沈黙の呼び声

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 酷く非道な事件だった。  命の代わりに命を奪い合う。  そんな顛末になる前に事件を未然に防げたのではないか。  ぐるぐると収束しきれない思考が琉唯に襲い掛かる。 「今回の事件はアレだ。あまり後味の良いものじゃなかったな。まぁ、事件に良い後味 も何もないけどな」 「せめて最後の被害者ぐらいは守れたかもしれない」  犯人の意図に気付いた琉唯はすぐさま行動に出た。  被害者を庇うように躍り出た、のだが。  あと数センチがどうしても届かなかった。  そうして命は一瞬で失われ、哀れな犯人による凶行は完遂されてしまった。 「被害者の命に正も義もないとはいえ、胸糞悪い事件はさっさと忘れるに限る。事件なんて他にも腐るほどあるんだからな」  人の数ほど過ちがある。  人の数ほど狂気は生まれるのだ。  そんな狂気に染まらない純粋な人間がどれほどいるのか。 「ただ忘れるにしては僕らは辛酸を舐めすぎた」 「警察のメンツにかけて二度とこんな事件は起こさせねぇ」  だから忘れろと促す庵野に琉唯は徐に首を振る。  その所作を見咎めたのだろう、庵野が頭を掻く。 「ったく。全部背負っちまってたらキリがねーだろ。お前さんはちっとばかし気楽に生きられないものかね」 「誉め言葉だと捉えておこう」  忘れるという事は無かった事にするという事。  警察にはお得意業だろうが琉唯には不可能だ。  一つ一つの事件が琉唯を必要とした被害者の声なのだ。  それを揉み消すわけにはいかない。  それを揉み消すという事は琉唯が被害者を二度殺す事に他ならない。  人は三度死ぬ。  一度目は肉体の死、二度目は魂の死、三度目は存在を殺された時だ。 「忘れられない事件こそ最も被害者が生み出された事件だ。忘れるくらいなら僕は……」  その双眸を閉ざす琉唯の耳に僅かなコール音が響く。  微かな振動を伝えるそれは新たな事件の幕開けであり、終わりの始まりでもある。 「はい。……早急に庵野と現場に向かいます」 「本庁の奴、何だって?」 「嘴区で通り魔だ。凶器はアーミーナイフ。被害者達の一部はまだ息がある」 「……嫌な事は重なるもんだな」 「ボヤいてる場合か。すぐに行くぞ」 「あぁ解ってる」  幾千もの思いが織りなすこの世界。  殺意もあれば愛もある。  だが人生の全てを対価という篩にかけて殺意を実行する者達がいる。  その思いも背景も琉唯には理解できない。  だがもしも代理警察で居続ける為の代価が必要だとしたら。  自分は何を篩にかけるのか。  そこまで考えた琉唯は頭を振った。  代理警察で居る事は琉唯自身の意思だ。  握った拳に力を込める。 (たとえ対価の代償にこの身を焼かれようと、僕は代理警察であるべきだ。僕を必要とする声があり続ける限り、それは終わらないし変わらない)  揺るぎそうになるこの世界に、琉唯は小さく胸中でそう抗ったのだった。
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