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ほろ苦い青春
ふと、俺は自分の懐に手を入れる。
手に触れる確かな感触…俺は繁華街で吸ってから、あれ以来、タバコを我慢していた。
だが、捨てることも田中に返すことも出来ないまま、今日までタバコとライターは所持している。
…吸ってしまおうか。
手に触れていたタバコの箱を取り出すと、気付くと俺はライターも出していた。
俺は風下なのを確かめてから、タバコを1本口に咥える。
そしてライターで火を点けた…。
しばらくぶりに吸うタバコは俺の心を落ち着かせる反面、吸ってももう叱る凛が居ない事に一抹の寂しさを覚える。
繁華街で吸った時は、凛に見つからないようにって吸ってたのによ。
妹が居たら…あんな感じだったのか…?
答えは出ないまま、俺はじっくりとタバコを堪能した。
空が綺麗なオレンジ色に染まり出した頃、俺は短くなったタバコを地面に落として、足で踏みにじって火を消す。
母親らしき女が次々とガキの迎えに来て、親子揃って手を繋ぎ、それぞれの家に帰って行く中、俺もベンチから立ち上がった。
俺には何故お袋が居なかったんだろう。
死んだばーちゃんの話によると、俺がまだ赤ん坊の頃に死んだとしか聞かされていない。
俺は帰路に着きながら、いつしか親父の部屋に置いてある仏壇での、お袋の写真が無いのは何故だろうと考えながら、屋敷に向かって歩く。
だが答えは出ないまま、屋敷にたどり着いた。
今日は屋敷に親父が居るが、お袋の事を聞くのは何となく気が引ける。
俺は千夜組と書かれた表札の直ぐ下にある場違いなインターホンを押した。
少しして聞き覚えの有る声が聞こえてくる。
『何もんだ?!』
「田中、俺だ」
『これは坊ちゃん、失礼しやした』
「田中」
『はい?』
「…いや、何でもねー」
『?坊ちゃん、今、扉を開けますんで』
田中の言葉通り屋敷の門が左右に開いていく中、俺は不審な人物が居ない事を確かめると、屋敷の中に入って行った。
田中は、酒井の家族の事情を知ってるんだろうか。
そう思っても、田中に直接聞く事は憚られる。
俺は何事も無かったかの様に親父や田中達組員と夕飯を食った。
夜。
自室に戻った俺は今日がバレンタインデーだと思い出し、カバンに入れっぱなしだった、凛がくれたチョコレートを食ってみた。
「…美味いな」
凛…もう会えないだろうが幸せになれよ。
こんな事なら連絡先くらい交換しとくんだったか。
凛との思い出に心を馳せながら、俺は窓を開けて冬の香りを部屋に取り込む。
チョコレートは、ほろ苦い味がした。
完
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