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今夜が楽しみ過ぎる
「なぁ、俺、股間にダメージ喰らうような悪いこと、したか?」
「さあ、どうだろね。でも人生プラマイゼロっていうなら、マイナススタートでこれからいいことがあるのかもよ?」
「だといいんだけどな」
女子には味わえないゴンゴンした激痛が徐々に引いてきて、俺はようやく歩き出せた。傍らの沙希は空を見上げて「オリオン座だ! あれリボンみたいな形してるよね!」とかいくつか話題を振ってきたが、俺は痛みのあまりまともに受け答えできなかった。
まさか人生で烏帽子岩に攻撃される日が来るとは。俺の前世は、かつて烏帽子岩を射撃演習の的にした軍人だろうか。
「いいことあるよ。まずは私が、これまであまり褒められた経験のない陸の長所を見つけてどんどん褒めてくね」
「沙希ってさ、恥ずかしい台詞を素面で言うよな」
「恥ずかしい台詞?」
「いや、なんでもない。それよか、ずっと褒められてばっかで怒られてこななかったヤツって、将来どうなるんだろうな」
「わからんね。人生のどこかで滅茶苦茶怒られる日々が続くかもだけど、私も滅多に褒められるような者ではないし、どっちかっていうと怒られた回数のほうが多い気がするから、経験則では語れない」
「そっか、夢のような女子でもわからないことがあるんだな」
「そりゃそうだよ。生きものが棲んでない惑星の存在意義とか、そもそも宇宙はなんで存在するのかとか、さっぱりわからん」
「まどかみたいなこと言い出したな。もしかしてお前ら」
口数の少ないまどか。本人はあまり大っぴらには語らないが、実はアリの行列を観察したり、人類その他動植物の存在意義を本気で考えている、好奇心旺盛な女子だ。
「「入れ替わってる?」」
「って、思わずハモッたけど入れ替わってないわっ!」
ベシッっと沙希に頭を叩かれた。適度な強さで頭皮が刺激され気持ちいい。
「みたいだな。沙希独特のバカオーラがすげぇ出てる」
「名誉棄損で訴えますよー」
サイクリングロードから国道134号線、菱沼海岸の横断歩道を渡ってラチエン通りに入った。そろそろ互いの家が近い。
「バカも沙希の長所だろ?」
「ん? んんん?」
「沙希もあんま褒められた記憶がないって言うから、褒めてみた」
「うんうん、ある程度怒られた経験がなきゃ皮肉に気づかないで素直に受け取ったかもね」
「いや、怒られなくてもそこらじゅうで飛び交ってる悪口とか聞いてりゃ気づくんじゃないか?」
「ふむふむ、難しいですな」
「正解なんかない、というよりは、人の数だけ正解があるんだろうな、こういうのって」
「出た名言」
「哲学者になれそうな気がしてきた」
「ほうほう、そりゃすごい。私も本腰入れて将来展望を描かねば」
「沙希は普段、どんなことしてるんだ?」
将来の夢や目標と関連する話題への誘導をしつつ、彼氏がいるのか探りを入れるため、訊いてみた。
「うーん、そうだなぁ……。起きて夢の成分を蓄えて、朝練して授業中に寝たり起きたりで、起きたときに頭上を手裏剣が通過してヒヤリハットする日もあって、早弁はしないで友だちのクソノロケ話聞いて」
良かった、彼氏はいそうにない。
だが油断ならない。沙希はモテる。ただのバカならそんなにモテないだろうが、地頭はいい。いうならば、おバカキャラを売りにしながら本当のバカでは生き残れない芸能界に、なぜか長きにわたって君臨している人みたいな感じだ。
高校に入ってからの1年8ヶ月、毎日不安で仕方なかった。これからも、ひとまずこの恋に決着がつくまではそれが続くだろう。
「そうなると、将来はフルーツソムリエか?」
「フルーツソムリエ! なんかおしゃれ!」
「だろ?」
「んだんだ!」
松ヶ丘の交差点まで来た。ここから俺と沙希はそれぞれの家へと別れて歩き出す。
「じゃあまた後でね。良いお年を!」
「おう、良いお年を」
サザンCからここまで結構な距離を歩いたが、楽しい時間は刹那に過ぎるもの。だが今夜は、また沙希に会える。巷で言う『〇〇過ぎる』はこういうときに使う言葉だろう。今夜が楽しみ過ぎる。
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