洗礼

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洗礼

   晩飯には久しぶりに花が来た。食べにではなく、弁当を買いにだ。 「珍しいな、真理恵は?」 「風邪。だから弁当」 「大丈夫なのか?」  子宮筋腫の手術をしてから寝込まなくなったが心配になる。 「花月が引いたんだよね、その次が花音。そしたら真理恵。風花がまだだから戦々恐々! 日中は茅平のお母さんが来てるからいいんだけどさ。夕飯はなごみ亭で買ってくからって言ったんだ」 「じゃ、真理恵と子どもたちの分は別口で作るよ。お前のもな」 「わ、助かる! ね、きんぴら、」 「だめだ。真理恵の許可が出るまで唐辛子とは縁を切れ」 「じゃ、ずっとダメじゃん!」  そんな話の脇を3人の若手がぶつぶつ言いながら通っていく。 「話違うよな、いきなり案出せって」 「なんだよ、今頃になって。だいたい辞めてんだから最初っから口出す方がおかしいだろ」 「夕飯がタダになるから来てただけだから。出すのは飯だけにしろって」  花の顔つきが変わった。3人は旅行の幹事になっている若手だ。今日は奥で旅行の幹事会をやっていた。そのグチを呟きながら出て来たのだ。喋るのに夢中だから花がいるのに気づかなかったのだろう。  出て行く後ろで花が立ち上がろうとするのを蓮が止めた。 「いい、怒るな」 「だってジェイのことでしょ、なにガタガタ言ってんだよ、手伝ってもらってて」 「おおよそのことは察しがつく。いいんだ、あいつも少し揉まれなくちゃな」 「だって!」  言い合っている内に、すごすごとジェイが出て来た。花を見てぱっと顔が明るくなる。 「花さん! 来てたの?」 「お前、なにかあったんだろ?」 「え……ううん、別に」 「言えって。出てった連中、幹事だよな」  花は話を聞く前からすでに怒っている。 「……」  蓮は想像がついている。今までジェイ主体に話が進んでいたのを急に話を振られて3人が不貞腐れたのだろうと。 「花、若い連中を怒るな。仕方ない、こいつも洗礼を浴びたってことだ」  今までジェイは若いメンバーにこんな反応を受けたことが無い。だからジェイは戸惑って…… (いや、辛いんだよな。でもな、知らなきゃならないんだよ、自分の立ち位置を。だからオブザーバーに徹するべきだってことをな) 「……ジェイ、いつだって聞いてやるから。なにかあったら相談しろ。いいな?」  耳に口を寄せて小声になる。 「蓮ちゃんに内緒だっていいから」 「聞こえたぞ。ジェイ、奥は片付けたのか?」 「これから」 「じゃやって来い」 「はい」  花が心配そうに言う。 「ジェイ、一生懸命にやってると思うよ。辞めてからだって」 「だからだ、花。辞めた人間だっていうことを忘れちゃいけない。俺も去年間違った」  そうだ。ちょうど社員旅行の時だった。突然過去の人間になったことを自覚した…… そして今年、退院してからきちんと卒業できたのだ。 「……難しいんだね。俺はまだ辞めてないから分かんないし。同じ気持ちになるのかな」 「みんなそうだろ。定年で辞めた人間含めて。辞めた途端に過去の人間になる」 「俺たちそんな風に思っちゃいないよ!」 「だが若い連中にしてみれば知りもしない人間に外から口を出されるんだ。ジェイのことだ、忙しいだろうから任せてくれなんて言ってたんだろう。それを急に話を振ったからああなったんだ、多分」  
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