ファミリー・ハンティング

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 とっさに口をついたのは、夏の公演に向けて練習していたアリアだった。歌い出しはかすれていたが、とにかく怪物の気を引くよう、大きな声を出すことだけに集中する。慣れというのは凄いもので、しだいに喉が開き、僕の体中から音楽がほとばしりだした。  そして僕は気がついた。  気持ちいい。この広場は音響効果が抜群だ!  僕の歌声は、まるで澄んだ泉から湧き出る水のように辺りに満ち満ちていった。イタリア語の美しい歌詞が打ち寄せる波のように、一節一節を輝かせては切ない余韻を残して消えていく。流麗な旋律が空気を震わせると、広場全体が音楽に包まれた。  目の端に、もぞもぞと動き出す怪物の脚が映る。だが僕は、それをいなかった。僕は今、満天の星空の下に立っている。死の試練を乗り越え、愛と勝利の喜びを世界中に向けて歌うのだ。  僕は目を閉じ、ソピアの笑顔を思い浮かべながら最後の一節を歌い上げた。万雷の拍手の代わりに、何か重いものが地面に触れたような音と振動が、足もとから伝わってきた……  ……すっかり酔いしれていた僕は数秒後、いささか気まずい気持ちで目を開いた。  視界に入ったのは、雁首揃えて横たわる三つの首だった。誰が倒したのだろう、いつの間に? 驚いて辺りを見回すと、同じくケルベロスを見つめていたアイオンさんが僕を見た。 「ケルベロスを歌声で眠らせるとは……トモヒロ君、凄いぞ。君はまるでオルフェウスだな!」 「へっ」  ぽかんとした僕を置いて、アイオンさんは医療用キットを持つとヘルメス君のもとに駆けて行った。ちなみに、アイオンさんの本業は外科医である。ヘルメス君はコロス宇宙工科大学の学生だし、お父さんは地球でも有名な理論物理学者だ。泣く子も黙るインテリ揃いが、なぜこんな活動にいそしんでいるのかは謎である。 「トモヒロ君」  アイオンさんと入れ替わりに、お父さんがやってきた。見たところ無傷だ。 「みごとな歌だった。素晴らしい」 「あっ、ありがとうございます」 「ケルベロスを眠らせるなど、初めて見た。こうなると知っていたのか?」 「まさか! 気を引こうと思っただけで……」  どうやら、本当に僕の歌が巨獣を眠らせたしい。歌ったのは歌劇・トゥーランドットの『誰も寝てはならぬ』なのだが。プッチーニもびっくりだ。  僕とお父さんは、静かに上下動するケルベロスの巨体を見上げた。しばらく黙った後、お父さんが再び口を開いた。 「先ほどはすまなかった。君を軽んじるつもりはなかったんだ」 「はい」  僕は素直にうなずく。反抗期はあっという間に終わりを迎えた。 「出がけに、ソピアの祖母から君に怪我させるなと百ぺんも言われたんだ。弱気になるのもわかるだろ?」  眉を八の字にしたお父さんと顔を見合わせる。僕たちは笑いあった。 「さあ、じゃあ好きな首を切るといい」 「あ、やっぱり切らなきゃいけないんですね!」
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