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ガラス館の周りには洒落たカフェやレストランが多い。その中のカフェの一つに入った。ぎりぎりランチの時間。橋田と澤田はメニューの多さに目を奪われた。
橋田は、会津味噌を絡ませた唐揚げランチを。澤田はエゴマ豚という福島オリジナルの豚肉を使ったメンチカツ定食を頼んだ。中からとろりとチーズが零れてくる。
しかし、美味しいランチを前にしつつも、2人の会話は途切れていた。長く同じ職場にいるのにほとんど会話らしい会話をしてこなかったことに気づく。黙ってばかりも……と、澤田が口を開いた。
「橋田は」
「澤田氏、」
また黙る。互いに心地悪い。今度は橋田が唐突に喋り出した。
「橋田、橋田、って言うけど、下の名前知ってますか?」
「え、あ、……えっと」
考えてみたことも無かった。
「『奈美』です。橋田奈美」
「ああ、そうだった。ごめん、知ってたはずなんだけど」
「いいです」
そこでまた途絶える。今度は澤田が聞いた。
「俺の下の」
「潤さんですよね、知ってます」
「あ、そう」
これは堪らない。会話になっていない。
「美味いな、この店」
「そうですね」
「窓の外、いい眺めだ」
「それがこの店の売りでしょうから」
とうとう澤田は頭に来た。
「俺といるのがつまんないならそう言えよ!」
「そっちこそ! なによ、一つ違いの癖にいつも偉そうに」
「なんだと!? いつ俺が偉そうにしたんだよっ」
「お客さま」
いつの間にかウェイターが近寄っていた。
「申し訳ございません、他のお客さまもおいでですのでどうかお静かに食事を楽しんでいただけませんか?」
「あ……すみません。もう大丈夫です」
また無言になった。
その内、橋田が笑い始めた。むすっとしていた澤田もちょっと笑いそうになって顔を逸らす。
「馬鹿みたい、子どもみたいに騒いで」
「お前がいけないんだろ、ケンカ吹っ掛けて来るから」
「お前?」
「あ、いや、橋田、さん」
くすくすと橋田が笑い続ける。
「澤田氏、やっぱりここ、あなたが奢ってよ」
「はぁ? やっぱりって、最初お礼も込めて奢るって言ったの、お前だろ!」
「しぃっ、さっきの店員がこっち見てるわ。私の名前、知らなかったでしょ。その罰よ」
「全く」
「だいたいすぐに『割り勘』って言うのは関西人の悪い癖だわ」
「そういうの、偏見って言うんだ。関西でそれ言ってみろよ、叩かれるぞ」
「私も関西出身なの」
「え、どこだよ」
「京都。小さい時にこっちに来たけど」
「なるほどね。京都の女はきついって言うよな」
「それも偏見でしょう」
妙な話題ではあるが、最初よりずっと平和的に盛り上がっている。
デザートは橋田はオレンジソース掛けのガトーショコラ。濃厚なバニラアイスが添えられている。コーヒーはポットで来たからたっぷりだ。
澤田はグレープフルーツの爽やかなロールケーキ。
「美味い! これなら花も食えるんじゃないかな」
「あなたの同期ってみんな偉そうよね」
「みんなって、2人だろ」
「他の部署でも。高飛車で辛辣で」
「一緒にすんなよ」
その頃には2人とも笑顔で軽い悪口を言い合っていた。
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