眠れない子ども

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眠れない子ども

ヌエは、不眠症の子どもです。 目元はパンダのように可愛く、いつもお気に入りの、ニワトリのぬいぐるみを抱いています。 今日も、ぬいぐるみをギュッと抱いて、公園に向かいます。 そこで、友だちの輪に入ろうとしますが、ヌエの顔を見た子どもたちは、「怪物が来た!」と離れていきます。 ヌエは、落ち込みます。 きっと、この疲れ切った目元が原因で、ゾンビに見えるのでしょう。 なんて、愚かな子どもたちでしょうか。 ヌエの苦労を知らないで言いたい放題。 この目元には、ちゃんとした理由があるのですが、彼等は、本当の友だちではないから言えないのです。 ヌエは、一人でぬいぐるみ遊びをします。 「ニワトリキック…」と、弱々しい声で言って、見えないモンスターと戦います。 頭上に浮かぶ雲が流れ、鳥や虫が帰る頃、空は真っ赤に焼けていました。 ふと周りを見渡すと、せわしい子どもたちの姿が見当たりません。 家族が待つ家に帰ったのでしょう。 ヌエも、帰り道が暗くなる前に、夕暮れの道を急いで帰ります。 家が見えてきました。 二階の窓が、開いているのが見えます。 母親が、嫌な空気を追い出す時に開けたのかもしれません。 だけど、ヌエは、窓の向こうに何かがいると感じるのです。 家には、家事でせわしい母親が一人でいます。 ザクザクと、包丁でにんじんを殺していきます。 その人差し指を見ると、包帯が巻かれていて、赤く血が滲んでいました。 ヌエは、眼を見開いて疑い始めます。 母親の他にも何かがいて、母親の指を噛んだのではないのかと…。 人の指を噛むなんて、余程の寂しがり屋か、絵本の中に住んでいる「怪物」しかいません。 そう考えると、二階の窓が開いていたのも、怪物が家に侵入した時の閉め忘れ。 あるいは、怪物がヌエのことを 喰らう暗示かもしれません。 だんだんと、不安が増していきます。 リビングに飾られていた、花瓶の花びらが、ハラリと落ち、追い討ちをかけるかのように、壁にかけられた、絵画の紳士が、人さらいのように迫ります。 ヌエは呻いて、ぬいぐるみを強く抱きしめ、二階の子ども部屋に逃げて隠れました。 こうなると、ヌエは落ち着くまで部屋から一歩も出てきません。 母親は、そんなヌエの事が、ずっと心配でした。 夜がやってくると、不安は更に増します。 食事も、半分残してしまいました。 窓の外は、怖いくらいに、暗いのに、母親を安心させる「おやすみ」が、なかなか言えないのです。 母親は、ヌエをベッドに寝かせると、いつものように自分も入り、絵本を読み聞かせます。 母親の顔を不安そうに見つめるヌエは、ずっとこのまま一緒にいたいと思いますが、 三冊目の絵本が終わりに近づくと、その話に、しあわせが訪れていなくても、母親の疲れが限界に達すると、突然終わるのです。 母親が、部屋の明かりを消すと、ヌエは暗闇に取り残され、部屋のあちらこちらから、何かに見られている気がして、不安になります。 ヌエは、ニワトリのぬいぐるみを強く抱きしめて、無理に瞼を閉じました。 しばらくすると、しんとした中、かすかに声がします。 「グへへ、コイツはうまそうだ、舐めたら塩味が利いていて、生が旨そうだ」と、耳障りな声に、ベッドの下で物音がします。 おそらく、怪物がベッドの下に潜んでいるのです。 少しでも隙を見せれば、きっと長い爪で、首を掻き切られて、ベッドの上で絶命です。 ヌエは、ガタガタとふるえ、眠れぬ夜を過ごしました。 こんな日がずっと続いているのですから、その目元は黒く、今にも誰かに噛みつくゾンビに見えるのです。 もう、友だちにゾンビだなんて、言わせたくありません。 もしも、怪物がいなくなれば、ゆっくりと眠れ、友だちの輪にも入れ、パンダのように、人気者になれるかもしれません。 その為には、先ず、あの憎い怪物を 退治しなくてはなりません。 だけど、どうすれば怪物を 退治する事が出来るのでしょう。 ヌエは、母親に、怪物がいて眠れないこと、それが原因で、友だちができないことを相談します。 母親は、返答に悩んで答えます。 「自分が強くなれば、その怪物はいなくなる、弱虫は嫌われてしまうわよ」と。 母親は、ヌエが大事そうに抱いている、ぬいぐるみを撫でながら、糸のほつれを見ていました。 もう、そろそろニワトリとは、さよならの時期なのかもしれません。 ですが、意味が分からないヌエは、落胆します。 大好きな母親にも、見捨てられたと思い込み、遺影の中で笑う、父親の前で泣くしかないのです。 声が枯れるくらい泣く日が続いて、公園でも一人ぽっち。 子どもたちからは、ゾンビと言われ、家では怪物の存在に悩まされ、夜も眠れない。 どんな方法を使ってでも、眠らないと、いつかは体を壊してしまいます。 ヌエは、ゾンビのような、不自然な歩き方で公園に向かいます。 ニワトリのぬいぐるみを乱暴に握り、見えないモンスターと戦い、いつかに備えます。 その遊び方は、ヌエの苛立ちを表すかのように、だんだんと過激になっていきます。 ニワトリのぬいぐるみを 何度も地面に叩きつけて、ニワトリキックと呪いのように呟き、見えないモンスターを殺せたと思うと、ニヤリと笑うのです。 子どもたちは、その様子を 少し離れた所から見て、怯えていました。 家に帰るとヌエは、母親に話もせずに、二階の子ども部屋に閉じ籠もり、考えます。 誰も役に立たないならば、自分の力で退治するしかありません。 ヌエはニワトリのぬいぐるみを ベッドにポイッと放り投げて、剣と盾を 探しに出かけました。 母親の眼を盗んでキッチンに忍び込み、先ずは、鍋のふたを手に取ります。 これで怪物の爪による攻撃を防げます。 次に手に取ったのは包丁です。 にんじんを殺せるなら、怪物も殺せると思ったからです。 これで、戦いの準備は整いました。 武器は枕の下に隠し、あとは怪物が現れるまで待つだけです。 ヌエは、「グへへ」と、笑いました。 さぁ、夜がやってきました。 朝から何も食べていないから、顔はゾンビのようで、頭もガクガクとします。 しんとした中で瞼を閉じ、怪物の気配を感じ取ろうとします。 耳をすますと、普段は聞き取れないドアの開く音がし、怪物がベッドの下へ忍び寄ります。 ヌエは、警戒しながら、瞼を開くと、枕の下に隠していた鍋のふたと包丁を手にし、這うようにベッドから降ります。 そして、鍋のふたを自分の心臓を守るように持ち、包丁を握りしめ、ベッドの暗い隙間目掛けて、力いっぱい突き刺しました。 怪物の呻き声を聞けたら、引き抜き、何度も突き刺します。 怪物は、悲鳴をあげて、部屋から逃げ出しました。 逃がすわけには、いきません。 家から追い出すのではなく、殺すのです。 ヌエは廊下に飛び出し、怪物を探します。 階段を降りていると、怪物の声がします。 声や物音は、母親が眠っている寝室からです。 母親の苦しむ声がします。 扉をゆっくりと開くと、怪物が、母親の首を締めて、ベッドをギシギシと、揺らしていました。 あいつが、ヌエの眠りを妨げる者、怪物の正体です。 気付かれないように、怪物の背後へ忍び寄り、怪物の肩から顔を覗かせて、母親と眼が合ったのを合図に、包丁を振り上げました。 怪物の悲鳴が引き絞られ、ベッドから転げ落ち、母親が泣き叫びます。 ヌエは逃がすかと、斬りかかり、背中を何度も突き刺し、穴ぼこだらけにしました。 包丁も、鍋のふたも、こんなに血まみれでは使い物になりません。 武器を床に放り投げます。 これでゆっくり眠れます。 ヌエは、死んだ怪物に、抱きついたまま泣いている母親に、「おやすみ」と言うと、二階の子ども部屋のベッドに入り、ゆっくりと瞼を閉じました。 ですが、眠れません。 そう、まだ怪物はいるのです。 ヌエが、ベッドから降りると、もうひとりの怪物が姿を表し、窓の前で笑っていました。 その正体は、糸のほつれた、大きなニワトリのぬいぐるみです。 「おい、オマエ!6歳になっても、ぬいぐるみ遊びをして恥ずかしくねぇのか、そんなので、友だちができると思ってたのか!母親に言われたように、もう少し強くなれよ!」 ニワトリのぬいぐるみは、ぺちゃくちゃと、ヌエの悪口を言いたい放題。 ヌエはあたまをガクガクさせます。 もう限界です。 こいつを黙らせれば、眠れます。 この怪物を 殺す方法はひとつ。 ヌエは、後ろへ下がり、怪物目掛けて体当たりしました。 怪物は、断末魔をあげながら、二階の窓から落ちていきます。 窓の下には、二人目の怪物の死体が、ガラスの破片でキラキラと見えていました。 これで、誰にも邪魔をされずに、ゆっくりと眠れます。 眠れるって本当にしあわせなことなのです。 ヌエは、星空の下で眠れる、しあわせな子どもでした。
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