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コツコツコツ…。高いヒールの音が一定のリズムを刻んで響く。 「おい、見ろよあの人。」 「うっわ…キレー。」 その音に気を取られ、振り向いた人々は皆、その音の主に目を奪われてしまう。 サラサラで艶やかな黒髪をなびかせながら、ジャスミンの香水をつけた女子大生。教材を持って歩くその姿さえも様になっており、男女問わず誰もが魅了されてしまう…。その人の名は、 「澪ちゃーん!」 そう呼ばれた彼女は、クルリと振り向きニコッと笑った。 「おはよう。」 首を傾げ、髪の隙間からチラッと見えた銀色の三角のイヤリングが揺れる。 「はよ〜。今日も今日とて、注目されとりますなぁ。」 ニヤニヤと澪の顔を覗き込むのは、彼女の友人の彩葉だ。 「え!?…やっぱり今日の格好おかしかったのかなぁ。」 シュン…として首元の服を引っ張って見る澪に、彩葉はいやいやいやとツッコミを入れる。 「鏡を見てみなさい、鏡を。」 「うーん…はっ!もしかしてメイクが下手だった!?」 「ちっがーう!」 彩葉の言いたいことに全く気づかず華麗にすり抜けていく澪に、彩葉はなぜそんなに鈍いの…と項垂れた。それに澪は訳もわからずに、申し訳なさそうに笑ってみせた。 「…って言ったのよ!」 「ま、まぁまぁ落ち着いて。」 「あんの柳ダサ先、マジ許さん。」 「柳田先生ね。私はあの先生結構好きだけどなぁ。」 「はぁ…いいなぁ。澪ちゃんはどんな先生でも平等に接してるよね。私には出来ないわ。そんな心の広さが欲しーい!」 講師の先生が開始時間に遅れ、講義室がザワザワと騒がしくなる。90分ずっと退屈な話を聞かされる大学生にとって、先生が遅れるというのは嬉しくてテンションが上がることなのだ。話をする者、ゲームをする者、お菓子を食べる者…。皆それぞれ楽しそうに、自由行動をしている。彩葉も同様、遅れた柳田先生の文句を垂れ流していた。それを澪は苦笑いを浮かべながら、落ち着かせようと話をする。 「澪ちゃんは何であの先生好きなの?」 「だって理不尽なことも多いけど、ちゃんと生徒を見てくれてるじゃない?授業もただひたすら話すんじゃなくて、自分の経験の話をしてくれるし。」 「経験って…。私にはただ自慢話されてるようにしか聞こえないよ。」 「彩葉ちゃんは柳田先生嫌いだもんね。…あ、噂をすれば。」 澪が目配せした所から、しかめっ面をした男が入ってきた。中年の腹が出た、あからさまに性格が悪そうな講師。彼を見るなり彩葉は、ウゲーっと舌を出す。 「こりゃ何かあったでしょ。あの人の愚痴から始まる1日とか、マジダルいんですけど。」 とその間に先生は教卓へとズンズンと進んでいき、バンッ!と机を叩いた。教室は一瞬シーンと静かになったが、すぐにクスクスと密かな笑いが起こった。柳田先生は小さな事ですぐ怒りやすい性格なため、こういう授業の始まりは初めてではないのだ。 『今日はなんだろう』という生徒の興味津々な瞳が一点に集まる。それを柳田先生は、『私は生徒から好かれている』と勘違いをし、ゴホンと咳払いをして話し始めた。 「えー、今日私遅刻をして忙しかったんですよ。なのに!なのにですよ!?コンビニで商品を買っていたら店員が新人なのか知りませんが、もう遅くて遅くて…こちとら授業に遅れるだろ!と思って、もう会計終わったら奪うように商品をもらってきましたよ…。全く最近の若者は丁寧を極めても、スピードを極めることを忘れているんじゃないですか?皆さんもね…」 「それ寝坊したのに、コンビニ行ったあんたが悪いでしょ。」 先ほどまで黙って話を聞いていた彩葉が、そうボソッと呟いた。2人の席は後ろだから声は届いていないものの、澪はまぁまぁと声を掛けた。 「急遽コンビニで何か買わないといけなかったかもしれないじゃん?薬とかさ。」 「あー確かに。…センセー!何買ったんですかぁ?」 「あ?タバコだよ。」 「ココ禁煙ですよ〜?」 「分かってるわ!授業が終わったら外で一服しに行くんだよ!」 そう怒鳴られた彩葉は、チッと舌打ちしてムスッと背もたれに背を預けた。 「ったく、それじゃあ急いでる朝じゃなくても良くない?」 「た、確かに…これは先生にも非があるかも。」 「いやいや、100%あいつが悪い!」 そう言い切る彩葉は、先生の話をもう一切聞かず横を向いていた。そしてそれは授業を受けているときでも同様だった。 「じゃ、澪ちゃんバイバーイ。」 「うん、また明日。」 遠くからブンブンと腕を大きく振る彩葉に、澪は軽く掌を揺らした。そして駅へ向かい、いつも通り女性専用車両に乗る。女性専用車両に乗るのは痴漢防止のためでもあるが、彼女の場合ナンパが絶えなくなるためだ。そうして自分の部屋のある高層マンションへ着き、足を踏み入れる。エレベーターに乗り込み自分の階まで上がる。"6"と書かれた階の1番奥の部屋に入って、鍵をかけたのを確認した途端、 「はぁ……うっざ。」 リビングへ向かい、持っていた鞄を適当になげおく。ソファにドカッと座り、後に首を項垂れた。 「どいつもこいつもバカばっかり。何が『キレー』よ。他に言葉は無いのかよ。それにこんなにも周りから注目されてんのに、自覚してない女はただのバカ女よ。全く…天然知的優しいキャラなんて面倒臭いだけね。ストレスが溜まるわ。」 プシュッと無糖炭酸水を飲み、親父のような息をつきながら机の上に置く。 「…あ、忘れてた。」 と言って洗面台に向かう。ヒアルロン酸を配合されたメイク落としを手に取り、優しく顔を洗い流す。 (なるべく顔に摩擦を与えないように、そっと…。終わった後はタオルを抑えるようにして、水を拭いて、と。) 「ふぅ…今日も頑張った。」 冷蔵庫からカット野菜を取りだし、塩をまぶして頂く。テレビをつけると、オープンしたてのカフェの特集をやっていた。パフェやらパンケーキやら、キラキラと輝いた食べ物が映る。 (そういえば、カフェ行こうって誘われてたんだっけ…。) 『何とこちらのパフェ!総カロリー783kcalもする、満腹感一杯のパフェなんです。ぜひお越しくださ〜い。』 「うげっ。こんなのデブの元じゃない。」 そう呟きながら澪は、最後の一口を口に押し込んだ。草の味しかしない野菜を、ただただ噛んで体内に入れる。水を一気飲みし、口にあった草の匂いを完全に消しとった。 (まぁ、コレよりは美味しいんでしょうね。…でもあの頃にはもう戻りたくない。) 澪は自分のお腹の肉を引っ張る。ビョーンと薄い皮が伸び、以前どれほどお腹周りが広かったのかが分かる。 『ねぇあの子ってさ…クス。』 『ちょっとヤバいよね…クスクス。』 脳裏で静かな笑い声が横切る。澪は冷ややかな顔を浮かべて、過去のヤツらのことを思い出した。 (自分達だってデブだったくせに、ちょっと私の方が太いからってよく言えたわよね…。でももう今の私は違う。) スタスタと全身鏡のある部屋へ向かう。そこに写っているは細い手足、白い肌、小さな顔に二重の大きな瞳…。誰がどう見ても美人だ、可愛いと言う完璧な容姿。 「あと半年…あと半年後に成人式がある。その時までにもっと完璧になって、あの日の言葉を後悔させてやるわ。」 鏡の中に写る彼女の瞳の奥には、憎しみと怒りの炎がメラメラと燃え上がっていた。
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