雨上がりの月夜に

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倉庫へと近づくにつれ、どこからか「キイー、キイー」と動物の鳴き声が聞こえてきた。 その声に返事をするように、子鹿は「キュー、キュー」と身体中で力いっぱい鳴いた。 どこかで母鹿が呼んでいるのだろうか。 女が待っているという倉庫へ入ると、その女の姿はどこにもなかった。ただ、今日捕獲された鹿だけが檻の中からこちらを見つめ、私の潜在意識を引き寄せた。 麻酔がまだ残っているせいなのか、立ち上がることは出来ないようであったが、その姿は凛とした趣を放ち、一点の曇りもない透き通った瞳は私を捉えて離さなかった。 だが、その中に一つだけ変わった光景を見つけた。頭だけを持ち上げ横たわる鹿の前には、グレーの携帯電話が一つ置いてあった。誰かが落としていったものかもしれない。 私の後ろについて来た子鹿がその鹿の元へと駆け寄ると、我が子の無事を確かめるように、子鹿の全身を自分の舌で優しく触れた。 「おまえ達は親子だったのか」 檻の中で佇む母鹿の姿に、親子の愛情を感じて私は少し心が痛んだ。
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