例大祭とガブリエル・ガブリエラ

1/1
4人が本棚に入れています
本棚に追加
/4ページ

例大祭とガブリエル・ガブリエラ

 地を揺るがすような太鼓の音が響いた。五年に一度の、春の例大祭は始まりを告げたのだ。  聖都アルマサナスの大聖堂大聖堂(カテドラル)に続く大路は、天をつく石造りの建物どうしに綱が渡され、五色の細く長い布がひらめく。  背の高い儀仗隊を先頭に、華やかな行列が続く。  儀仗隊の後ろには太鼓や竪琴で曲を奏でる楽隊。そして八人が担ぐひときわきらびやかな輿が沿道に溢れかえる巡礼者たちの視線を集める。  輿に据えられた豪奢な椅子に座るのは、当代唯一のガブリエル・ガブリエラのミロスラフだ。  天使の名前を重ねるガブリエル・ガブリエラは、二つの性の中間の存在であり、神の使いの象徴だ。  両性具有だが男性寄りはガブリエル、女性寄りはガブリエラと呼ばれ、聖都であるアルマサナスに集められ教育される。  中でもガブリエル・ガブリエラは特別で、数名しかいない。  ミロスラフは抜けるように白い肌、光り輝く長い金の髪、翠の瞳をしている。煌めく宝冠を頭に載せ、絹の衣装には金糸銀糸で刺繍が施されている。  ミロスラフが長い裾を揺らめかせて立ち上がり手をふると、感極まって叫ぶ人々で地面が揺れたように感じた。 「リーン、リーンハルト。口が開けっ放しです」  右隣に立つラウラに指摘され、リーンは浮かせた踵を下ろし慌てて犬のぬいぐるみで口を隠した。 「次期領主候補たるもの、いついかなる時も気を緩めてはなりません」  下がった目尻と相反する眉毛をりゅうとあげ、ラウラはリーンを頭三つ分上から静かに諭した。 「あ、あんまりキレイだったから」  リーンは薄い水色の瞳でラウラを見上げる。 「初めて見たわけでもないでしょう。五年前もミロでしたよ」  頬を染めてうつむいたリーンにラウラは応えた。 「坊っちゃまは、五年まえの例大祭の時は七つだったのですよ。あの頃とは感じるところが違いましょう。病弱だった坊っちゃまが……こんなに立派に」  リーンの左隣のばあやが感慨深げに丸眼鏡をはずしてハンカチーフで目もとをぬぐう。ついでのように、あなたは十六でしたねとつけ加える。 「あっ!」  リーンが叫んだ。  輿に立つミロスラフが手をふると、はらはらと赤い花びらが宙を舞い始めたのだ。  人々は歓喜にわき、我先にと降る花びらを拾おうとする。 「相変わらず派手だな」  ガブリエルもガブリエラも、異能を持つ。ミロスラフは花を自身の手から溢れさす。 「あっあ!」  リーンたちの前を輿が過ぎてゆく。リーンは花びらを拾おうとするが、競争が激しい。 「ラウラぁ」  リーンは半泣きで、人にもまれるがままにしているラウラをみあげる。  ラウラは右腕をすっと顔の横にあげた。 「止まれ」  ぱちんとラウラが指を鳴らすと、リーンの目の前で花びらが止まった。 「わ、わ、わ!」  リーンは両手で花びらを押さえた。 「よろしいでしょうか?」  ラウラの異能は、ものを一瞬だけ止められることだ。  手のひらの花びらに鼻を寄せてリーンは香りを吸い込んだ。甘い香りはすでに大路にあふれているが、特別に感じるらしい。大切にななめ掛けしたばあやお手製の鞄へと仕舞う。リーンの仕種を見てラウラはうなずいた。 「ありがとう、ラウラ。ねえ、ラウラはどうしてガブリエル・ガブリエラじゃないの?」  はあ? と、薄い唇をわずかに開けたままラウラは固まった。 「なれるわけないでしょう? わたくしごときが」  ラウラは肩につくほどの前髪を揺らし首を左右にふった。ミロスラフの輿は行き過ぎ、リーンくらいの歳つきのガブリエルとカブリエラが手に手に花をもち、お揃いの白いレースのエプロンを身につけて続く。 「ガブリエル・ガブリエラに選ばれるには、厳しい審査基準があります。まず背は高からず低からず」  ラウラはひとつずつ説明をした。 「ラウラは大きめ?」  体の線は細いが並の男性より大きい。ラウラは無言でうなずく。 「胸は大きからず小さからず」 「ラウラは」  リーンはラウラの平らな胸を遠慮がちに見て黙った。 「それから、月のものと外性器と」 「はい、それ以上は言わずとも!」  ばあやが横入りして、ラウラの言葉を遮った。 「ガイセイキの?」 「追々説明いたしましょう。……坊っちゃま、ガブリエル・ガブリエラになるには、何より突出した美しさが必要条件なのですよ」  ラウラは異存なく、深くうなずいた。 「ばあやのいう通りです。なので、わたしは単なるガブリエルです。式典でも儀仗隊でしたし」  ラウラが行列の先頭を指差すと、背の高い儀仗隊の背後がならぶ。お分かりになりますでしょう、とラウラは続けた。背伸びして儀仗隊をみていたリーンは振り返って言った。 「忘れるわけないよ。兜をとって、ひざまずいたラウラがぼくをみたときのこと。黒い瞳がきらめいて、絹糸みたいな髪がつやつやで。凛々しくてラウラはとてもきれいだった。ぼくの屋敷に来てくれるなんて、夢みたいって思ったよ」  ラウラは笑顔で答えるリーンに返す言葉もみあたらず、ただ口を真一文字に結んだ。 「少しは静かにして頂けますかな。次期領主候補様」  ラウラたちの背後に組み上げられた桟敷席から、皮肉めいた男性の声が降ってきた。  三人が振りかえると、髭を蓄えた小太りの男が見下ろしていた。 「バルシュミーデ公様」  ばあやが挨拶をするのにならい、リーンとラウラも深く頭を下げた。 「なんだ、そのなりは。チュニカなぞ着させて。平民の服装だろう」 「え? 可愛らしいでしょう」 「可愛いだなんて、恥ずかしいよ。ラウラ」  青い膝上のチュニカは、金の巻き毛のリーンによく似合っている。  リーンはぬいぐるみで顔を隠し、ひとしきり照れた。  ラウラの言葉とリーンのさまに、バルシュミーデは苦虫を噛み潰したような顔をする。 「ラウラ殿はいつもアルマサナスの学園の制服だか、他に服を持たないのかね」  たて襟のシャツと細身のパンツに今日は短めのブーツを履いている。襟ぐりが大きく、胸の下でボタンで留められたベストは裾が長めでゆるく波打つ。 「わたくしにはこれが丁度よいのです。動きやすいので。……いついかなるときも」  ラウラはバルシュミーデの後ろに控える、ひときわ体格のいい男へと鋭い視線を送る。顎に傷がある男は、ラウラをわずかに見てすぐに目をそらした。 「どなたかがリーンハルトさまへの養育費をけちらなければ、すべて解決することなんですが」  ばあやのしれっとした物言いに、バルシュミーデ公が眉間に皺を寄せる。 「父の後妻の遺児への待遇として、何の不足がある。屋敷つきの荘園を分け与えられておるではないか」 「父上」  暴言を吐くバルシュミーデをいさめたのは隣に座る、身なりのよいリーンより三才ほど年長の少年だった。薄紫絹の上着に身を包み、鍔無し帽の下に端整な顔がある。 「すまないね、リーンハルト。後で何か送らせてもらうよ。試験の準備は進んでいる?」 「は、はい。ヴィートさま」  声をかけらると、リーンはぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。頬や額まで紅潮させ、うなずく。 「先日送ってくださった『植物の薬効』ありがとうございました」 「ああ、リーンには少し難しかったかな。でも試験には」 「いいえ、とてもとても面白かったです。特に高山植物や地衣類の可能性についての章はとても」  それからリーンは興味か引かれた箇所をひとりしき語り始めた。最初のうちこそ驚き、嬉し気にしていたヴィートの顔色が徐々に青白くなっていった。 「それで総家の温室で、ぜひ栽培して……」 「リーン、それくらいで」  ラウラに肩を叩かれ、リーンは我に返えると気まずげに口を押えた。 「関心を持ってくれて嬉しいよ。あと半年だね。頑張って。学舎で待ってるよ」  さて、と言うと少年は不機嫌な顔つきの父親を促した。 「参りましょう。大聖堂(カテドラル)で礼拝が始まります」  少年に袖を引かれ、バルシュミーデ公は不承不承のていで立ち上がる。 「せいぜいあがけ。いずれにしろ次期領主はヴィートだがな、」 「父上」  ふん、と鼻をならさんばかりの態度でバルシュミーデ公親子は護衛を伴い桟敷から降りると、大聖堂へと歩み去った。  礼儀上、頭を下げた三人だったが、ばあやは腹立たしげに舌打ちをした。 「何が屋敷つき荘園などと、どの口がいうのか。土地が痩せていてろくに作物は育たないし、屋敷は古すぎて始終補修補修できりがない。坊ちゃまの優秀さを煙たがって総家から追い出しておいて」  悔しいと、ばあやは泣き出さんばかりだ。 「ばあや、ぼくは平気だよ。ばあやとラウラと三人で毎日楽しいよ」 「坊っちゃま……」  ばあやはリーンに手を握られると、皺だらけの顔を歪めて笑った。 「ばあやのご飯はいつだって美味しいし、ラウラは誰よりも強いし」  ラウラは眉を寄せて少しばかり首をかしげた。 「ばあや、バルシュミーデの次期領主になればリーンは不自由しなくなります。その日を見届けなければ。長生きして」 「もちろんです」  ばあやは涙をぬぐい、きっぱりと顔を上げた。 「では、聖誕祭の劇を見に行きましょう。それから帰りには図書館へ寄って新しい本を借りましょう」 「やった! 図書館にモリー先生はいる?」 「いますとも。モリーは人ごみが大嫌いですから図書館から動きません」  リーンはぬいぐるみを鞄にしまうと、二人と手をつないだ。  三人は出店のならぶ通りへと進んだ。春を迎えて足取りの軽い人々が行き交う。 「帰ったなら、試験へ向けていよいよですよ。ばあやは美味しいごはんで坊っちゃんを応援しますからね」 「わあ、楽しみだなあ」  二人とつないだ手をリーンは大きく振った。 「ねえ、ラウラも聖誕祭の劇に出たんだよね? 何の役をしたの?」 「ガブリエラを手ごめにしようとして成敗される役です」 「テゴメ?」 「はい、そこまで!」  ばあやがぴしゃりと話題をしめた。あたたかな日差しの中、リーンの金の巻き毛は小さな冠のような光をたたえた。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!