいと総督補佐に抵抗したのですが、あなたは養成所にはもったいなさすぎると却下されました。あなたを教官にしておけるほど、コスモ・サンダーは人材豊富じゃないそうです。
各艦隊から声がかかっているのでしょう。艦隊に戻られるのですか?」
自分の知らないところで、着実に話が進んでいる。
「まだ、わかりません」
「ああっ、公表できないのですね。詮索して申し訳ない。レイモンドのことは養成所に任せて、どうかコスモ・サンダーのために活躍してください」
主任教官はマリオンを、養成所の教官としてではなく、上級幹部と見なしているようだった。ソファを勧めながらところで、と主任教官が話題を変えた。
「レイモンドのことですが。ほかの合格者はプレスクールからの内申や戦闘員としての評定がありますが、レイモンドに関しては何の情報もありません。あの子は14歳での特別合格だというのに。選抜試験をした結果、合格判定を出しましたが、長所短所はもちろん、心身のこととか、どのように指導しておられたか、また配慮すべきことなども聞いておきたいと思います」
「わかりました。……そうですね、レイモンドは年上のものに比べて基礎体力では劣っているかもしれませんが、訓練についていけないということは絶対にありません」
マリオンは言い切った。
「厳しくても文句を言いませんし、最後までやり通すはずです」
文句も言わせなかったし、最後までやり通すようにそれはそれは厳しく指導したのだ。
「勉強の方は、時間がなくて手をつけていない分野もありますが、やればできる賢い子です。精神的にも強い。
ただ…、問題なのは生活面かもしれません。
ご存じでしょうが、あの子はスラム出身で、当たり前の礼儀が身に付いていない。教官を敬うとか、規則を守らないといけないという意識がありませんでした。悪気はなくても、思わぬ間違いをしでかしてくれるし、当たり前のことを知らない。
もちろん、間違ったり、いけないことをした時にはきちんと叱って、教えてきたつもりです。何度も頬を張りましたし、尻を叩いて躾てきました。ですが、たったの1年です、教えきれたとは自信を持って言えません。あの子は頑固ですし、こうだと思ったら決して引かない。どうしていけないのか、どうして罰を与えられるのかを納得させる必要があります。この点が間違っている、ここが悪いときちんと指摘してください。自分が悪いとわかれば謝りますし、素直に罰を受けるはずです」
「納得していなければ?」
「言いにくいのですが、反抗するかもしれません。……いやっ、もちろん、教官には絶対服従だとか、反抗や口答えは許されないと言い聞かせてきましたが…。13歳まで自由気ままに生きてきた子です。一人で生きられる子でもあります。人に命令されるのに慣れていません。押さえつけられるのが嫌いなんです」
「あなたには従っていたようですが…」
「ようやく、というところです…、苦労しました」
正直に言うと、驚いた顔をされた。
「あなたでも、反抗されたことがあるのですか?」
「もちろん、あります。後でいやというほど思い知らせてやりましたが…。ただ…、レイモンドは操縦士になりたいそうですから、むやみに教官に反抗的な態度は取らないとは思います」
そもそも、操縦士になりたいと思わなければ、自分の命令など聞きもしなかったとマリオンは思う。
「希望は操縦士ですか」
「ええ。それから…」
これは言っておいた方がいいだろう。
「一つ、気になっていることがあります」
それはなんだと目で尋ねた主任教官にマリオンは正直に話すことにした。
「レイモンドはあれだけの美貌です。微笑まれたら普通の男はクラッときてしまうそうです。それに、細くて華奢に見えますから、簡単に押さえつけて言うことをきかせることができそうでしょう?」
主任教官がうなずくのを見て、マリオンは言葉を続けた。
「何度も嫌なことを強要されたようです。実はプレスクールでもあったようで…」
「性的暴行ということですか?」
暴行なのか合意なのかは判断が難しいが…。スラムでは何かを手に入れるための手段にしていたようだ。プレスクールでは、たぶん合意の上ということはない。
「プレスクールでは未遂だったと思います…、というのもレイモンドはかなり強くて、簡単には言いなりにできない…、本気で抵抗されたら、わたしでも押さえつけられないかもしれません」
「ほう? それはスゴイですね」
「ええ、それで。性的なことを強要されたら教官でも先輩でも逆らっていいと教えました。ナイフを抜いて抵抗しろと。わたしはその言葉を撤回するつもりはありません。自分の身を守るのは当然のことですから。
……、もしレイモンドが誰かと諍いを起こしたら、そういう事実がなかったかを確認してもらえればありがたい。レイモンドはおとなを信用していません。おまえが誘ったのだろうと詰ると…、キレるだけならいいが、それ以降、手がつけられなくなるおそれがあります」
「……レイモンドの信用をなくすのは簡単だということですね」
「はい。それ以外のことでしたら、教官に反抗したり、ほかの生徒と喧嘩をするなどもってのほか、厳しく叱ってください」
「わかりました。聞いておいてよかった。ありそうな話です。気をつけましょう」
主任教官は大きくうなずいた。
「ありがとうございます。どうか、レイモンドをよろしくお願いします」
マリオンが頭を下げると、主任教官がにこりと笑った。
「あなたは、まるで…。父親というには若すぎるが、年の離れた弟を思いやる兄という感じだ。こうして話を聞くまで、レイモンドに対しては冷徹な教育係というイメージしかありませんでしたが…」
「それは、酷い。これでも精一杯手をかけてきたつもりなのに」
主任教官の軽口に傷ついて見せると
「ジムでの噂をさんざん聞かされましたから。できもしないメニューをやらせているとか、倒れたら蹴りつけるとか、毎日のように殴っているとか。でも養成所での教官を見ていると信じられなかった。厳しいけれどゼクスター教官が好きだと、生徒たちはみなあなたを慕っていました…。同じように愛情を持ってレイモンドを指導しておられたと知って、安心しました」
マリオンは赤くなった。噂はすべて本当だ。それ以前に、最初は酷かった。愛情を注ぐどころではない。レイモンドを見もせず、ただただ、邪魔だと思っていた。
「いえ、噂通りです。艦隊でも鬼だと言われていましたが、レイモンドに対しては、それ以上に冷徹で血も涙もない教育係だったと思います」
最初のコメントを投稿しよう!