祝杯

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祝杯

   バーベキューで散々飲み食いしたせいか、夕食は皆控えめだった。子どもたちは早めに布団に入れられて、どの顔にも幸せそうな疲れの見える寝顔になった。  そして、大人たちの時間となる。  シャンパンが注がれ、陽子を始め、アルコールの飲めない者にはノンアルコールシャンパンが注がれた。  これは誰もがまさなりさんの手配だと分かる。こんな寮にシャンパンがあるわけがない。花も目を瞑った。せっかくの井上夫妻のお祝いだ。  乾杯の音頭を任された横山が、緊張の顔で立つ。 「こんなにおめでたい席の乾杯を任せてくださって、皆さんに感謝します! 一つだけ、乾杯の前に言わせてください。俺たち幹事3人は、大きな思い違いをしていました。この幹事という仕事を『厄介ごとを押し付けられた』そう思っていたんです。けどやっている内にやりがいを感じ始めました。今は期待されていることが嬉しいです! こんなに職場の皆さんと一体になることが楽しいと思ったのは初めてです! だから、この乾杯の音頭、幹事3人でさせてください!」  谷崎と高田が立ち上がった。横山は先を続ける。 「井上博さん。井上陽子さん。おめでたい知らせをありがとうございます! そして私たちに喜びのおすそ分けをありがとうございます!」  横山は谷崎と高田に目を向けた。高々とグラスを持ち上げる。3人の声が揃った。 「乾杯!」 みんなの「乾杯!」の声が続く。シャンパンを口に含んで大きな拍手が続いた。  陽子たちの席に群がるメンバーたちの脇で、哲平が3人を呼んだ。 「お前たちに任せて良かったよ」 「こちらこそ! 幹事をさせてくださってありがとうございました!」 「この調子で最後まで頼むぞ」 「はい! 任せてください!」  3人の中に共通意識が芽生えている。この旅行を成功させたい。最後まで楽しんでもらいたい。  陽子たちは祝福の声に埋もれた。いくらノンアルコールでも注がれっぱなしだと気分の悪さに繋がる。途中でウーロン茶に変えて、少しずつ飲んだ。代わりに浜田が飲まされる。 「父親になる気分はどうだ?」 「嬉しいよ! 本当に父親になるんだよな?」 「何回聞くんだよー」  事情を知らない者も多い。だからそんな言葉が出る。けれど何回でも聞きたいのだ。  蓮は離れてそれを見ていた。心の中で嬉しくて何度も(良かったな)と呟いている。 「蓮」 「ん?」 「良かったね。浜田さんのあんな顔が見れて。俺もすごく嬉しいんだ」 「そうだな。俺も嬉しくて堪らないよ」 「うん」 「まだ動かないか」  そんなことを言いながら澤田が陽子のお腹を触ろうとした。とたんにその手が強く叩かれた。橋田だ。 「澤田氏、今触るのはセクハラです」 「そんなぁ、違うよ、俺は好奇心で」 「セクハラです。言い訳無用です」  澤田が大人しく引っ込んだ。 「えらく簡単に引っ込んだな」 「橋田はきついんだよ、俺には」 「特別待遇ってわけだ」 「全然有難くないよ!」  哲平は多少の違和感を感じている。確かに橋田は澤田に対する当りがきつい。 (そんなに嫌ってるのか?) そんなことを考えた。  疲れの色が見える陽子を気遣って、浜田は早々に宴会から離脱した。部屋に戻り、そっと陽子を抱きしめた。 「俺に子どもをありがとう!」 「本当は……怖かったの。受け入れてもらえないかもしれないって」 「トラウマはね、消えたよ。そう思う」 「本当!?」 「うん。だとしたら陽子のお陰だ。そしてこの子の」  浜田がそっと陽子のお腹を撫でた。 「無理するなよ。仕事だって休暇にして構わないから」 「様子見ながらにする」 「そうしてくれ。職場でも目と鼻の先だ。良かったよ、いつでもそばにいられるから」 「帰りは一緒に帰れるね」 「ああ。一緒に帰ろう」  もう1人になどしたくない。  熱いキスを交わした。けれどそこまでだ。大事にしたい、この体を。お互いに思いは一つ。元気な子どもを産んで育てたい。  夫婦の優しい夜が深まっていく。  
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