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『3』
「ふーっ…」
神谷は煙草をふかしながら天を仰いだ。京都は人が多すぎる。というよりも条例で路上喫煙ができないせいで喫煙所に人が密集している。神谷は息苦しさを感じ、喫煙所を離れた。するとスーツ姿の久本が丁度喫煙所に到着した。
「なんでスーツ?」
「え?特に意味はないですけど。スーツの方が人探ししやすそうじゃないですか?」
「印象の話をしてるのか?ならそのデザインはちょっと違うと思うぞ」
久本はグレーベースでブラウンのチェック柄のスーツをタイトに着こなしていた。
「やっぱちょっと派手すぎましたかね?そういう神谷さんもカジュアルスーツじゃないですか」
「これか?これだとジャケットに武器も仕込めるからな。ヒットマンの基本だよ。お前の言う印象の話とまた訳が違うよ」
「武器って…今日やるつもりですか? 」
「報酬も無いのにやらないよ。一応念の為。で、この辺で裏社会の人間が多い所ってどこなんだ?」
「俺の読みでは木屋町ですね」
「木屋町?」
「はい、木屋町は飲み屋とか風俗店が多いのでそっち系の人も多いかな〰️?っていうただの予想ですよ」
久本は少し遠慮がちに提案した。
「なるほどね。じゃあとりあえず木屋町に行ってみるか」
神谷はそう言うと手を挙げ、近くのタクシーを捕まえた。タクシーがハザードを点滅させ側道へ停車する。そして神谷と久本は後部座席に乗り込み、久本が運転手へ「木屋町まで」と伝えた。運転手は「かしこまりました」とだけ返事をし、車を発進させた。金曜日という事もありやや混み気味だったが、20分ほどで木屋町へと到着した。
「ここが木屋町か…テレビで見た事あるよ」
神谷は周囲を見渡した。
「ここは京都では結構有名所なんで。で、どこから当たりますか?それとも先に一杯引っかけます?」
久本は酒を飲む素振りを見せ提案したが神谷は拒否した。
「俺は遠慮しとくわ。腹減ったなら先に飯食うか?」
「飯にしましょう!ここの近くに美味しい焼鳥屋があるんですよ。そこにしましょ」
久本はそう言うとスマホを取り出し店に電話を入れた。「今から二名で」と伝えると「席取れましたよ」とうきうきした様子で神谷に伝えた。
「ここから近いのか?」
「ええ、すぐそこです」
久本は客引きを全て無視してかわし、店へと進んだ。そしてしばらく進み、路地裏へと入った先に「吉や」と看板のあがっている店へたどり着いた。 「吉や」はこじんまりとした店で、良く言えば年期の入った老舗に見え、悪く言えば軽く蹴れば穴が空きそうなほどボロい店だった。どちらにせよ事前に連絡しなくてもすぐに入れそうな店だった。
「おい…ここ本当に美味いのか?」
神谷は久本に疑念の目を向ける。
「見た目より全然マシですよ」
失礼な事をさらっと言い放つ久本に少々笑えたが、「じゃあ入るか」と店に入った。
「いらっしゃいませーっ」
中に入ると店と不釣り合いな着物に身を包んだ美人な女将が二人を出迎えた。久本は女将に「さっき電話した久本です」と告げると女将が「よくぞいらっしゃいました。奥からお掛け下さい」とカウンター席へ案内してくれた。
二人が座布団が敷いてある固めの木製のイスに腰掛けると、久本が女将に向かって
「じゃあさっそく…えー…生とコーラで!」と注文を入れた。
久本は注文をしてからすぐ神谷に向かって「コーラで良かったですよね?」と言い、神谷は頷いた。店内は閑古鳥が鳴いており、すぐに生とコーラが提供された。
「じゃあ久しぶりの京都に…乾杯っ」
カチンとグラスが音をたて、いっきに飲み干した。
「この後一仕事するんだからあまり飲み過ぎるなよ」
神谷は一応久本に釘を刺しておいた。
「分かってますって!それでどの辺りから探しますか?」
「まずは組の人間か裏社会に関与する半グレを見つけなければな。近年の暴対法で堂々と歩いていたりはなさそうだし見つけるのに苦戦しそうだけど」
久本は腕を組み考える。
「じゃあクラブとかですか?あそこならクスリばらまいたりしてるでしょうし」
「たしかにな。でもクスリ売りさばいてる奴なんか仮に逮捕されても支障がない下っぱだろ?そいつをどうにかしても組の人間までたどり着く気がしないな」
「なるほど。たしかに一理ありますね。じゃあその辺の奴を適当に捕まえて聞き込みしますか?」
「とりあえずそれで行こうか。収穫がなければやり方を変えればいい」
神谷もこれといったアイデアが浮かばなかったので、久本の提案に了承した。
「で、その辺の奴はどうやって捕まえるんだ?」
神谷が聞くと、久本は拳を前に出して「やっぱこれでしょ!」と言った。
「おいおい、まじかよ。お前はともかく俺は40近いおっさんだぞ?ちょっとしんどくないか?」
久本は神谷に向かって呆れた様子で首を振り、焼鳥を口に放り込む。
「何言ってんですか。こんな強いおっさんなかなかいないですよ」
「いや、強いとか弱いの問題じゃなくて…そりゃそれなりに訓練も積んでるし実戦経験もあるんだから強くて当たり前だよ」
「ならいいじゃないですか!反社会勢力狩りじゃあ!」
「まさかもう酔ってるんじゃないよな?頼むぜ本当に」
神谷が久本を横目に煙草に火を点けると後ろから女将が神谷に声を掛けた。
「色々と大変そうですね」
女将はそれだけを言うと上品にクスッと微笑んだ。
その女将の美しすぎる笑顔に神谷はドキッとした。
「本当に大変ですよ。それより女将さんすごく美人ですね。元女優さんとかですか?」
女将には少々お世辞っぽく聞こえたかもしれないが、これは神谷の本心だった。
「あらやだ。関東の人も以外と大胆なんやね。偏見やけどもっと奥手なシャイな人が多いと思ってましたわ。ありがとうございますぅ」
神谷と女将の会話を聞いていた久本が「なんで関東の人って分かったの?」と聞いた。
「あんな大声でお話されてたら嫌でも標準語が耳に入りますよ」と女将は笑った。
「ほんとすいませんね。こいつもう酔ってるみたいで」神谷は女将に頭を下げながら隣の久本を小突いた。
「いえいえ、とんでもない。今夜は見ての通りお客さん入ってないですからね。思う存分騒いでもらって大丈夫ですよ」
女将がのれんの奥へと戻ろうとすると久本が
「ママも一緒に飲もうよ!奢るからさ」と女将を隣のカウンター席へと誘った。
すかさず神谷が「おいバカ!仕事の邪魔するなよ。それにホステスじゃないんだからママって言うな」とまたもや久本を小突いた。しかし女将は意外と乗り気で「いいんですか?」と尋ね、久本が「どうぞ!」と言うと久本の隣へちょこんと腰掛けた。
女将は「まだお仕事中やしそない強いお酒は飲めへんけど」と言って立ち上がると、カウンターの端に置いてある梅酒をグラスに注ぎ、後ろにあったサーバーに向かい梅酒のソーダ割りを作った。そして女将が席へと戻って来た所で久本が再び乾杯の音頭をとる。
女将はクイッとおしとやかに梅酒を口に含み、「はぁ…おいしっ」と自らの頬に手を当てる。その美しさに神谷と久本が釘付けになっていると、
「え?何?見すぎちゃいます?」と女将は手をぶんぶんと振った。
「美しい…目の保養どすえ」と久本が言う。
「それはちょっと京都をばかにしとるね」と女将はわざと膨れっ面をした。もちろんその膨れっ面すら美しいのだが。
「ねぇねぇ、旦那さんってあの大将?」
また久本が余計な事を女将に聞いた。だが神谷も少し気になっていた事なので黙って女将の返答を待つ。
「旦那?ウチの?違う違う!ウチは独身やけど、大将は結婚して娘さんもいらっしゃるよ」
「へぇー…」神谷はうっかり声を漏らした。
「なんだ神谷さんも気になってたんじゃん」
久本はにやにやと神谷を見ながら笑った。神谷は久本に「おい、笑うな」と言うが、それを言う神谷自身も笑っている。
「お二人はどういうご関係?お仕事の上司と部下?」女将が聞くと久本は
「いえ、師弟関係です!」と勢い良く答えた。
「師弟?じゃあ先生とお弟子さんなんやねぇ」
「おい、違うだろ」すかさず神谷がツッコミを入れる。
「あら違うの?じゃあ久本さんはまだお弟子さんとして認められてないんと違う?」と女将が笑った。
「それとさっきの話なんやけど…」笑っていた女将が急に真顔に切り替わる。
「さっきの話?」と久本がピンと来てない様子で聞くと、
「裏社会がどうとかっていう」と女将が言った。
女将は続けて「ウチもこんな仕事してるからそっち関係のお客さんよう来はるけど、あの人らは人間とちゃうよ?野蛮やし関わりたくないもん。だから神谷さんと久本さんも何があったか知らへんけどそっちの世界に首突っ込まんとき。怪我じゃ済まへんくなるよ」
久本は神谷の方を見て、女将への返答を促した。
「女将さんは気にしすぎですよ。我々はただ人を探してるだけです。ただお恥ずかしい事にその探してる人間は裏社会に関与している可能性が高い。だからそっち側の人間に聞き込みをしようとしてるだけです」
「もしかしてご職業は刑事さん?」女将は興味津々で聞いた。
「いえいえ、そんな立派なもんじゃないです。俺達はただの会社員ですよ」
「とてもただの会社員には見えへんけど。久本さん茶髪やし…まぁ、そういう事ならこの辺仕切ってる組の話教えましょうか?お店で話してはった事ぐらいしかウチは分からへんけど」
「おお!それはありがたい!ねっ?神谷さん」
「うーん…それはありがたいけどね。でももし、女将さんを巻き込んでしまったら大変だぞ」
神谷は腕を組みながら考え込んだ。久本も神谷の意見には賛成だと黙り込んだ。
「別に大した事やありませんよ。ただの盗み聞きですし。それに本間に聞かれたらまずい話をこんな所でしませんて」
女将は怯むどころか寧ろ話したそうだった。
「そう?なら教えてもらおうかな」
久本が言うと女将は相槌を打ち、話を始めた。
「この辺仕切ってるのは登竜会って所の傘下にあたる姫村組って組なんよ。今は昔と違ってケツモチとかみかじめ料なんて無くなったから接触はないけど、昔の名残か今もこの辺は姫村組か登竜会の人間しかうろつきはりませんわ」
「なんでそれが分かるの?」と神谷が聞いた。
「登竜会に属してはる人は背広に独特の花のマーク?のバッチをしてはるのよ。それに手の甲や首にもワンポイントでバッチと同じ花のマークのタトゥーを入れてはるの。それは今も昔も変わってないみたい」
「すごい団結力だな」
「そう、ここらでは仲間意識が強い組織で有名やね。良くない噂もよう聞くし」
「良くない噂って?」
「堅気の人間を拉致ったとか殺したとか。言い出したらきりがないほどあるわ」
「もしその話がほんとならやばいね」
久本が大げさに怖がる素振りをした。
「だから神谷さんも久本さんも、登竜会や姫村組の人らと関わるんやったら十分注意してくださいね。そこいらのチンピラとは違って、あの組織の人間は中身も本物の人らやから 」
「分かった。ありがとう女将さん。じゃあ俺達はそろそろおいとまするよ。お勘定頼むよ」
神谷がジャケットの内ポケットから財布を取り出そうと立ち上がると女将が止めた。
「いえいえ、今日はお代は結構ですよ。久本さんはともかく神谷さんはジュースだけで大した金額じゃないし。それよりまた来てね。次はきっちり払ってもらいますので」
女将はそう言うと久本の方をチラッと見る。
「ママ!そんな目で俺を見ないで!」久本はたまらず顔を手で隠したが、女将はそんな久本を微笑ましく見つめ、「では本日はありがとうございました。またのお越しを」と一礼し、ドアを開け見送った。
神谷が振り返ると、女将は神谷と久本が店から見えなくなるまでお辞儀をしていた。
「ママが話に入ってきたからゆっくり焼鳥食べれなかったですね」と久本は少々つまらなそうに言う。
「まぁな。でもまぁいつ客が入ってくるか分からん状況であんな話長々としてられないでしょ。しかたないさ」
神谷は立ち止まり、煙草に火を点けながら久本に言った。
「それで神谷さんはどう思います?組の話」
「ん?あの話か?うーん、噂が大きくなっている気はしなくもないが、おおかた本当じゃないか?火がない所に煙はたたないからな」
「俺は少々大げさだと思いますけどね。ママの話が本当なら関東にいる俺らにも登竜会の名前は届いてるはずですもん」
「まぁそう言うな、女将は一般人だし、単純にヤクザが怖いんだよ。だから少々大げさに聞こえるのはしかたがないさ」
「まぁそりゃそうですけど…」
久本は神谷の吐き出した煙を見つめながら、腑に落ちない様子で頭を掻いた。
「そんな顔するな。何も分からないまま闇雲に探すよりよっぽどマシだろ」
「そうですけど。ほんとに手掛かり掴めますかね」
「ま、運も実力の内って言うからな。とにかく行くぞ」
神谷はそう言い残すと通りに出てあてもなく歩き始めた。久本は少し遅れながら神谷に付いて行くと、神谷は百メートルほど歩いてとある店の前で足を止めた。店の看板にはピンクの背景に黒字で「シャルレ」と書かれている。
「なぁ久本。ここってバーか?」
「「シャルレ」ですか?ここはたしかガールズバーでしたよ」
「ガールズバーか…アリだな」
神谷はにやりと笑みを浮かべる。
「あの、ガールズバーで遊んでから探すんですか?」
「遊ぶってのは少し違う。この店を使って登竜会の奴らを誘き寄せるんだよ」
「俺達はただの客ですよ?何でヤクザが俺達に誘き寄せられるんですか?」
「偏見もあるだろうけど、こういう店ってよくぼったくりがどうとかで動画サイトに上がってるだろ?要するに俺達が支払いを拒み続けて店員がお手上げになった時にヤクザが来るだろう。という考えだ」
一通り話を聞いた久本は苦い顔で神谷を見る。
「そんなうまくいきますか?」
「分からん。ダメだったら普通に姉ちゃんと楽しく酒飲んだらいいじゃん。こんなまわりくどいやり方じゃなくて、その辺のそれっぽい奴捕まえる方が早いのは分かってるけど、それだと相当目立つからな」
そう言うと、神谷は店舗の階段を上りはじめた。久本もそれに続く。少し傾斜のきつい階段を上り、2階へ到着すると店舗のドアの前に一人のボーイがいた。
「いらっしゃいませ。二名様ですね。当店のご利用は初めてですか?」
「初めてです」
神谷が返事をすると「かしこまりました」とボーイがシステムの説明を始めた。
「当店は60分飲み放題三千円ポッキリです。もちろんフード類も全て食べ放題となっております」
とボーイが説明した。これは破格だ。
「安っ!!」すかさず久本が口を挟む。
「はい、当店はお客様に楽しんで頂けるよう勉強させて頂いております。今回は二名様なのでは60分で六千円頂戴します」
「わかりました」私が財布を取り出すと、ボーイが
「お支払は最後で結構です。60分経過しましたら私どもの方からお声かけさせて頂きますので」と神谷に頭を下げ、席へと案内した。店内はカウンター席のみだったが、先程の「吉や」とは違い満席に近いほど人が入っていた。カウンターにはサラリーマンがひしめき合い、後ろの棚には日本酒や焼酎、見た事のないワインや洋酒までかなりの種類の酒が並んでいた。席に座ると神谷がすかさず「ぼったくられそうだな」と笑った。久本もそう感じていたので頷いた。
するとそこに「こんばんわっ」と一人の女性が現れた。光沢のある綺麗なグリーンのワンピースに身を包んだ女性はアジア系のハーフを思わせる顔立ちだった。
「どーも。君がお酌してくれるの?」
神谷が聞くと女性は「そうよ」と少しカタコトの日本語で答えた。
「飲み物は何にします?」と聞かれ神谷はコーラ、久本は烏龍茶を注文した。
注文を聞いた女性は二人が酒を頼まなかった事に一瞬驚いた顔を見せたが、そこには何も触れずコーラと烏龍茶を出した。神谷と久本も女性の顔色に気付いたが、何の弁解もせず飲み物を飲みながら世間話をする。どうやらこの女性はフィリピンと日本のハーフで、シャルレに努めてまだ一年ほどらしい。女性は将来起業したいらしく、今はその資金集めの為日々精を出しているとの事。
神谷達は心底興味が無い話だったが、適当に相槌を打ち話を合わせていた。すると入口にいたボーイが、
「お客様、そろそろお時間ですがどうなさいますか?延長もできますが?」とやってきた。
「いや、もうお勘定で」と神谷が答えると
「では、ご精算をいたしますのでこのままお待ちください」とボーイが店の奥へと帰って行く。
ボーイの姿が消えたのを確認した久本が「さぁどうなるか」と不敵な笑みを浮かべる。
神谷も「さぁな」と笑い、隣を見たらいつの間にか先ほどまで一緒いた女性の姿が無い事に気付いた。
神谷が「あれ?」と声を出すと、久本も「あら?」とキョロキョロとする。
「ま、いっか」と前を向き直すと丁度ボーイが帰って来た。
「お待たせ致しました。またのお越しをお待ちしております」
ボーイが神谷に一枚の紙を手渡した。そこにはとても上手だとは言えない筆跡で雑に八万六千円と書かれていた。
「なんじゃこりゃ!?」
横から伝票を覗き込んだ久本が声を上げる。神谷は伝票を手にしたまま顔を上げてボーイを見た。
「これ、まじ?」
ボーイは何か悪い事でもしたか?と言わんばかりのとぼけ顔で
「まじ?…とはどういう意味でしょうか?それがお客様の本日のお代になっておりますが…」と真顔で答える。
その態度に呆れた神谷は「まぁいい」と言い、責任者を呼ぶようボーイに伝えた。神谷から指示を受けたボーイは一切戸惑う様子はなく、「かしこまりました」と頭を下げ奥へと姿を消した。
「二人で六千円って聞いてたのにえらい金額になっちゃいましたね」
隣で久本が笑いを堪えながら神谷に言った。
「まさにぼったくりバーだなこりゃ」と神谷も笑うと、店の奥から先程のボーイが戻って来た。
そしてボーイに先導される形でもう一人の男もいた。その男が責任者なのだろう。スーツ姿であってもその風貌は明らかに堅気の人間ではない。ノーネクタイの開けた胸元にはごっつい金のネックレス。体も全体像はスリムだが、肩から腕にかけての筋肉が不自然なぐらい盛り上がっており、腕っぷしが強そうな事を見事に演出している。男はゆっくりと神谷達のいるカウンターに近付くと、先程まで女性が座っていた神谷の隣の席にドカッと腰を下ろした。
「お客様ですか?支払いができひんってごねてはるのは?」
恐らく責任者であろう男は威圧的な関西弁で詰め寄った。
神谷はただ責任者を呼ぶように言っただけで、いつ自分達が支払いができない人という事になったのだろうと久本の顔を見た。すると久本も目を丸くして神谷の顔を見ていた。まぁぼったくりをしている店側としては責任者を呼ぶイコール請求に関するいちゃもんと思ったのだろう。というよりもそうなる事はすでに想定済みだろうが。
「俺らそこのボーイの子に二人で六千円ポッキリって言われて店に入ったんだけどねぇ。この金額はどう考えてもおかしくないですか?」
神谷が言おうとしていた事を横から久本が言った。
「おかしいって何がです?たしかに六千円ポッキリですけどそれは飲食代金の話であって、席代と女の子の指名料は別途頂く事になってるんですが」
「じゃあその席代と指名料はいくらなんだよ?」
久本は呆れながら聞いた。
「席代が一人一時間五千円で、指名料が一時間七万円ですが。それはそこの貼り紙にも書いてるでしょ」
男が指差した貼り紙を見ると、メダカの様な小さい時でたしかにそう書いてあった。
「お前バカか。書いてあっても見えなきゃ意味ないっつーの。こんなの明らかに見えないでしょ。むしろ見えにくく細工してあるし。誰がそんな貼り紙をかじりついて確認するんだよ」
久本は食らい付くが、男は眉一つ動かさない。
「だから何です?うちとしても払ってもらわないと困るんですが。何なら警察呼んでもらっても全然結構かまいませんけど?」
「あ?」
久本がキレかけた時、神谷が口を挟んだ。
「警察呼んでも意味ねぇよ。あいつらは民事には首突っ込まねぇから」
神谷は責任者の男に目を向けながら答えると
「よくご存じで。だからもうあなた達は支払うしかないんですよ。もし拒めば無銭飲食って事でこっちが訴えますけどね」
「図に乗るなよチンピラ…」
初めは遊び半分で笑っていた久本も、責任者である男の舐めた態度がカンに触ったようだ。今にも手を出しそうで神谷はハラハラした。
「おい久本、お前は少し黙ってろ」
神谷の圧力に久本は少々萎縮し、黙り込む。
その一部始終を黙って見ていた責任者の男は神谷に「あんたに話した方が話が早そうや 」と嘘くさい笑みを浮かべ、「さぁお支払い下さい」と手を差し出した。
そしてその手に小さくワンポイントで花のタトゥーが入っている事を神谷は見逃さなかった。
「あんた少し勘違いしてねぇか?誰が払うって言ったよ」
想像していた返答じゃなかったのか、男は怪訝な顔で神谷を見る。
「いや、あんたらさ。分かってる?それやとただの無銭飲食やけど?」
「そこのボーイに始めに説明を受けた金額は払うよ。だから無銭飲食ではないはずだ」
神谷はそう言うと財布から一万円札を取り出し、男に投げつけた。一万円札はヒラヒラと舞い、ゆっくりと男の足元に落ちる。
「ほら、拾えよ。釣りは要らないから取っとけ貧乏人」
男は足元に舞い落ちた一万円札を一度見てから視線を上げ、神谷の方を見た。その顔には誰が見ても分かるぐらいの怒りが込められている。
「おいコラなんのつもりや?冗談やったらもうやめとけよ」
「冗談なんかじゃねぇよ。ほら、お客様が勘定を済ませたんだ。早く拾えよチンピラ」
男の顔は怒りで真っ赤になった。
「もうええわ。お前らちょっと面貸せや」
男がそう言うと神谷の、ボーイは久本の襟元を掴み、奥の事務所へと引きずりながら連れて行った。
「おら!そこの壁に添って立てやワレェ!」
男は事務所に神谷達を連れ込んだとたんに怒声を放った。
神谷達は言われるがまま、壁に添って立ち、「おいおい、詐欺のお次は脅迫か?言っとくけど俺らはこの程度じゃ屈しないぜ」と神谷は笑い、久本も「ほんとくだらねぇな」と男を煽る。
それを聞いた男は、まるで何かを諦めた様な表情に一変し、隣にいたボーイに
「おい、いつものやっとけ」と静かに言った。
ボーイは「はい」と短く返答すると近くのパイプ椅子を二つ手に取り
「お前ら座れ」と神谷達に言った。
ボーイの豹変ぶりに、決してもてなされている訳じゃないと分かっていたが、神谷と久本はいわれるがままパイプ椅子に座った。
パイプ椅子に二人が腰掛けるのを確認したボーイは工事現場などで使用する虎ロープを取り出し、神谷と久本の体を椅子に縛り付けた。
「まじかよ。脅迫からの監禁か?」
しかし、もう責任者の男とボーイには神谷の声は届いていない。店側の二人は神谷と久本を人としてはなく、モノとして見ている様だった。責任者の男は縛り付けられた二人を見下ろし、
「閉店までそうして待ってろや。まぁお楽しみに」と言い捨てると、ボーイと部屋を後にした。
「ちょっと思ってた展開と違ってません?これやばいですよね?」
二人きりの静まり返る部屋で久本がつぶやいた。
まだ二十代で場数を踏んでいない久本には、この状況は少し不安らしい。
「最悪殺ってしまうかもな。まずは身を守るのが優先だ」
「ですよね…で、どうするんですか?」
「とりあえずはあいつらが戻って来るのを待つしかないな。このロープをほどく瞬間が必ずあるはずだし、やるならそのタイミングで殺す」
「分かりました。神谷さんは武器とか持ってんですか?俺は丸腰ですけど」
「ああ、ナイフ二本と銃を一丁ジャケットに忍ばせてる。あいつらは俺がヒットマンだとは思ってもないだろうからボディーチェックは無いだろ。だから安心しろ。大丈夫だ」
「でももしボディーチェックされてヒットマンだとバレたら?」
神谷は即答で大丈夫だとは言えなかった。だが、今までも修羅場と呼ばれる場面を幾度となく乗り越えている。それを自身に言い聞かせて切り抜けられると思うしかなかった。
「もしバレて銃とナイフを取られても大丈夫さ。あんな素人同然の奴らなんかに銃は扱えないし、人を殺す度胸もないよ」
「分かりました。じゃあ神谷さんを信じて待ちましょうか」
「そうしてくれ。それに閉店時間までまだ時間あるだろ?俺は少し寝るからあいつら帰ってきたら起こしてくれな」
「え!?ちょっと!今寝るんですか?」
久本は目を丸くして唸った。
「だって起きてても仕方ないだろ?いつ帰って来るか分からない相手を待ってても、精神的に消耗するだけだしな。俺は寝るがお前は好きにしてくれ。じゃあおやすみ」
神谷はそれだけ言うと勝手に目を閉じた。
「まじかよこのおっさん……」
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