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6 戦闘員との暴力事件
その事件が起こったのは、うっとおしい雨が何日か続いたある日のことであった。
レイモンドがマシーンルームに入ると、いつものように男たちの視線が絡みついてきた。誰もが屋内に閉じこめられてうっぷんをため込んでいたのだ。
ここ数日のうちに、2度も叱られていたレイモンドは(最近は冷たい目で睨むだけで叱ってもらえないことも多い…)、いやな視線を投げつけてくる男たちから離れた場所でマシーンに取り組み始める。マリオンに追い出されるような口実は作りたくはなかったのである。それほど、マリオンは冷めていた。
なのに。
「おい、坊や。今日も教育係さんはいねえのか」
男たちに取り囲まれてしまった。
「キャプテン・スコットの活躍を聞いて、恥ずかしくて、出てこられないんだろう?」
にやにや顔が揶揄するような言葉を放る。
「恥ずかしくて、出てこれないってなんだ?」
滅多にないレイモンドの返事に、男たちがおやっと顔を見合わせる。
「ふふん、教えてほしいか」
レイモンドは小さくうなずく。
「なら、教えてくださいって頼んでみな」
図に乗った戦闘員のひとりが、レイモンドに勝ち誇ったように言う。レイモンドはくちびるを噛みしめたが、どうしても聞きたかったようで、その口から小さな声がもれた。
「教えて…、ください」
「ほお、珍しいな」
「いつも、こんなに素直だともっとかわいがってやるのに」
キッときつくなる瞳を見られないように目を伏せたレイモンドに、従順さを感じた戦闘員が話して聞かせる。
「キャプテン・スコットが大きな手柄を立てたのさ。いま、本部ではその噂で持ちきりだ」
「………」
首を捻ると
「ゼクスターとスコットは同期で、養成所時代からライバルだったんだ。二人ともコスモ・サンダーきってのエリートだって言われてた。実績がすごかったからな。ついこの前も、どちらがキャプテンになるかで俺たちは賭をしたくらいだ」
「俺は賭けに負けちまった。ゼクスターの手腕をかってたのによ、がっかりだぜ」
「キャプテン補佐にも選ばれずに、おまえみたいな子どもの教育係にされちゃ、おしまいだな」
「礼儀さえ教えていない。さぼっているんじゃないか…」
「それより、実はなにかとんでもないヘマをやって、教育係は体のいい左遷だって噂もあるぞ」
自分のことならこれほど腹が立たなかったとレイモンドは思う。だんだん、酷くなる悪口に耐えきれず、男に飛びかかった。
「マリオンの悪口を言うな!」
これまでは相手から手を出されて仕方なく防御していただけだったが、この日はレイモンドが切れた。自分から喧嘩を仕掛けたのである。
しかも…、どこに隠し持っていたのか、その手にはナイフまで握られていた。
「おっ、やる気か?」
「セクスターを庇おうってか。かわいいとこあるじゃないか」
「ナイフを持ち出すなんて、物騒だな。俺たちが礼儀ってもんを教えてやるぜ」
そんな風にからかいながら、男たちが笑っていられたのもしばらくの間だけであった。ナイフの扱いにかけて、レイモンドは卓越していたのである。スラムで身を守るための唯一の武器であったから。
7〜8名の戦闘員を相手に(しかもコスモ・サンダーのプロの戦闘員である)、派手な立ち回りをやってみせた。ハワードジム長やトレーナーたちが駆けつけて取り押さえるまでに、なんと2人が足と腹を刺されて倒れ、他のものも切り傷を負っていた。
ハワードの腕の中でがっちりと拘束されたレイモンドが、怒りのこもった目で男たちを見つめていた。その瞳の鋭さといったら…。
自分より強いであろう敵を恐れもせず、何人もの男たちに真正面から渡り合う勇気、そして闘えるだけの力。すぐれた資質だとハワードは思った。
「今すぐマリオンに連絡を入れて、迎えに来させろ!」
部下のトレーナーに命じると、ハワード自身がレイモンドの射るような視線に貫かれた。
「罰なら受ける」
マリオンを呼んでくれるなと、その目が頼んでいた。
ハワードはその視線を真正面から受け止め言い聞かせる。
「仕方がないだろう。マリオンはおまえの教育係兼保護者なんだ。おまえがしでかした不始末の責任は彼にあるし、おまえに罰を与えるのも彼の役目だ」
その日、マリオンはいつにも増して落ち込んでいたのだ。
第3艦隊のキャプテンになったグレアムが手柄を立てたという聞きたくもない噂を耳にした。自分たちの領海を侵してきた海賊団相手に、堂々と渡り合って追い払ったグレアムを誰もが褒め称えていた。
「くそっ!」
自分もキャプテンであれば、同じくらい見事に敵を追い払ったのに。
いや、俺にはできなかっただろうか。だんだん、自信がなくなってくる。グレアムと同じ土俵に立ちたいと悶々としているところへ、呼び出しが入ったのである。
「また、レイモンドが迷惑をかけましたか?」
軽い調子で口から出した台詞だったのに、相手が飛んでもないことを言う。
「なにっ! わかりました。すぐ行きます」
どいつも、こいつも! どうして何もかもが思い通りにならないんだ!
バンッとジムの扉を開ける。レイモンドは受付のすぐ横に立たされていた。トレーナーがひとり張り付いている。マリオンはレイモンドにつかつかと歩み寄った。
怒りにまかせて睨み付けるマリオンは、部下に恐れられた堂々とした隊長姿を思い起こさせた。レイモンドはゴクリと唾を呑みこむ。
マリオンは相手が子どもだということも忘れて、パアーンッとその頬を張った。レイモンドは文字通り吹っ飛んだ。響き渡った音に、ジムにいる男たちの視線が一斉に巡ってきた。
その迫力にたじろいだトレーナーに、マリオンは短く聞いた。
「怪我をしたものは、どこに?」
「……ハワードジム長が、医務室に連れて行きました」
「わかりました。医務室に顔を出します。……ご迷惑をおかけしました」
マリオンは丁寧に言って頭を下げると、打たれた頬に手を当ててぼおっとしているレイモンドの腕をつかみ、無言のままジムの外へと連れ出した。
引きずるようにして廊下を歩いていると、
「放せ、自分で歩ける」
強気そのものの声。
レイモンドはマリオンの怒りに内心ビクビクしていたのだが、口をついた言葉は正反対だったのだ。
仲間を、いや先輩であるはずの男たちをナイフで傷つけるというとんでもないことをしでかしたのに、謝りも言い訳もせずに、この発言である。押さえ込んでいた怒りをマリオンが爆発させても不思議ではなかった。
レイモンドの胸ぐらをつかみあげ、ぐいっと廊下の壁に押しつける。
「おまえはッ、自分が何をしたのかわかっているのかッ! ジムで乱闘騒ぎを起こし、ナイフで傷つけたんだぞ。艦隊で上官を傷つけてみろ、その場で銃殺だ! おまえは、死にたいのか?」
低く厳しい声音、突き刺すような鋭い視線、腕に込められた力にレイモンドはマリオンの怒りの大きさを知る。
マリオンの悪口をいわれてカッとなった。大勢の相手とやりあうのに、ナイフを持って立ち向かう以外に、手がなかったのだ。
でも、そんなことは言えない。
「そんなに俺が邪魔なら……、俺を殺せばいい」
くちもとを歪めて冷めた台詞を口にするレイモンドに、マリオンの中で細くつながっていた糸がプツンと切れた。壁に押しつけていた手を離すと大声で吐き捨てた。
「おまえの教育係など今を限りに願い下げだ。俺の目の前から消えうせろ。二度と顔を見せるな!」
冷たい灰色の瞳に怒りを滲ませてレイモンドを睨み付けた。
それから、マリオンはひとりで廊下を歩み出した。真っ直ぐ前を向いて。一度も後ろを振り返らずに。
その後ろ姿をレイモンドが泣きそうな顔で見つめていることなど、マリオンは知るよしもなかった。
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