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火加減を誤って焦げ付かせた鍋を力任せに洗っていた僕は、手を止めて言った。
「どうして」
「……言わなくても分かるでしょう」
答えずにいると
「何もやましいことがなくても疑われてるみたいで嫌だし、そんな顔されるの分かってて帰ってくるのも嫌だし」
溜息混じりに彼女は言う。
「だから」
「だから?頭のおかしい夫がうるさいので出張には行けませんとでも上司に言うのかい」
「そんなこと言うわけ」
「別にいいさ。言っても。事実なんだから」
殴り付けるようにスポンジで強く擦った拍子に手が滑って、流しにぶつけた鍋が大きな音を立てた。
「……ごちそうさま」
彼女は席を立って、自分の部屋へ行った。
自分が悪いのは百も承知だ。
けれど、許せないのだ。
僕から彼女を奪う可能性のあるものが。
自分の収入だけでは不安定で、彼女の収入があるから生活出来ているのは分かっている。
それなら作家などやめて他の仕事に就けばいいのに、自分の性格的に務まらないのも分かっている。
なのに、仕事を理由に家を空けられるのは嫌だ。
それが男と一緒の泊まりともなれば尚更で、自分がお世辞にも誉められた夫でないのが痛いほど分かっているから、彼女が他の男に走っても無理ないことも分かるから一人の夜は針の筵に座らされている心持ちになる。
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