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ストップ!
昼下がりの無言の列車は、駅を出発していた。
……疲れた。
でも彼女は立っていた。暑かった。
仕事帰りの夕刻。電車はそんな彼女の疲労を嘲笑うかの様に勢いをつけてガタンガタンと進んでいた。が、その時、頭上からバチン!と大きな音がした。
電車内の見知らぬ乗客達は寝ている人を除いて、この音になんだ?という顔をした。
そして電車はふわと進み、最後は止まった。やがてその質問に応える様に、アナウンスが響いた。
『……只今点検のために停車します。しばらくそのままお待ちください』
やけに声を作った低声は彼女の好きな声だった。しかし、忙しそうなサラリーマンは、明らかに嫌そうな顔をし、女子高生は嬉々としてスマホでメッセージを送り出した。
主婦は読んでいた本を続行して読んでおり、男性高齢者は鉛筆で数独を解き、老婆と大学生の男子は再びまぶたを閉じた。
小学高学年の女子と社会人の彼女だけが、窓の外を歩く鉄道関係者を見つめていた。
……特に異変はなさそうだけど。
つり革につかまっていた彼女は、そっと窓の外を見ていた。
小学女子は家族に連絡しており、部活帰りのジャージー姿の男子中学生はバッグから何かを出して食べていた。
そんな時に、アナウンスが響いた。
『……ご乗客の皆様にご連絡でございます。只今電車は停車しております』
そんなこたぁわかってる!と一同は耳を済ませていた。
『点検のため、もうしばらくお待ちください』
……いい声だわ。
しかし。放置された彼らに、競馬新聞親父がスマホを見てみんなに聞こえる様に呟いた。
「あれ、強風で電線が切れたのか」
この独り言。誰かが相手をしないといけない雰囲気だった。一番そばにいた彼女は見えないプレッシャーに押されてこれに反応した。
「あの。この電車の配線が切れたんですか?」
「そうみたいだな。他の電車のせいかもしれないけど」
これを聞いていた女子高生はものすごい勢いでどこかに連絡をしていた。
「は?なんだって?」
耳が遠そうな老齢男性。彼女は親切に教えてあげた。
「電車の線が、切れたそうですよ」
彼女が高齢男性に説明すると、彼は瞬きしながら言った。
「線って。線路か」
「いえ?電線の線!」
これを聞いていた小学女子はクスクス笑い、ジャージ男子は誤魔化す様に腕を組み窓の外を見た。
老婆と大学男子は爆睡中。気難しそうなサラリーマンは舌打ちをしてパソコンを開き仕事を始めた。
そして彼女と目が合った中年主婦も目に笑みを称えていた。老人はまだ考えを続行していた。
「線路は、鉄のレールだからな……こう、熱いと曲がるんだな。わしも満州にいた時は、こう、水をぶっかけて」
「お父さん!線路が切れたら大変でしょ!何言っているのよ」
親しい様子。彼女は尋ねた。
「親子なんですか」
「そうなの。眼科の帰りで」
そんなことまで聞いてないのに、という雰囲気の中、競馬男は忙しなく、隣の車両を見ていた。
「あのさ、隣の車両は飲み物を配ってるぞ」
その時、アナウンスが流れた。
『ご乗車のお客様にお知らせします。恋上空港駅発、終点、愛生駅までのこの電車は、緊急停車しております……』
それはもうわかったから!と一同は思いつつ、次の言葉を待っていた。
『只今、車両点検をしておりますが、前方の』
こっからのコメントが肝。一同が耳を済ませていた時、車両のドアがガララ!と開き、大きな声がした。
「すいません!飲み物で、お一人一本づつ取って次の車両に回してくださいって」
「……あ、どうもです」
隣車両の乗客から託された段ボール。流れ的に受け取った彼女は、やはり流れ的にこれを配る羽目になった。
停車の理由を聞き逃したこの車両のメンバー達。このイライラをぶつける場所もなく次の放送を待ちつつ飲み物を受け取っていた。
「お茶です。どうぞ」
「私も手伝います」
彼女が一人で配っていたが、ここで小学生女子は手伝いに入った。
綺麗な顔立ちの優等生少女。ペットボトルのお茶をもらったジャージ男子は頬を染めていた。
若い二人の様子に目を細めた彼女は、老婆にペットボトルを差し出した。
「どうぞ」
「私?おトイレに行きたくなるから要らないわ」
すると隣で寝ていた大学生風の男が、代わりに受け取った。
「ん?ばあちゃん。水分取らないと熱中症になっちゃうよ。なあ、一緒に飲もうぜ」
素敵な大学生の甘い声に老婆はうんとうなづいた。
「そうかい。あんたがいうならそうするか」
「おお。開けてやるぜ」
キャップを開けてくれた大学風男子に言われた老婆は、彼に蓋を開けてもらって嬉しそうに飲んでいた。
「あの。私も手伝います。これを配るんですよね」
これを様子見をしていた女子高生。気が効く小学女子に遅れを取った事にようやく気がつき、いそいそと働き出した。
彼女と小学生と女子高生が配るペットボトルのお茶。気難しいそうなサラリーマにはい!渡した制服女子に彼はああ、とクールにしていたが、なんか頬が染まっていたので、彼女はこのギャップに笑いを堪えていた。
そして配り終えた彼女は。同じく隣の車両に残りのペットボトルをパスして戻ってきた。
そんな頑張り屋さんの彼女に、競馬男は話しかけてきた。
「あんたさ。隣の車両の人に詳しい話を聞いてくればよかったのに」
「聞いてきましたよ」
……でも。なんか教えたくない。
彼女はあえてちょっと黙っていたが、小学女子が心配そうな顔をしていたので、はあと息を吐いた。
「強風で電線が切れて。この電車は動かないそうです。今は復旧工事のために応援がここに向かっているそうですよ」
「時間は?」
「そこまではわかりませんね!」
その時、車内にアナウンスが流れた。来た!と一同は体制を整えた。
『乗客の皆様には、大変ご迷惑をおかけしております。只今この電車は、恋上空港駅をでて、愛生駅に向かっておりましたが』
「もうそこはいいよ」
女子高生の呟きは全員の声を代弁していたが、彼女だけは隣の車両のドアが開かない様に押さえていた。
『強風で電線が切れ、復旧工事のため現在鉄道職員がこちらに向かっています。もう少々お待ちください……』
これに耳の遠い老男性は娘に尋ねた。
「はあ?なんだって?」
「お父さん!線が切れて。まだ直らないってさ」
「そうか。線はそう簡単に直らないしな。枕木かな……」
制服が違う男子高校生と女子高生の二人。この老人がこの線をまだ線路だと思っている事に堪え切れずに、吹き出していた。
夕暮れの電車。みんなも爆笑していた。
つづく
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