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二十代最後の春、厚美は鬱病と診断された。
学生の頃から、ぼーっと虚空を見つめて物思いに耽っている姿はよく見かけたけれど、ある時期から明らかにその質が変わった。
声をかけても虚ろな目のまま返事をしないことがあったし、唐突にぽろぽろと泣き出して、理由を聞いても「分からない」と言った。
文彦はその度に自分が何かしたのだと思って謝った。
優しく背中を摩ることもあったし、煩わしくなって無視することもあった。
けれど彼女はいつまでもぽろぽろと泣き続けたし、必ずその日の夜に「ごめんなさい」というメッセージがスマホに届いた。
どこかに一緒に出かけることもなくなったし、文彦に笑顔を見せることもなくなった。
文彦はそれらが鬱病の症状であることを知らなかった。
彼女は自分に対して何らかの不満を抱いていて、それを沈黙と涙で示しているのだと思っていた。
彼はそんな彼女に対して、少なからず嫌悪感を抱くようになっていた。
二十年以上の仲だったが、彼女と過ごす時間が文彦を憂鬱な気分にさせるようになった。
「何か不満があるなら、はっきり言ってくれ! いつもいつも泣いてばかりじゃ分からないだろ!」
ある時、厚美にそう声を荒らげた。
けれど、彼女はやはり「ごめんなさい」と謝るばかりで、まともに話し合うことはできなかった。
文彦は呆れたように、大きな溜め息を彼女に聞かせて帰宅した。
そしてその日の夜に、厚美は自身の住むマンションの三階から飛び降りた。
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