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お茶会へようこそ 2
モーリーを邸へ呼んだのは、ラウラだった。
元はと言えば去年の秋のこと。冬支度に追われて疲れ果てたラウラがお茶の席でつぶやいたのだ。
「ここ、人手が足りなさすぎではないでしょうか」
連日薪割りと邸の修繕、冬へ備えての衣服や夜具を整え、食料を蓄える。そんな仕事が夏の終わりから地道に続けられていた。それ以前に、リーンのところへ来てすぐに、小麦の刈り入れをラウラは手伝った。小作人は二家族いるが、初老の夫婦と独り者の中年男性の三人だ。少ない農地とはいえ、手が回らない。
リーンの勉学のためにとラウラは雇われたが、内実はなんでも屋だった。
「これでは、リーンの勉強に差し障りがあります。それに、わたしが図書館から借りてこられる本にも限界が」
「どこからどう手を回したのか、一度に二冊までなんて。期待はずれですわ」
ばあやさんは、愚痴をこぼしつつラウラの前にお茶と菓子を並べた。司書見習いのラウラなら五冊は借りられたはずだが、いずこからか横やりが入ったらしい。
「すぐ読み終わっちゃった。新しいのが読みたいんだけど」
遠慮がちにリーンがラウラへと視線を送る。
「とはいえ、アルマサナスまでは馬でも二日近くかかりますし。先日のようなことがまた無いとも限りませんから、リーンさまはここから出ないほうがいいでしょう」
ばあやがリーンの要望をやんわりと遮る。
夏の終わりに、リーンは二人組に襲われた。幸いなことにラウラが体を張って、難を逃れたがラウラの怪我はようやく治ったばかりだ。
「できれば、わたしが留守の時でも安心して任せられる誰かがいれば。ついでにその人名義で本も借りられたら」
アルマサナスの図書館から本を借りてこられるのは、アルマサナスに学籍があるか、職場がある者だけだ。
ラウラは腕組みして考えた。誰かいないだろうかと。
「そんな難しい顔をしないで、ラウラ。今日はばあやがメレンゲを焼いてくれたんだよ」
ほら、とリーンはラウラの口に低温で焼いたメレンゲを押し込んだ。甘く口の中で溶ける、繊細な菓子だ。
「ばあやの手料理はなんでもおいしいけど、とくにお菓子は最高においしいね!」
両手にメレンゲを持つリーンをたしなめるべきかどうかラウラ悩む間に、ばあやがリーンの前に皿をおいた。
気づいたリーンがメレンゲを皿にのせるあたり、やはりしつけられている。
ラウラも薄いピンク色のメレンゲを口に入れた。
確かに、ばあやの菓子はどれも絶品、と思ったときにラウラの脳裏にとある人物が思い浮かんだ。
「あ、……でも、いや、うーん」
やってみる価値はあるかもしれない。
「ばあやさん、お願いがあります」
作戦会議が始まった。
モーリーは図書室の書庫の奥にいた。
入口正面の受付横の扉から中へ入ると、何列もの書架が平行に並んでいる。本を借りたい者は受付で申手続きをする。本を探して持ってきてくれるのは司書見習いの仕事だ。利用者は本棚から本を選び取れないようになっているのだ。書架の林を歩けるのは、正司書と司書見習いたちだけだ。ラウラは見知った司書たちに会釈をして奥に進んだ。
多くのものが本を抱えて小走りに行き交う先、モーリーは一人窓際で本をひもといていた。そこだけ静寂に包まれているように思えた。
「モーリー先輩」
ラウラの呼びかけに、モーリーは背中を向けたままで右手を挙げた。
ラウラとモーリーの間には大きな作業台があり、司書見習いたちが正司書についていて、壊れた本の補修を習っていた。紙を選び、切りそろえ、破れた頁に筆で糊を丁寧に塗り付け、万力で固定する。
表紙を開いたところの紙―-見返しが破けて広げられたもの。本文を綴じている糸が切れて頁が落ちそうになったもの……一冊一冊直してはまた書架へと戻される。
正司書の熟練の技は、まるで魔法のように本を生き返らせていく。自分の不器用さを思い、ラウラは眩暈がした。本来は、ラウラもここにいて技術や知識を学ばねばならない。
手前の集団のざわめきをゆき過ぎて窓のそばへたどり着くと、手元の本に栞を挟んでモーリーが振り返った。
「賊に襲われたと聞いたが、大丈夫じゃないか」
銀の細い髪を白い指先でさらりと耳にかけ、ラウラを見あげる瞳はすみれ色だ。
「大丈夫じゃないです。ひと月ほど、寝たり起きたりでした」
「それはとんだ災難だったな」
足を組み、頬杖をつくモーリーは周りから浮いている……と、いうか遠巻きにされている観がある。あと少し背が低かったなら、ガブリエル・ガブリエラにも推挙されただろうと噂されるほどの美貌とラァス学舎で主席だったという才色兼備であるが、モーリーは人を寄せ付けない。
「モーリー先輩が言った通りでした。石礫で打ち殺されそうになりました」
「名家の跡目争いとはいえ、露骨なものだ」
ふふっと笑うと、モーリーは読み終わった本を右側に寄せ、数冊積まれた本を手に取った。
「いちど、遊びにいらっしゃいませんか」
「ごめんだね」
にべもなく答えると、モーリーは本を開く。
一度は断られるのは、計算済みだ。
「とても静かな場所ですよ。わずかですが、本もあります」
「どうせたいした資料価値のない本だろう」
鼻で笑うとモーリーは再び本を開いた。
「でも、ここで毎日本を読み込むだけより、楽しいと思いますが?」
「何が言いたいのかな、ラウラ」
モーリーは本を静かに閉じてラウラを見据えた。
「先輩ほどの人が、ここに閉じこもっているのは宝の持ち腐れです。どうか、リーンの勉強を手伝ってはくれませんか」
「跡目争いに首を突っ込んで。そば杖をくらうのはごめんだ。断る」
ラウラなモーリーの頑固さを知ってはいたがあまりのかたくなさに天をあおいだ。
「そうですか。残念です。ではわたしは本を借りて帰ります。おっと。忘れていた」
ラウラはもってきたバスケットを作業台に乗せて蓋を開けた。
「これは、わたしの仕えるリーン様より、みなさまへの差し入れです。どうぞ召し上がってください」
蓋を開けたそばから、甘い香りが漂う。作業を中断して司書と司書見習いがどっと集まる。ばあや特製のクッキーやタルトに次々手が伸ばされる。
「うまい!」
「これは、絶品だな」
普段無口な司書長が小さくつぶやく。
「ちょっ、ちょっとまてラウラ!」
「何でございますか?」
人垣の外からモーリーが叫ぶ。他人より背が高いので、バスケットの中身がみるみる減るのが見えているだろう。
「こんなの、反則だろが!ひとつ寄越せ、タルト……そのベリーが乗ったやつだ!」
ラウラはのんびりとした動作で、ぎりぎりひとつ残ったタルトを手に取ると、モーリーへと渡した。
すでに焦れていたモーリーは、ラウラから引ったくるようにしてタルトを取り上げるなり口に放り込む。
最初こそ早かった顎の動きはじきゆっくりになり、名残りおしそうに喉がうごくと、モーリーは深いため息をついた。
「見事だ。タルトの生地は薄くかつ過不足なく焼けてサクサク、フィリングは甘すぎず、ベリーの風味をそこなっていない」
などと、ずっと独り言をつぶやく。バスケットが空になりラウラが蓋を閉めるまで。
「では、お邪魔しましたー」
「いや、ちょっとまて」
モーリーがラウラの肩を掴んだ。
「貴様のところのばあやの腕前は、甘いものだけか?」
「魚も肉も、極上の料理に仕上げますが……なにしろ田舎料理ですから。先輩のお口に合うとは思えません。では。これで」
そそくさと帰ろうとするラウラを、モーリーはなおも引き止める。
「ちょっと待ってろ。休暇を取ってくる。お前は紙を買ってきておけ」
昼過ぎに、大聖堂(カテドラル)前の広場で落ち合うことになった。
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