第一章

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5 問題行動  ある夜のこと。料理長からレイモンドを引き取りに来るようにと連絡が入った。  厨房に足を踏み入れたマリオンは怒鳴り声に迎えられたのだ。 「こいつにちゃんと食べさせてるのか!」 「どういうことですか。レイモンドが何を?」 「俺が仕込んでおいた肉を盗もうとしてた。今夜だけじゃない、ここんとこちょくちょく食料がなくなるんで、張ってたら、案の定だ」 「まさか、盗みを!」 「まったくっ。戦闘員なら迷わず懲罰室送りだぞ…」  料理長につかまったままのレイモンドは、そっぽを向いている。 「申し訳ないッ! 二度とやらせないので許してもらえませんか」  懲罰室に送られたなどと総督に伝わったら…。非難されるのは目に見えていた。 「おまえに免じて、今回は見逃してやる。二度はないぞ」 「わかりました。二度とやらせない」  マリオンは情けなかった。ぐいっと突き出されたレイモンドを料理長から受け取ると、ジタバタするレイモンドの襟首をつかんで部屋まで引きずっていった。 「どうして盗みなんかやったんだ」 「おまえには関係ないだろっ! 放っておいてくれたらよかったんだ!」 「何を! 俺が謝らなかったら、おまえがどんな目にあうかわかってるのか」 「……あいつに気が済むまで殴れって言ったのに…」 「殴られるだけですむと思うな! ここはスラムと違うんだ。統制のとれた海賊組織で、規律を破ったらおまえが思っている以上の罰を受けることになる」  おまえも俺もな…。 「それで。盗みの理由は何だ?」 「言いたくない」 「……、もう一度訊く。俺はおまえに食事を与えている。今夜も夕食を抜いたりしていない。どうして食べ物を盗んだりしたんだ」 「……、言いたくない」 「……そうか」  マリオンはおもむろにレイモンドの腰に手をまわした。 「なっ、何をする!」 「言いたくないなら、結構。その代わりお仕置きだ」 「や、やめろっ!」 「だめだ。わけも言えない、反省もできないなら…」  スラムでは殴られるんだろう。盗みがばれたらここでは懲罰室だが、おまえはまだ小さい。悪いことをしたら、尻を叩かれると覚えておけ、マリオンはあばれるレイモンドを押さえつけて尻を叩き始めた。 「…っ! やめろっ! やめてくれ!」  レイモンドの悲鳴や懇願などマリオンはまったく無視して、尻に何度も平手を打ち付ける。あっという間にレイモンドの尻は真っ赤に染まった。 「あっ! あ〜っ。…ったい」 「当たり前だ。二度と盗みなどやらないように、たっぷり懲らしめてやる」 「ぃつ、あ〜っ!」  ダメなことはダメだと厳しく叱っておけば、レイモンドは同じ過ちを繰り返すことはなかった。だが、どこで何をしているのか、マリオンにはさっぱりわからない。  どうして逃げ出しもせずに、ここにいるのかも。  プレスクールで何度も脱走を試みたレイモンドである。そのうち出て行くだろうと思っていたのに。  スラムからむりやりコスモ・サンダーに連れてこられたレイモンドは、コスモ・サンダーの一員になるつもりもなく、ましてや勉強もトレーニングもやりたいと思っていない。  マリオンにはすぐにわかってしまったのだ。指導など無意味だと。  だが。放任主義といえば聞こえはいいが、任務を放り出していることにマリオンは少しも気づかない。艦隊で隊長を務めていた時は、常に部下の様子を把握していた。それなのに、レイモンドのことは見ようとも、わかろうともしなかったのだ。  レイモンドの問題行動に悩まされる以上に、マリオンの頭を占めていたのは、艦隊のことであった。艦隊と言うより、自分の境遇にしか関心が向かなかったのだ。  艦隊から取り残されて、だんだんコスモ・サンダーでの居場所がなくなる気がする。人一倍、自分に自信をもっていたマリオンですら、気が滅入ってくる。  酒に頼るようになるまでに時間はかからなかった。酒には強かったが、キャプテンになったグレアムやピットの噂が聞こえてくると、量が増える。無茶な飲み方をすると、悪酔いする。レイモンドに「部屋をかたづけろ」「汚れた服で部屋を歩くな」と怒鳴るわりには、自分の方が自堕落になって、だんだん体裁を構わなくなっていく…。  レイモンドが時折、哀しそうな目を向けても、濁った目を向けるだけ。この時期のマリオンは、本来のマリオンからはほど遠かった。  マリオンがそんな状態であるから、レイモンドは、知らないおとなたちの間に、それも気の荒い海賊たちの間にたった一人で放り出されたようなものであった。口には出さないがたまらなく心細かったはずである。  勉強などやりたくなくて、近くの山へと抜け出して遊んでいたが(無邪気なものである)、身体を動かすのは好きであったから、ジムには真面目に通っていた。  ジムで出会う男たちは、最初のうちこそ、第5艦隊の名隊長として知られたマリオン・ゼクスターへの遠慮があった。しかし、1週間がすぎ、2週間にもなると慣れが出てくる。マリオンの庇護があってさえ、ここに通うにはレイモンドは大変だったろうに。  唯一、頼れるはずの男は、自分のことしか考えていないのだ。  レイモンドはたったの13歳である。年齢に比べても小さくきゃしゃな身体、しかも、とびきりの美貌であった。いらぬ興味を持つものがたくさんいたのである。  数年後には誰をも震え上がらせる冷徹な若者に育ったとはいえ、その頃はただの子どもにすぎなかった。相手を寄せ付けないようにしようと思っても、できるわけがない。  レイモンドにちょっかいを出す戦闘員たちが現れた始めても不思議はなかった。 「おい、年上の俺たちに挨拶のひとつもできないのか」と言いがかりをつけるのはマシな方である。しつこくつきまとったり、卑猥な言葉を投げかけたり、挙げ句の果てには「抱き心地が良さそうだな」と身体に触れるものまで出てくる始末であった。  スラム育ちのレイモンドにとってはお馴染みの反応であった。  大抵のことは無視していたが、我慢にも限度がある。  勢い、もめ事が起きることになった。  普段ならジムの責任者であるハワードジム長がもめ事など起こさせない。ハワードは40代の堂々とした男であり、昔は艦隊の戦闘員として活躍していた。  その頃から変わらない広い肩幅、鍛え込んだ筋肉質の身体。戦闘員たちがもめ事を起こそうとしても、やすやすと制してきたのである。 「こらっ! ジムで喧嘩は御法度だぞ」 「子ども相手になにをやってるんだ!」  ハワードが目を光らせていたのだが、運悪く不在であると…。  レイモンドは自分で自分の身を守らねばならなくなった。年齢も身体も相手の方がデカイ。喧嘩をすれば負けるだろうし、捕まれば…、それは考えたくないのだが。  それでもさすがにスラム出身と言うべきか、小さいのにレイモンドは喧嘩慣れをしていた。相手をつぶすためにはためらわずにどんな手でも使う。  反撃をされた男たちは、自分たちの態度を棚に上げて「躾がなっていない」「卑怯だ」と受付に怒鳴り込んだりする…。  レイモンドが戦闘員の男たちともめ事を起こすたびに、マリオンは呼び出された。 「あんたがその子の教育係なんだろう。挨拶ぐらい教えておけ」 「俺たちに突っかかってくるなんて、どんな躾をしてるんだ!」  マリオンは戦闘員たちの遠慮のなさにクラクラする。これまで、上官からさえ、こんな風に詰られたことはなかった。それなのに、自分の部下だった戦闘員たちと同レベルの男たちから集中攻撃を浴びている。  もし、自分がこいつらの隊長だったら、こんな口の聞き方など絶対に許さない。  しかし…。レイモンドはこのジムではいちばん下っ端で、誰に対しても敬意を表さないといけない立場であることはわかっていた。 「すまなかった」  マリオンはしたくもない詫びを口にし、頭を下げるしかない。しかし、何度も呼び出されているうちに、嫌気がさしてくる。  生活態度の悪さ、盗み、そしてもめ事。もうたくさんだ。  何も聞かずに、レイモンドを叱りつけるようになっていた。 「俺に手間をかけさせるな! 不満なら出て行け」
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