少女が見た背中

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少女が見た背中

 金色の龍の細工が施された豪奢な天蓋付きベットの上で、皇帝は健やかな眠りから叩き起こされた。  皇帝の眠りを妨げるなど臣下にあって許されない行為だったが、重臣の一人はそうせざるを得なかった。  何しろ当の皇帝本人から仰せつかっていたのだ。占星術師ホウセンの取り次ぎはいつ如何なる時でも優先させる事を。  寝室を警護する衛兵達に挟まれながら、占星術師ホウセンは皇帝の眠っていたベットの前に白い長衣を着け平伏する。 「······如何とした?ホウセン。この時分に」 「皇帝陛下の御睡眠を妨げ誠に恐縮の極みであります。どうかお許しを。ですが、早急にお伝えしなくてはならない事がございます」  まだ半分頭が眠っていた皇帝は、重そうな声を重用している占星術師にかける。一介の占い師を重用する皇帝に心ある重臣達は眉をひそめたが、その的中率の高さを目の当たりにすると無下には出来なかった。 「西の空に星が落ちました。あの星こそ我が帝国の吉兆星。赤帝の姫君が地上に誕生した証でこざいます!!」  占星術師ホウセンは興奮した様子で震える声で叫んだ。赤帝の姫君とは、この帝国の民衆達が崇める神々の名の一つだった。  この時、皇帝はホウセンの言葉をさして重要視しなかった。皇帝の権勢は隆盛を極めており、国内外に敵は見当たらず、盤石の帝国に不安素養など無かったからだ。  だが、それから十三年が経過し、皇帝の周辺は激変していた。皇帝には正室、側室に生ませた子供が二十八人いた。  その中で十九人の男子が全て病死した。跡継ぎを全て失った皇帝は愕然とした。その時 、十三年前にホウセンが伝えた占いを思い出した。  皇帝は占星術師ホウセンに再度確認する。 西に生まれた赤帝の姫君を帝国に呼び寄せれば、皇帝の運気は上昇し帝国も安泰になるとホウセンは断言した。  西。それはこの帝国から遥か西方にある大陸だった。人間と魔族と呼ばれる種族の国々が割拠する未知の大陸。  皇帝は決断した。その大陸を支配し、ホウセンが占った通りの赤毛の少女を探し出すと 。  西方の大陸まで二千五百里。その途方も無い距離の遠征に、文武百官は総じて反対した。だが、皇帝は世継という帝国の存亡が懸かっていると命令を押し通し遠征軍を派遣した。  そして遠征軍は伝染病、脱走、遊牧民族との戦闘等、艱難辛苦を乗り越えついに西方大陸の入口まで到達した。  帝都を出立した十万の兵力は、七万八千に減少していた。だが、疲労しきっていた遠征軍は、謎の集団の強襲を受ける事になった。  この時、大陸の玄関口には生ける伝説と呼ばれる勇者ソレット一行がいた。ソレット達は帝国の侵攻を察知し、周辺の盗賊、山賊、村々から義勇兵を募り自衛組織を作り上げていた。  数に置いて圧倒的に劣るソレット達は、地の利を活かし奇襲を繰り返した。特に魔法攻撃が高い効果を発揮し、帝国軍を苦しめた。  東の帝国には魔法が存在していなかった。 呪術と呼ばれる物はあったが、軍用に実用化するまでは至っていなかった。  そしてソレット達は帝国軍の細く伸び切った補給路を脅かし、遠征軍は飢えとも戦わなくてはならなかった。  そして限界を迎えた遠征軍は総退却を決断した。その結果に皇帝は落胆を隠さなかったが、ニ年後再び遠征軍を西方の大陸に送った 。  だが、西方の大陸の玄関口には、ゾルイドと言う名の男が国を建設しており、国王自ら陣頭に立ち帝国軍を迎え討った。  帝国軍はゾルイド軍に散々に蹴散らされ 、再び総退却する事となった。勇者ソレットとゾルイドは、それぞれ捕えた敵兵から侵略の理由を聞いた時、自分の耳を疑った。  遥か東にある帝国の皇帝は、一人の占星術師の占いにより遠征軍を派遣したと言う事実に。  二度の遠征に膨大な国費を投じた帝国は、その盤石だった筈の足元が揺らぎ始めていた 。だが、皇帝は諦めきれなかった。  占星術師ホウセンの占いから十五年。巨大な城の壁上から皇帝は西の彼方を見つめていた。頭にあるのは、十五歳になった筈の「赤帝の姫君」の存在だった。      ······鬱蒼とした林の中を、一人の少女が疾走していた。短く切り揃えた赤毛の髪。革の鎧と腰に帯びた剣。  少女を見る者は彼女が冒険者だと容易に想像出来た。まだあどけなさを残すその顔は、十五歳前後に見えた。  傾斜した地形。積もり溜まった落ち葉。大小様々な木々。  どれも少女の行く手を阻む邪魔な存在だった。だが、少女にとって致命的な問題は息切れしている自分の体力だった。  一年前。少女は焼かれた自分の村の無残な光景を眺めながら悟った。この世は力を持たぬ者は生きる権利すら与えられないと。  少女はその力を求め自らを鍛錬した。それは一介の村娘だった少女にとっては、これ迄とは真逆の生き方を選択した事を意味していた。  そして少女はついに見つけた。全滅した村で唯一生き残った自分の命を救ってくれた相手を。  それは、万人が即刻廃棄すべきだと断言するボロボロの革の鎧を着た女の冒険者だった。  長い銀髪をなびかせた女冒険者は、少女の村を襲った盗賊達を恐るべき力を持って退けた。  盗賊達の死体の山を平然と眺めながら、銀髪の女冒険者は泣きじゃくる赤毛の少女に声をかけた。 「諦めるか。力を持つか。どちらかを選びなさい」  少女は火を放たれた村の片隅で両膝を地面に着けていた。両親に貰った赤毛の髪を煤だらけにした少女の前に金貨が入った袋を置き、銀髪の女冒険者は去って行った。  少女は涙で霞んだ視界の中、銀髪の女冒険者の背中を見つめ続けた。その女冒険者の隣には、紺色の髪の若い青年が寄り添う様に立っていた。  少女は選択した。必ず力を持つと。そして、あの時から憧れていた銀髪の女冒険者を ついに発見し、少女はその手を伸ばそうと試みた。  だが、銀髪の女冒険者は少女から時と共に遠のいて行く。走るに適さないこの悪路の中で、少女は女冒険者との差を眼前でまざまざと見せつけられた。  少女は悔しさの余り涙ぐんだ。あの日から死にものぐるいで自分を鍛錬した日々は、無駄だったのかと。  少女は無意識に腰から細身の剣を抜いた。戦いの基本を教えてくれた師から餞別に貰った剣だ。  黒髪を結い上げた細目の師は、その剣は勇者の剣と同じ素材で作られた物だと言った。師のいい加減な普段の言動から、少女は話半分に師の言を聞き流していた。  少女は銀細工が施された剣の柄を握り、目の前に迫った大木に向かって叫び声と共に剣を振り下ろした。  それは、己の無力を悲観した少女の魂の慟哭だった。愚かな人間のその行為を、大木は容易に弾き返す筈だった。  だが、少女の赤毛が僅かに紅く輝いた瞬間、剣がまばゆい光に包まれ轟音が周囲に響き大木は左右ニつに裂けた。  無残な姿を晒す大木の前に、少女は硬直したように立ち尽くす。今自分の目の前で何が起きたのか、少女には直ぐに理解出来なかった。  一瞬。ほんの一瞬だけ自分の剣が光り輝いた様に少女には思えた。そして少女の膝が突如崩れ落ちた。  全身の力を使い切ったような虚脱感が少女を襲う。先程まで全力疾走していた疲労も重なり、少女は激しく息を切らした。  顔を上げられない程消耗した少女の耳に、落ち葉を踏む音が聞こえた。少女は反射的に顔を上げた。  そこには、腰までの長い銀髪を揺らした美しい女が立っていた。 「······私の名はチロル。貴方の名前は?」  チロルと名乗った銀髪の女は、静かな瞳を赤毛の少女に向けていた。その声は、一年前にあの破壊された村で聞いた声と同じだった 。 「······シャンヌ。シャンヌです「銀髪の君」よ」  少女の「銀髪の君」と言う言葉に、チロルは僅かに眉を動かした。 「私の事を知っているようね。シャンヌ。貴方の目的と望みは何?」  チロルの両目に見つめられただけで、シャンヌの動悸は激しくなる。シャンヌが求め続け辿り着くべき到達点が、今目の前にその姿を見せていた。 「······私を。私を貴方の組織に入れて下さい!その為なら、私はどんな事でもします!」  シャンヌは魂を込めて叫んだ。チロルは表情を変えず、淡々と赤毛の少女を見つめ続ける。 「······命の保証はしない。それでも?」  チロルの冷淡とも取れるその言葉に、シャンヌは迷わず頷く。 「一年前。貴方は私に言いました。諦めるか 。力を持つか。どちらかを選べと!私は力を持つ方を選びます!!」  シャンヌはチロルを見上げながら断言した 。銀髪の髪の女は、静かに頷いた。 「いいわ。私について来なさい。貴方にはその力があるわ」  チロルはマントを翻し、落ち葉を踏みながら歩いて行く。シャンヌは必死に息を整え、一年前に見た同じその背中を追った。
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