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眠り姫の夢遊病事件
俺のクラスには眠り姫がいる。
その眠りっぷりたるや、一度睡眠状態に陥れば、授業中であろうとも関係ない。身体を揺すられようが、耳元で叫ばれようが全く動じることなく、マイペースを保って眠り続けるのだ。
その結果、ついたあだ名は「眠り姫」
そんな眠り姫こと一条姫子さん。寝てばかりなのになぜか成績は良く、そのせいか、今では教師も授業中の彼女の本気寝には黙認状態だ。
けれど、そんな特別扱いも同然な一条さんを、面白く思わない連中が存在するのも当然の事といえよう。
「香坂くん!」
その日の放課後。眠り姫……もとい一条さんは俺の名を呼びながら、華奢な身体に長い黒髪をなびかせて美術室に駆け込んできた。俺が何事かと目を向けると、彼女は自身の額を指差す。
「ここになんて書いてあるか見えますか?」
問われて彼女の顔を見る。白い肌。薄いくちびるに小ぶりな鼻、長い睫毛に縁取られた大きな瞳。そして問題のひたいに視線を移せば――
「……おにく」
そう、そこには確かに黒いマジックペンで「おにく」と書かれていたのだ。
「むむむ。やっぱり私の見間違いじゃないんですね。お手洗いで鏡を見てびっくりしました。いつのまにこんな落書きをされたんでしょう。全然気がつきませんでした。は! もしかして霊の仕業とか!?」
一条さんの妄想はともかく、俺は彼女にそんな事をした人物達に心当たりがあった。
昼休みにいつも通り机に突っ伏して眠る一条さんの周りを、ソフトボール部の女子達が取り囲んでいたのだ。おそらくその時に悪戯されたんだろう。
なんでもソフトボール部は、最近部室でボヤ騒ぎを起こしたらしく、一ヶ月間の活動禁止を言い渡されたとか。
そんな彼女達のストレスのはけ口が、目を覚まさない一条さんに向いた結果の額の「おにく」なんだろう。
「もう! 乙女のおでこに落書きする霊なんて成仏に値しますよ!」
再びトイレから戻ってきた一条さんのひたいは奇麗だ。どうやら無事に洗い落とす事ができたらしい。
そのまま俺のそばまでやってくると、なぜか偉そうに仁王立ち。
「さて、それでは気を取り直して部活動を始めましょうか。香坂くんは何か描くんですか?」
「今日はパイナップルだな」
「なるほど。それでは私も部活動を開始します」
鉛筆を削る俺の背後から、がさごそと聞こえる、一条さんが床に毛布を広げる音。
彼女はアイボリー色のマイ毛布をこの部室に置いてある。それにくるまって床で眠る事が一条さんにとっての「部活動」なのだ。
「自らの肉体を使用した前衛芸術です」
だとか言い張って。
部活動の名のもと、おおやけに眠る事ができる。それに加えて部員は俺と一条さんの二人だけ。こんなに睡眠に適した部が他にあるだろうか。
そういうわけで、一条さんは放課後になっても毎日美術室の片隅で睡眠を貪っている。
毛布にくるまった直後、さっそく聞こえてきた一条さんの軽い寝息をBGMに、俺はパイナップルの絵を描き始めた。
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