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「文くんのワッフルは、私にとって副作用のない薬のようなもの」
彼女はよくそう言って笑った。
その度にそんな大袈裟なものじゃないと文彦も笑ったが、彼女は「本当のほんとう」と口癖のように言った。
文彦は何度か、上等なワッフルを店で買ってくることがあった。
けれど厚美は、文彦の作ったワッフル以外では心からの笑みを見せることはなかった。
どうしてかは文彦にも分からなかったし、厚美も決して言わなかった。
何度聞いても、例によって「分からない」と返ってくるだけだった。
ワッフルが出来上がると、文彦は決まって味見をしたが、ぼそぼそとした食べづらさのある食感と、甘みの薄い素朴な味があまり好きではなかった。
どうしてこんなものを好んで食べるのだろうと不思議に思ってはいたけれど、作り方を変えようとは思ったことがなかった。
何にせよ、彼女はこのワッフルを好んで食べていたし、このぼそぼそとした食感と甘みの薄い素朴さが、彼女にとっては極上の味に違いないのだ。
今日は厚美の三十一歳の誕生日だった。
文彦は休みを貰って、朝からワッフルを作った。
正午に厚美の家に行き、一緒にワッフルを食べ、酒を飲み、映画を何本か観て、いつも通り、泣いたり笑ったりしながら、彼女の三十一回目の成長を祝う予定だった。
厚美は相変わらず、唐突にぽろぽろと泣き出したりしたが、前に比べれば笑顔を見せることが多くなっていた。
明らかに精神状態はいい方向に向かっていたし、医者もそのことを認めていた。
このままいけば、社会復帰できる日も近いだろうと。
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