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お茶会へようこそ 1
「ラウラ、お茶の準備ができたよ」
屋敷の裏手で薪割りをしていたラウラはリーンハルトに呼ばれて、斧を地面に置いた。長い前髪をかきあげ額の汗を拭う。館の壁に這う蔦がすっかり赤くなり、朝晩は吐く息が白くなる季節なった。
薪割り作業をしていたラウラは、制服の立て襟のフックを外して首元から涼しい風を入れた。
「ありがとうございます。あと少し、ここにある分をすませたら行きますので」
ラウラは長い柄の斧を高く上げると勢いよく振り下ろした。
ぱかん、と小気味良い音をたてて、子どもの両手がまわるくらいの丸太が半分に割れた。
さらに半分にするために、割れた片方を拾い上げるとき、きらきらした水色の眼差しをむけるリーンと目が合う。
「ラウラ、かっこいい! ぼくもやりた……」
「駄目です。危ないですから」
リーンの言葉を遮ってラウラは腰を伸ばした。
「何度も申しておりますが、リーンにはまだ無理です。それ以前に、怪我などされたら一大事、ばあやさんが倒れてしまいますよ」
リーンは犬のぬいぐるみのリッカをぎゅっと胸に抱いて唇を尖らせた。
「せめて、リーンがわたしの肩あたりまで大きくなったら、斧をお貸しします」
「そんな! ラウラ、うちに来てからもどんどん大きくなってるじゃない。ぼ、ぼくの背が伸びるのに追いつかないよ」
「そうでもないでしょう。わたしも来年で十八。いいかげん、成長も止まります。だいいち、リーンはこの一年でずいぶん背が伸びましたよ」
「そ、そうかな」
リーンは頬を赤く染めてラウラをみあげた。
「まあ、ガブリエルの中には三十近くまで成長が止まらぬ者もまれにおりますが」
あんぐり口を開けるリーンを下がらせて、ラウラは残りを手早く薪にした。
まもなく訪れる冬を前に、やることはたくさんあった。まずは、暖炉と台所用の薪をこれでもか、というほど軒下や小屋に積むこと。暖炉の火を消してはまさに生死に関わる。
ばあやは、夏から秋にかけて収穫した野菜を薄切りにして天日に干した。それから厚手の夜具を納屋から取りだして、こちらも日に当て湿気を飛ばす。
ラウラは、屋敷の細かな修繕をするかたわら、時おりリーンと森へ連れ立って木の実を拾いに出かけた。リーンが栗を拾ううち、ラウラは薪になりそうな枝を集め、ついでに見つけた茸を腰に下げた籠へ放り込んだ。持ち帰った栗はばあやによって甘く煮て瓶に詰められ、茸はざるに広げて乾燥し保存食の一員に加わる。
「さて、手を洗ってばあやさんのところへ行きましょうか」
ラウラはまくっていた袖とくつろげた襟元を正した。そうしてから首を二・三度左右に振り、両腕をぴんと前に伸ばしてみる。
「どうしたの?」
「やはり肩のあたりが突っ張ります。袖の長さが足りないようです」
次にアルマサナスへ行ったなら、少し大きめの制服を申請してこなければ。
「リーン、あなたも去年の服ではもう小さいでしょう」
リーンは誇らしげにうなずいて笑って見せた。子供の成長は嬉しいものではあるが、様々に不足が生じるのがリーンハルトが暮らす邸の現状だ。
未だ成長期のなかにある二人の面倒を見る、ばあやもさぞ頭を悩ませているに違いない。
「わたしも古いセーターをほどいて、リーンのものを編めたならいいのですが」
「ラウラ、無理しなくていいよ」
リーンの声はいたわるような優しさがあった。ラウラがばあやに編み物の手ほどきをうけたが、絶望的にできなかったことを覚えているのだろう。
「ラウラは、薪割がじょうずだもの」
九歳年下のリーンに慰められ、ラウラは小さくため息をついた。
リーンとラウラが連れ立って居間へ行くと、笑い声が聞こえた。
「よう。お疲れ様、ラウラ」
カップを片手に声をかけてきたのは、正司書のモーリーだった。眉と肩の位置で切り揃えられた銀の髪に、すみれ色の瞳。深い藍色に染められた布で作られた正司書の制服をまとうモーリーは、端正な美しさを漂わせるガブリエルだ。
「モーリー先輩。座ってないで、ばあやさんを手伝ってはどうですか。それか薪割りしてください」
「ずいぶんなお言葉だねえ、ラウラ。ぼくは、ほら編み物をしていたんだよ。リーン、これどうかな」
モーリーは茶器をおろすと、緑色の毛糸で編んだセーターを掲げて見せた。
「すごい、きれいです。モーリー先生」
リーンはモーリーのもとへ駆け寄ると、肩にあてがわれたセーターを抱きしめた。
「ラウラはね、小さなときから手先はあまり器用じゃなくてね」
ラウラは一瞬、眉間にしわを寄せたが小さく鼻を鳴らしてモーリーの隣の椅子を引いた。
「養育院ではお世話になりました」
ラウラはモーリーへ頭を下げたが、口は曲がったままだった。身寄りのないガブリエルとガブリエラは、アルマサナスの養育院で育つ。年上の者たちは、小さな子の面倒をみるのが習わしだ。モーリーはラウラより八歳年上だ。
「ま、そんなわけだよ、ラウラ。適材適所というやつだ」
モーリーは白磁の皿に載った焼き菓子をラウラに差し出した。丸い焼き菓子は、木の実のキャラメリゼが詰められた一口大のタルトだ。
「お疲れさま、ラウラ。あら、袖口がすれてる……それに、やっぱりきつそうね」
湯気の立つカップを渡すばあやがため息をついた。
「大丈夫です、次のアルマサナス行きの時に新しい制服に交換してもらいます」
ティーカップを受け取りラウラは答えた。
「次のって一月後でしょう。それでは総家のお茶会には間に合わないから」
「同伴がわたしで勤まりますか。なんでしたら、ばあやさんがご一緒されては」
ばあやは丸い眼鏡をきらりと光らせてラウラを見た。
「総家までの行くのに馬に半日も乗るなんて、年寄りには苦行ですよ。そうだわ、お嬢様のドレスではどうかしら」
ばあやは顔の前で小さく手をたたいた。ばあやはリーンの母親をいまだにお嬢様と呼ぶ。
「お母様のドレス!? すてき、きっとラウラに似合うよ。着てみて、着てみて」
リーンはテーブルに手を置いて、ぴょんぴょんと何度も飛び上がった。
ラウラはいったん口元まで運んだカップを皿へもどして天井を見上げた。
とたんに、ラウラの隣で笑い声がはじけた。
「ははっ、無理むり。ラウラはガブリエルにしては体も細身で、似合いそうに見えるけど、肩幅はあるし胸はないしでカカシにドレスを着せたみたいになったんですよ」
「そういうモーリー先輩も、背が高すぎてカカシ組だったじゃありませんか」
一昨年の劇の配役決めのときのことを未だに持ち出すモーリーを、ラウラは軽くにらんだ。
「ドレスに手を加えて似合うようにすることもできます。見繕って来ますわ」
「そうだよ、ラウラはとてもきれいだもん。きっとお母様のドレスも似合うよ」
ぼくも探す、とリーンはばあやに付いていった。
「リーンはかわいいね。ラウラ、君の小さな信奉者だ」
ラウラは肩をすくめて、タルトをかじった。
金色の巻き毛に水色の大きな瞳、リーンは見た目も愛らしい。
「残念だがドレスはガブリエラたちへお任せするしかないさ。我らガブリエルには滑稽なだけ」
二つの性をもつ者たちは、大きく二つに分けられる。男性寄りのガブリエルと女性寄りのガブリエラだ。
「もっとも元司祭殿はガブリエル時代でさえ、皆がひれ伏すほどの美しさだったそうだよ」
「ロティシュ元司祭さまなら、納得ですよ。その後に、ガブリエル・カブリエラに推挙されたわけですし」
両の性の中間に位置する、ガブリエル・ガブリエラと認定されるには、細かな基準がある。そのため今現在も一名しかいない稀有な存在だ。
今はもう引退したかつての司祭長、ロティシュが腰までのつややかな黒髪をなびかせて歩いている様を何度か見かけたことがあるラウラはうなずいた。
「しかし、あのお方はもう八十過ぎらしいが、見た目が二十も三十も若いってどういうことだ」
「そういう体質らしいです」
「どんな体質だよ」
ラウラは香りのよいお茶をひとくち飲んだ。
邸の奥で、物を動かす音がする。箪笥や衣装箱をひっくり返しているのだろう。時々、リーンの歓声が聞こえる。
「うるさいのは苦手だが、こういうのは嫌いじゃない。書庫の奥で埃だらけの頁を繰るよりはるかにいいね」
モーリーが頬杖をして静かに紫の瞳を閉じた。
「リーンハルトは優秀だ。それに、とても可愛らしい」
ラウラは素直にうなずいた。リーンはきっとラァス学舎へと入学できるだろう。そして総家の後継ぎとなり、ラウラにバルシュミーデの蔵書を見せてくれるだろう。
司書たち垂涎の的である書庫へ足を踏み入れる日を夢想して、ラウラの片頬があがる。
「もっとも最初は菓子につられて、まんまとはめられたと思ったけどな」
「人聞きの悪い」
ラウラはタルトに続いて、干し葡萄入りのケーキに手を伸ばした。
「適材適所ですよ」
ケーキを二つに折ったとき、あわただしい足音が部屋に駆け込んできた。
「ラウラ、これきっと似合うよ!」
リーンがフリルがふんだんに使われた紫色のドレスを持って来た。
「それか、こちらですね」
後からきたばあやが、薄桃色のレースが何段にもなったドレスを胸に当てて見せた。
「ねえ、ラウラ」
無邪気に微笑むリーンにラウラは絶句した。背後でモーリーが苦笑しているのが聞こえる。
「どっちにする?」
小首をかしげて尋ねるリーンにラウラはかすれた声で答えた。
「む、紫のほうを……フリルを外して」
耐えきれないようにはじけたモーリーの笑い声がしばらく続いた。
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