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出会いと森の中での襲来
実を申せば。ラウラは、ばあやの言葉を半信半疑で聞いていたのだ。
坊ちゃまは、命を狙われているのです……などということを。
例大祭の行進がすんでから寮官とガナ教授に呼び出され、ラウラが学園の面会室へ行くと見知らぬ二人連れがいた。
面会室といっても、簡素なソファーとそっけない卓が地味な色味の絨毯のうえにしつらえてあるだけの部屋だ。今日は祭事ということもあり、たまたま花が生けられた花瓶があるのが多少の救いか。
額に深いしわのある、酸いも甘いも噛み分けたような丸眼鏡をかけた白髪の老女は、金の巻き毛に水色の瞳の男児を連れていた。祖母と孫だろうか。ラウラはマントを背後に払い、兜を左腕に抱えるとひざまずいて頭を下げた。
「ラウラ、顔をあげなさい」
教授に言われるままに上体を起こすと、たれ耳の小ぶりな犬のぬいぐるみを胸に抱いた男児と目があった。
男児は顔を赤くし、老女の上着をつかんでいた。きらきらと輝く空色の大きな瞳に、ラウラは吸い込まれそうになった。
「ラウラとやら。黒髪に黒い瞳なのですね。あなたには東方の血が流れているとみうけましたが、ご両親は?」
「おりません。わたくしは捨て子です。赤子のときに、アルマサナスの大聖堂の療養所へ保護されました」
捨て子という言葉を耳にすると、男児の眉がぎゅっと寄った。
貧しい者など、生まれた子どもが両性具有ならば、アルマサナスで引きとってもらえるのだ。
まとまった金と引き換えに。
「では、仕えるべき主人や一族はおらぬというのは、まことか」
両性具有の、ガブリエルとカブリエラは出生地の領主を主とするのが普通だ。
「はい」
ラウラには仕えるべき主がいない。アルマサナスで職に就くか、あるいは新たな主に雇われるかの二つに一つだ。
老女はラウラの境遇に納得したのか、深くうなずいた。
「主がおらぬゆえ、司書見習いとして図書館で働かせていただいております」
手に職をつけるべく、勉学と並行して一昨年よりラウラは図書館の下働きをしている。
よろしいと、老女はいちど目を閉じ唇を引き結んだ。
「武術の使い手だとか」
どこでそれを聞き及んだのか。ラウラはしかめっ面を教授へと向けたが無視されたので老女へと向き直った。
「棒術と体術をいくらか。嗜んでいる程度です」
簡素に伝えようとするラウラの思惑をくみ取らず、年輩の寮管が口を挟んできた。
「謙遜もすぎれば、嫌味となりますよラウラ。ラウラは学内の競技大会で優勝する腕前です」
ラウラはぐっと息を飲みこんだ。世間一般は、ガブリエルとガブリエラは神の御もとであるカテドラルで日々祈りをささげて穏やかに暮らしていると思われている。好戦的な要素などひとかけらもないといったふうに。アルマサナスの神秘性を守るためにも、外部にはあまりもらさぬほうがよいのではないか。
「それは、心強い」
しかしラウラの杞憂など、どこふく風だった。老女は満足げにラウラを見ているし、男児はラウラに尊敬のまなざしを向けている。
「わたくしどもは、腕が立ち図書館とつてのあるものを求めております」
ラウラは思わず首をかしげた。二つの条件はちぐはぐに思えたのだ。
「それから、ここからが肝心なのですが、わたくしたちには、持ち合わせが潤沢とはいいがたく……」
「貧乏なのですね」
ラウラのはっきりした声に寮管とガナ教授が青ざめ、喜劇役者のように同時に口を両手でふさいだ。
「な、なんてことを言う。このお方は幼いながらバルシュミーデの次期領主候補……」
教授の説明に、ラウラは首を傾げた。共和国の中でも、バルシュミーデは指折りの氏族だ。それなのに貧乏とは。
「坊ちゃま、いえリーンハルトさまは、先代様の後添えのお子であらせられます。理由あって、いまは総家とは別れて暮らしておりますが。ラウラ殿、わたしくたちに雇われてくださいませんか。ずっととは申しません。リーンさまがラァス学舎を受験するまでの五年間、わたくしどもと暮らして欲しいのです」
「それでしたらば、しかるべきところから雇われては。わたくしはまだ学徒の身ゆえ」
「できないのです。主だったところには、バルシュミーデ公ウルリヒさまが手を回されました。残る頼みの綱は、アルマサナスだけです。ウルリヒさまは、ガブリエルもガブリエラも嫌っていますから」
世の中には、両性具有者を敬遠する者もいるから、わからぬでもない。気乗りせず、朝が早かったため眠気をもよおし始めたラウラは、次の言葉で目が覚めた。
「バルシュミーデの書庫へ入れるとしたなら?」
ラウラは眠気が霧散し、目を見開いた。バルシュミーデの書庫には、世界最古の書物を始め門外不出の貴重な資料があるという噂だ。司書たちの間では垂涎の的なのだ。
ラウラは下がり気味の目を見開き、喉を上下させた。そそられるには十分なほど魅力的な申し出だ。
「リーンさまが領主の座に就くことができましたなら、叶うでしょう」
一気にまくし立ている老女はレースのハンカチを胸の前で揉みしぼった。
「どうか、お願いいたします。リーンさまは、お命を狙われているのです」
老女は声の調子を一段落としてラウラに告げた。リーンは、ぬいぐるみの額に鼻を押し付けた。
大げさな、という思いは今破られた。
川沿いの森を抜け住まいである荘園へ戻る道すがら、手綱をとるばあやの馬がいきなり棹立ちになった。
「リーンさま!」
綱に掴まることのできるばあやと違い、ばあやのまえに乗っていたリーンは馬の背から滑り落ちた。ばあやの声より早く、馬の横についていたラウラは獲物の棍から手を離し、寸でのところでリーンを抱き止めた。
ばあやは絶叫を残して、全力で駆ける馬にしがみついたまま道を走り去っていった。
馬が急に暴れたのは何故か。ラウラは放り出した棍を手繰り寄せ、リーンを腕に抱え姿勢を低くした。耳をすませて周囲を探る。夏至すぎの夕刻近い森の中は薄暗くヒグラシの甲高い声が木立に響く。
暑く蒸れた森の中に、川からの清涼な風が流れてくる。汗と濃い体臭……たばこの匂いか? かすかに何者かの気配が漂う。一人ではなく、二人か。ラウラはリーンと共に地面に腹ばいになった。
――もしもだよ。
先輩司書であるモリ―との会話が頭をよぎった。
それはリーンハルトへの奉公を決めて、寮の自室で荷造りをしていた時のことだ。
「もしもだよ、命を狙われたとしても、露骨なやり方は避けるだろう。例えば、剣で切りつけるとか、首を縄で絞めるとか、体に痕が残るようなことはね。跡目争いのために死人がでたとなれば、共和国内の領主たちから手厳しい尋問が待ち受けているだろう」
銀髪でととのった顔立ちのモリ―は、ぞっとするようなことをさらりと口にした。
「バルシュミーデは百年くらい前までは、格式はあれど辺境の貧困にあえぐ領土だったのに、我らが先輩が辣腕をふるったおかげで、今や潤沢な財産を持つ有数の領主さまになったからな。毎年新作の花や品種改良された作物の種苗を発表するし、あそこで作られる薬の世話になっていない奴なんていない」
我らが先輩とは、百年ほど前にバルシュミーデに嫁いだガブリエラのことだ。
これといった産業がなく、貧困にあえいでいた北方の領地で、植物の声を聞くとことの出来る業(わざ)を持っていたガブリエラは花を育て薬を開発した。今やバルシュミーデ領は潤沢な財を生む産業をもっている。
「金はあればあるだけ、いらぬ諍いを招くからね」
まあ、がんばれよと、ごく無責任なことを言い残してモリーは去っていった。
わずかな荷を箱に詰める手を休めてラウラは窓の外を見た。
生まれてこのかた尖塔のある街並みしか見てこなった。見慣れた景色の向こうには、自分の知らない世界が待っているのだと改めて意識したのだ。
そして今、確実に知らない世界へ突入だ。
馬はなぜ驚いたのか。何に驚いたのか?
地面に這いつくばったラウラの頭を勢いよく何かがかすめ、背後の木立に硬い音をたててぶつかった。みると、石が幹にめりこんでいた。人の力とは思えない。弓のようなものを使っているのかも知れない。
――本物なら、わざわざ道具なんて準備しないだろうな。足がつかないようにその場にあるので済ませるだろう。
モリーの言葉を再び思い出す。では、襲来者は素人なのか。
たぶん石を馬にぶつけて驚かせた。そして落馬させるはずだったが、失敗した。では次は? 川へでも突き落とすか?
汗ばむリーンの背中に手を置くラウラは、周囲の木々を見渡した。
「リーンさま、よく聞いてください」
歯をくいしばるリーンの顎はふるえている。
ラウラがリーンへ手短かに用件を伝えると、ぎくしゃくとリーンはうなずいた。リーンは犬のぬいぐるみを鞄の中にしまい、自分を落ち着かせようとするようにかばんの蓋を何度もなでた。今はリーンの能力を信用するしかない。身が軽いのが幸いだ。
ラウラは、ゆっくりと長く息を吐いた。そして。
「……さぁっ!」
二人は素早く立ち上がり、ラウラとリーンは向い合わせで手を握る。ラウラは飛び上がったリーンの右足をふわりと肩に乗せると、一気に伸びあがりリーンを高い枝へと掴まらせた。
「登れ!」
大の男が飛びつけないほどの位置から枝のある木を取り付き、がむしゃらに登っていくリーンを認めると、素早く棍の端を踏み起き上がらせて手におさめた。
構える間もなく、石つぶてがラウラを襲う。
顔めがけて飛んできた数個の石を、ラウラは棍で弾きかえした。草むらのどこかに隠れているのか、木立の陰から石を射ているのか。
ラウラはリーンの登った木を背後に守り、石が襲いくる方向を見据えた。身につけているのは学舎の制服だ。防具はつけてこなかった。仮に刀で襲われたなら、どれほど抗することができるか分からない。気を抜いたなら死につながる。たとえ相打ちになろうとも、リーンハルトを守らねば。
シャツは汗でじっとりと湿った。頭皮がいぶされたように暑い。茜色に染まる森の中、ラウラが見つめる木々の隙間からは夕日に照らされる川面が見える。
かすかに金属がこすれる音がして、左の視界の端で動くものを捉えた。
草むらからラウラにナイフの切っ先を向けた男が飛び出して来た。
ラウラは棍を振り上げようとしたが、木の枝が邪魔をして使えず、とっさに身をかわした。
蟹のように足を広げ姿勢を低くした男は、逆光の中でニヤリと笑った。
長身のラウラの肩あたりまである長い棍は、広い場所でこそ力を発揮するのものだ。狭い場所では振り回せない。それを見抜いての笑いなのだろう。ラウラは後ろに回した右手に棍を持ち、左手をまっすぐ前に出して腰を低くした。
「ガブリエルが」
あざける声と共に、男はラウラへ一気に距離を詰めた。ラウラが突き出した棍を潜り抜け、鋭い刃先がラウラの顔面に迫る。ラウラは棍を素早く引き戻し、男の喉を突いた。
がっという唸り声をあげて、男が喉を押さえて前にのめる。宙に止まったかのような右顔面にラウラは棍を叩きこんだ。
濁音が口からもれて、男は気絶し地面に倒れた。ライラの頬には、かすかな朱の線が引かれていた。
倒れた男の傍らに落ちているナイフを拾おうと身を屈めようとしたとき、風を切る音がして背後の木に石が刺さった。
石で襲ってきたのは、足元に伸びている男ではなかった。なぜ、先ほどは射てこなかったのか。もしや、「成功報酬」を総取りするためかも知れない。
ラウラは棍を水平に構え、耳の感覚を研ぎすました。蝉の声と川のせせらぎの中に、弓弦を引くかすかな音が混じった。
前方の草がわずかに動く。ラウラは躊躇せず草のゆらぎ、一点を見つめて飛び出した。
「止まれっ!」
右手指を鳴らした。胸の前で止まった石をたたき落として、ラウラは棍で草むらを薙ぎ払った。腕に伝わる衝撃も構わず、奥歯を噛みしめ振り切った棍は木にぶつかって止まった。回転させた腰を戻す前に、石がラウラの額に当たった。
「ラウラっ」
木の上から、リーンの悲鳴があがった。
よけ損ねた。痛いというより、熱い。ライラは切れた額から頬に血が滴ったが、拭いもせずに敵を見定めようとした。しかし、それより早くラウラは足元をすくわれて倒れた。
「半儒(はんじゅ)」
ラウラの前に姿を現したのは、中肉中背の男だった。手ぶらで、まるで近所を散歩中だといった風情で。
半儒と、東方世界での両性具有者を半人前扱いする呼び方をした男は、冷たい瞳でラウラを見おろした。
「いつまでも人形を手放さない幼稚な主と、中途半端な男ですらない従者。つり合いが取れているとはこのことよ」
かすれた声だった。蝉の声と混じり、ラウラの耳には不快に聞こえた。
初めての場で、ラウラも幼子のようにぬいぐるみを離さないリーンを頼りなく思った。この子が次期領主候補と言われても、にわかには信じがたかった。空色の瞳のリーンとラウラはしばらく見つめ合った。
口をつぐんたままのラウラにしびれをきらしたのか、ばあやが声を発した。
「坊ちゃまのことを幼稚だとか、そんなふうに思われては困ります。坊ちゃまは一歳でお言葉を話し、二歳になったときには、もうお一人で本をお読みになれました」
「あ……それは、すごい、です」
ぎくしゃくとラウラが答えると、ばあやはさらに言葉を続けた。
「そのぬいぐるみは」
「ばあや、ぼくが話すよ」
リーンは頬を赤く染めたままで、ラウラのまえに一歩進み出た。ラウラはずっと片膝をついたが、いま一度背筋を伸ばした。
「なまえは、リッカっていいます」
リーンはたれ耳の犬のぬいぐるみをラウラの顔の前に差し出した。茶色のたれ耳と、クリーム色の胴体、つぶらな黒い瞳はガラス製だろう。リーンの腕におさまるくらいの大きさだ。
「リッカは総家でぼくとくらしていました。でも、いじめられて死んでしまって」
ラウラは頭の中に火花か散った。犬は殺されたのか。弱きものを虐めるとは、聞き捨てならない。
「それは、誰に?」
金の巻き毛をゆらして、リーンは首を左右に振った。
「総家の差し金ですよ。お母さまが可愛がっていた、大切な家族だったのに」
ばあやがたまらず口を挟むと、憤懣やるかたなしとでもいうように足を強く踏み鳴らした。
「それでぼくが泣いて泣いて、いつまでも泣いているから、ばあやが作ってくれたの。リッカそっくりなリッカを」
リーンはリッカを抱きしめて笑った。犬を殺されたとき、どれほど悲しかったことだろう。犬を殺すように指示する存在は、少年すら傷つけようとするだろう。
そのときラウラは決めたのだ。この少年を守ろうと。
ラウラはきつく奥歯を噛んだ。リーンを守らねば、まだ体は動くのだから。
「早めに終わろう。おれはさっさと家で休みたい」
男が組んだ指を鳴らし足を踏み出すの同時に、ラウラは低い体勢から、ありえない角度で体を起き上がらせた。
あまりに不自然な動きで立ち上がったラウラに、男は一瞬目を見開いた。その隙をラウラは見逃さなかった。棍は男の胸を急襲した。しかし男はラウラの突きを手で払いのけ、殴りつけてきた。ラウラは足を前後に開くと体を二つに折るようにして男の拳をかわし、そのまま前転すると勢いを生かして腕の力だけで起き上がった。
「気持ち悪い動きだな」
男は舌打ちをする。
ラウラは棍を地面に突き立て軸にし、体を半回転させ男の胸を蹴り飛ばした。巨木のような男の胸板は厚く、ラウラの蹴りはわずかによろめかせる程度だったが、着地して棍で足をすくいあげると男は、どうっと倒れた。
棍を男の頭に振り下ろす前に男はたちあがり、棍の先を掴んで引いた。ラウラは踏みとどまれず、棍を離した。
「力が弱いな」
男は棍を放り投げ、ラウラに掴みかかった。ラウラはすばやく半身をひねると、右足を胸につくほど引き寄せ、男が伸ばした腕をすり抜け顎を蹴り上げた。
膝から崩れ落ちる男は、それでもラウラの首を捉え太い腕で背後から締め上げた。男の腕がラウラの喉に食い込んでいく。
「半人前が……!」
ヤニ臭い息がラウラの耳にかかる。苦しさと吐き気で、全身が一気に熱くなる。額から吹き出した血と汗が混ざりあって顎へと滴る。ラウラは男の目の前まで腕をあげようとしたが、膝から徐々に力が抜けて、視界が徐々に狭まる。
「とっ」
止まれと言いかけて、こめかみあたりで何かが切れる音がした。目の奥が強烈に熱くなる。もう一度業(わざ)を使ったなら、体は……。ラウラは構わず力を振り絞って男の顔の前に腕をあげた。
「と、ま、っ」
締め付けられた喉の奥からかすれた声が漏れたとき、頭上の枝が鳴った。
「ラウラぁっ!!」
声と共に、リーンが男の頭の上に落ちて来た。がんっと音がして男は頭を木にぶつけて昏倒した。ラウラは男の腕から逃れ、後ろに倒れて激しい呼吸を繰り返した。
「ラウラ、ラウラ」
男の胸からおりて、リーンがラウラに抱きついてきた。リーンの頬は枝で擦れたのか、細かい傷だらけだった。
「けが、ラウラ、けが」
顔の半分が血で汚れたラウラを見て、リーンが泣きべそをかいた。
「だいじょうぶです、わたしはだいじょうぶ」
男二人が道に倒れていた。遠くから馬数頭の地響きがしてきた。暴れ馬に振り落とされず、荘園までたどり着いたばあやが助っ人を連れて来たのだろう。
リーンは泣きながらハンカチでラウラの額を押さえた。リーンはその手に自らの手を重ねた。
「リーン、あなたをいつか犬と暮らせるようにする」
リーンは水色の瞳を見開いた。
「約束する」
大きな瞳に涙が盛り上がる。リーンは強くうなずいてラウラの首に抱きついた。
その後、男たちは荘園の者たちに捕縛され、バルシュミーデのところへ送られた。それから先のことは、ラウラは知らない。
「何もなかったってことですよ。指図したお頭のところへ戻されただけですからね」
と、ばあやはラウラの額に軟膏を塗り、包帯を取り替えた。
「坊ちゃまも顔が傷だらけ、あやうく命を落とすところでしたよ。これから外出するときには、防具をつけてください」
ラウラのベッドのサイドテーブルに薬湯を置くと、ばあやは薬や包帯を籠に片付けた。
「でも……助かりました。ありがとう、ラウラ」
ばあやはベッドのラウラに頭を深く下げてから部屋を出て行った。夢中になっていて分からなかったが、ラウラは手首をひねってしまい、手足のあちこちに痣ができていた。
初めての実戦だった。棒術は障害物の多い森の中では使い物にならなかったし、体術でなんとかしのいだが、結局少なからず体を痛めてしまった。
アルマサナスで儀礼的な模擬試合しかしてこなかったからだといえば、それまでだが。悔しさが先に立つ。
男性より力がなく、女性より柔らかさがない。しかし、男性よりしなやかで女性より筋力がある。両方を併せ持つことは欠点ではない。
傷が癒えたなら、もっと鍛錬しよう。ラウラは木組みの天上を見あげて唇をかみしめた。
「ラウラ」
テラスへと続く扉を遠慮がちに開いて、リーンが顔をのぞかせた。ラウラは身を起こしてベッドから下りるとガラスをはめた扉を大きく開けた。
夏の夕暮れ時の長い影がラウラの後ろに出来た。庭に出ると、リーンが手を後ろにして立っていた。
「なんでごさいましょう、リーンハルトさま」
ラウラはリーンの前に片膝をついて座り、目線の高さを同じくした。
「リーンって呼んでほしい」
夕陽のせいばかりではないだろう。リーンは頬を赤く染めた。
「はい。では僭越ながら、リーンと呼ばせていただきます」
リーンへ頭を下げると、リーンの手で頭に何かが載せられた。
柔らかくささやかな香りがする。頭にのせられたのは、白つめ草の冠だった。
「これは……」
「守ってくれてありがとう」
リーンが手を体の前で揃えて、ちょこんと頭をさげた。ななめがけの鞄から顔を出したリッカも一緒に揺れた。
「わたしのお役目です。礼など。それに、あなたさまが飛び下りて来てくださらなかったら」
ううん、とリーンはラウラを真っすぐに見た。
「おくびょうなぼくが、勇気をだせたのは、ラウラがひっしで戦っているのを見たからだよ。ラウラほど勇敢な人、ぼくは知らない」
それから、もう一度頭を下げた。
「頭をあげてくださいませ。わたしは自分の弱さに辟易」
思わず言い訳を続けるラウラの手にリーンはふれた。そして白つめ草一輪の指輪をそっとラウラの左薬指にはめた。
「こ、これ?」
草の指輪をはめたラウラは顔をあげてリーンを見た。リーンはくすぐったそうに笑った。
「ぼくが大人になったなら、結婚してね」
「え、ええええ!?」
ラウラは頭に血が上り、くらくらとめまいがした。
「そして、犬と暮らそうね」
リーンも膝をつき、ラウラを見あげて両手をつないだ。
「ぼくは、もっとかしこくなる。強くなる。ラウラみたいに」
七歳のリーンの瞳に、ラウラは強い覚悟を認めた。金の巻き毛に水色の瞳。初めて会った時より、リーンは大人びて見えた。
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