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『4』
「起きんかいわれぇ!!」
この怒声で神谷は目を覚ました。隣を見ると今だロープで縛られた久本が不安げに神谷を見ていた。
「起こせって言っただろ…」神谷は小声で久本に言った。
「何をごちゃごちゃ言うとんねん! 」
神谷は怒声を発した人物に視線を向ける。そこには先程の責任者の男とボーイ、それ以外に別の三人のボーイが加わり計五人が座っている神谷達を見下ろしていた。
「柳さん、こいつらどうしますか?」
一人のボーイが言った。どうやらこの責任者の男は柳というらしい。柳は「もちろん代金を支払うまで帰さねぇよ。逆らうなら川か山にでも…」といかにもわざとらしく言葉を濁し、神谷達を見る。
「だってよ。はよ払えやお前ら」
ボーイの一人が言い、神谷の胸ぐらを掴んだ。
「あんたらもうその辺でやめとけ」とっさに久本が止めた。すると、間髪入れずにボーイは久本の顔面に拳を叩き込む。
「はぁ!?てめぇ誰に指図しとんねん!なめんのもええかげんにせぇや!」
「はぁ…はぁ……ぷっ…!!」
久本は口の中を切り、異物を吐き出した。それは折れた久本の歯だった。歯は血の混じった唾液と共に地面に転がる。
「はぁ…はぁ…神谷さん、まだだめですよ。目的を忘れなっ……!!」
久本が話終える前に、ボーイが久本の腹部に蹴りを入れた。パイプ椅子に縛り付けられたままの久本は、蹴られた勢いで真横に椅子に座ったまま倒れ込んだ。
「すいません、代金はお支払いします。それよりこれ、ほどいてもらえませんか?」
神谷は倒れた久本を気にする事なく、近くのボーイに声を掛けた。ボーイは柳の方に目を向けると柳は「ええやろ、ほどいたれ」と言い、ボーイは神谷のロープをほどいた。
一番始めにいたボーイが神谷に近寄り金銭トレーを差し出す。神谷は立ち上がりジャケットの内ポケットに手を差し込んだ。
「では…」とボーイが言ったとたん、金銭トレーの上に血のシャワーが降り注いだ。
「がっ…!が…はっ!」
神谷はジャケットの内ポケットから財布ではなく、小型のナイフを取り出していた。そしてその小型ナイフをボーイの喉に突き刺したのだ。
「おい…何してる…?」
顔に血しぶきを浴びた神谷が振り返ると久本を除いた全員が血の気を引いていた。かろうじて柳だけが正気を保とうと神谷をじっと見た。喉を刺されたボーイは膝をつき、口を数回パクパクとさせた後に息絶えた。
「一つ質問する。お前は登竜会の人間か?」神谷は柳の体に埋め込まれたタトゥーを見ながら問い掛ける。
「お前よそ者か?このタトゥーが目に入ってなかったんか?」柳はそう言うと手の甲を神谷に向けた。
「まさしく。俺は登竜会直系姫村組の柳や。ついでに今われが殺した男も姫村組のもんや。なんぼ下っぱの組員や言うても姫村のもんには違いない。もちろんただで済まんのは分かってるな?…お前らぁ!!」
柳が声を上げると部屋中の空気が一気に張りつめた。先程まで萎縮しきっていたボーイ達の士気も高まりつつある。
「久本、お前はそこで少し寝てろ。すぐ終わる」
久本は倒れた状態で顔だけを神谷に向けると「ほんと勘弁してくださいよ。とんだとばっちりだ」とため息を吐いた。
「何がすぐ終わるって?ええかげんにせぇよコラァ! 」ボーイの一人が神谷に殴り掛かった。怒りに任せた大振りの右ストレートが神谷の顔めがけて伸びる。
神谷は頭を左に振ってかわすと同時に、ボーイのみぞおちに打撃を放った。
「ぐぶっ…!」
ボーイは倒れ、口から血を吐いた。神谷は単にボーイの腹部を殴ったのではなく、ナイフで刺していた。残り二人のボーイは目の前の惨状にさらに萎縮したが、柳の「はよやってまわんかい!」という怒声に押され神谷に突っ込んだ。先に神谷に到着したボーイは前蹴りを繰り出す。神谷はその足先を左手で抱え止めると、真上に払った。足を上に払われ、軸足だけの状態になったボーイの足に神谷は蹴りを入れる。軸足を崩されたボーイは一瞬中に舞い、耳から地面に落ちた。そして神谷は再びジャケット内に手を入れ、サプレッサー付きの銃を取り出すと、倒れたボーイのこめかみに一発を撃ち込んだ。
そこへすかさずもう一人のボーイが神谷に蹴りを入れる。神谷は腕で蹴りをガードしたが、ボーイはとっさに神谷の腕を掴み拳銃を奪おうと力を込めた。しかし神谷はあっさり拳銃から手を離す。力を込めて引っ張ったボーイは勢い余って後方によろけた。神谷は即座にボーイの股間に蹴りを入れ、頭が前に下がったボーイの両耳を掴むと顔面に膝蹴りを叩き込んだ。膝蹴りを入れられたボーイは地面に倒れそうになり、手をつくためとっさに手から拳銃を離した。間一髪手をつき倒れずに済んだボーイが顔を上げると、そこにはサプレッサーがついた銃口が向けられており「プシュッ!」と額に弾丸が放たれた。
「さて、お前はどうする?」神谷は氷のような目を柳に向けた。しかし柳は動揺していたものの、歯を食いしばりながら神谷に対して今だ敵意のこもった視線を向ける。
「柳さんだっけ?もうやめといた方がいいよ。あんたの命まで取るつもりはないから。ねっ、神谷さん?それより早くほどいて下さいよこれ…」と、そこへ久本が割って入った。
「おい、ほどけ」神谷は銃口を柳に向けたまま指示を出す。
柳は神谷を睨み付けたまま、久本の体に巻き付けられたロープをほどいた。
「なぁ、いいかげんその物騒なもん向けるのやめてくれへんか?」柳は目で神谷の持つ銃の銃口を見た。
「それじゃあ俺の質問に答えろ」と神谷が強い口調で言うと柳は「なんや?」と今だ自分に向けられた銃口に話し掛ける様に言った。
「中野はどこにいる?」
「中野?」
柳は顔をしかめたが神谷は関係なく話を進める。
「ああそうだ。中野と名乗るヒットマンだ」
「んー…中野…中野ー…… 」
柳は少し大げさに考え込むポーズを取った。
「どうなんだよ!」
痺れを切らした久本が神谷より先に柳に詰め寄った。
「まぁ待てや。今思い出しとるがな!」
するといきなり神谷が柳の額に銃口を突き付けた。
「時間稼ぎのつもりか?いくらヤクザの世界でもヒットマンはわずかしかいないはずだ」
「ちょー待てや!本間に思い出しとんねん!それに何でお前がそないな事知っとんねん」
柳は両手を上げ必死に訴えかける。
「俺もヒットマンだからだよ。逆にお前は堅気の人間が銃を持ってると思うのか?」
しばらく沈黙が続き、久本がそれを破った。
「で?どうなの?」
「うーん…やっぱっ…!?」
プシュッ!
柳が答えようとした時に神谷は柳の膝を撃ち抜いた。
「うっ…!ああああっ!!」
柳は膝を抱えながら倒れ込み、必死に膝を手で押さえる。
神谷はその様子を見下ろし「知っているか知らないか?俺の質問はそれだけだ。次はないぞ」と言い放つ。
「あーあ…でもこれはあんたが悪いよ。ちんたらやってっから」久本はうんこ座りでしばらく悶絶する柳の観察をしてから、髪を掴み顔を上げさせた。無理矢理上げられた柳の顔には先程までの敵意は無く、ただただ怯えきっていた。
「ヤクザだろ?何ビビってんだよ…」久本はため息まじりで「神谷さーん、こいつどうします?」と聞いた。
「ん?もちろんここで殺すよ」神谷はあっさり答えた。神谷が言い終わると同時に柳は「それだけはやめてくれ!!」と懇願した。
「じゃあさっさと話せ」
「わかったわかった!あんたが組織についてどこまで詳しいかは知らんけど…」と、柳は爆発物に触れるかの様にゆっくり、慎重に口を開いた。
「俺ら姫村組は登竜会傘下の直系の組や。規模で言えば登竜会で三本の指に入るやろ。ほんでその登竜会は小さい末端の組も入れたら数百の組から成るいわば集合体みたいなもんでな。だから実際には登竜会というのは連合軍の名称みたいな感じやねん」
「それで?一体中野はどこなんだよ?」久本がいらつきながら聞く。
「ほんでや、登竜会……連合軍の中でも上下関係があってな。かつて登竜会には二人のトップがおったんや。今は会長の鬼塚さん一人なんやけど」
「おったんや…って過去形かよ」
「そうや。鬼塚さんともう一人はジンて海外の人でな。軍人か傭兵か何かそんな感じのとこ出身の人で……それに関東の方で自分の組持ってるとも聞いた事あるな…まぁ、とりあえず恐ろしい人やったみたいや。今の登竜会に武器を流したりするルートを作ったんもそのジンて人や。ただジンさんは海外の人間って事もあって鬼塚会長とは仲良くやっとったけど、組の跡目やら権力争いにはまったく関心がなくてな。だから実質のトップは鬼塚会長やったんやけど、会長もジンさんには色々と政治的な面でも助けられてたみたいで頭が上がらんかったと聞いてる。だからツートップって言われてるんや。まぁ、ジンさんは助っ人ってイメージや」
「それで?」
久本は出血してる柳の血をを避けながら、正面にあぐらをかいて座った。神谷も相変わらず柳に銃口を向けたままだが、壁にもたれかかり黙って話を聞いている。
「数年前のある日、ジンさんは突然殺された…あんたらも知らんか?数年前に起きたバーでの殺人事件。犯人はその場で現行犯逮捕されたけど、実は素人じゃなく殺し屋やと名乗る連続殺人犯でしたってやつ。たしか名前はー…」
「神谷 旬……だろ?」
そこで初めて神谷が口を開いた。
「あっ…そうそう!神谷や!…ってあんたも神谷やっけ?」
「そうだよ」
神谷が答えると久本が「神谷さん、余計な事は…」と制止した。そのやり取りを見ていた柳の顔から血の気が引いていく。
「あんたさっき自分はヒットマンや言うてたな?もしかして…あの事件…」
「今あんたが考えている事が正解だよ」
柳はまさに顔面蒼白で完全に怯えきり「すいませんでしたぁ!」と撃ち抜かれた膝の痛みも忘れ、頭を地面に擦り付けながら土下座をした。
「さっさと続き話せよ」
「はい…」柳は神谷の圧力に負け話を続ける。
「ジンさんが殺されて…まっさきに疑われたのが鬼塚会長です。やはり組織である以上、反鬼塚派もいますから…そいつらが鬼塚会長の差し金だと吹いて回った。それで火がない所に煙は立たないと組員達は鬼塚会長にどんどん不信感を募らせた。そこで自身の身を案じた会長は、金を積み腕の良いヒットマンを雇わはりました。自身の護衛と反乱分子を消すために…」
「それが中野か?」久本が聞くと、柳は「はい、そう聞きました」と小さく頷いた。
「なるほどな。それで中野は京都に潜伏してるのか…」神谷は納得がいった様子でゆっくり頷いた。そこへ柳が「これで俺は解放されますよね!?助かりますね!?」とべそをかきながら神谷に泣きついた。そんな柳に向かって神谷はゆっくりとした口調で言葉を投げ掛けた。
「お前は今まで人に危害を加えたり、人を殺した事はあるか?」
問いかけられた柳は一瞬神谷から視線を外し、目を泳がせた。「別にお前を咎める気はないさ。あるのか無いのかどっちだ?正直に答えろ」そう言うと神谷は柳に向けていた銃口を下げた。
「そらありますよ。こちとらヤクザもんやさかい。過去にはやり過ぎて殺してしもた事もあります」
柳が答えると、神谷は再度銃口を柳に向けた。
「じゃあお前はその時、相手が命乞いをしたら殺すのをやめたか?殴るのをやめたか?」
「ちょっと待ってくれや!それとこれとは話がっ……!!」
プシュッ!プシュッ!
柳が話し終わる前に神谷は引き金を引いていた。そして二発の弾丸は柳の額と胸に命中し、柳は関節がぐにゃぐにゃの人形の様にごろんとその場に倒れた。それを見た久本が「何も殺さなくても…」と言ったが神谷は「こいつを生かして帰したら必ず俺らの事を報告する。そうなれば中野に勘づかれて逃がしちまうからな」と言った。
「だからって……まぁいいや。それで?これからどうするんですか?」
「そりゃもちろん会長の鬼塚を狙うしかないだろう?鬼塚の側近か鬼塚本人を叩く」
「分かりました。じゃあとりあえずここ出ましょうか」
久本はそう言うと部屋の中にある紙類を集め始め、自分と神谷が縛り付けられていたロープや椅子を一ヶ所に固め始めた。そしてズボンからライターを取り出し、一番上に重ねた書類の角に火を点けた。久本の持つライターから移った火は、真っ黒の燃えカスを舞い上げながらみるみる燃え上がり始めた。
「これで証拠隠滅っと…!神谷さん、これでいいですか?」
「燃え方にもよるけどこれで死体の判別は難しくなるだろうな。ただ弾丸は燃えずに残るし警察に見つかるだろう」
「でも弾丸が見つかるぐらい大丈夫ですよね?そんなの誰のかなんて分からんし」
「いや、ただ燃えただけなら事故として処理される可能性が高いが、弾丸が見つかっちまうと殺害からの放火って事で事件性が一気に跳ね上がる。そうなれば遺体の数が多い分スクープにもなるし世間の目を引く。警察も威信をかけて全力で捜査するさ」
「マジっすか!?もっと早く言ってくださいよー」
久本はうなだれる。
「お前が勝手にやったんだろ。言っとくが俺には警察のツテなんかねぇから捕まればまじで懲役食らうぞこれ。まぁ、とりあえずここは危ないからさっさと出よう。外の防犯カメラの場所は把握してないからなるべく普通の素振りをして出ろ」
そして神谷と久本は何事も無かった様に建物を後にした。幸いにも店は営業を終えていたので火事に気が付いているのは神谷と久本の二人だけだった。
建物をから数百メートル離れ、神谷はタクシーを拾った。
「運転手さん、京都タワーまで」
「かしこまりました」と60代であろう運転手が答え、タクシーを走らせた。
車内のカメラに会話が残るとまずいので、久本はとにかく目的地に着くまで沈黙を貫いた。
「あ、この辺で」神谷がそう言うと運転手はタクシーを止めた。
「どうも」久本も礼を言いタクシーを降りた。そしてタクシーが走り去ったのを確認してから「なんでここ来たんすか?」と、ようやく久本は口を開く。
「とりあえず現場から離れたかったんだよ。それよりゴミ捨て場あるか?」神谷は辺りを見回した。するとカラオケ屋の前の電柱にゴミ袋の山があるのを発見した。
「とりあえず凶器のナイフを処分する。まぁ心配するな。警察が弾丸を見つけて単なる火事じゃなく事件性が浮上した頃にはこのナイフもスクラップになってるよ」
そう言うと神谷はゴミ置き場に近付き、ささっとナイフの刃をハンカチでくるんでゴミ袋にナイフを詰め込んだ。
「よしっ、これでとにかく一安心だ。少し歩こう」
神谷に続いて久本も大通りに向かって歩き始める。
「でも神谷さん、拳銃はまだ持ってますよね?ナイフを処分しても銃弾を照合されたらまずくないですか?」
「銃なんて照合されなくても持ってるのを確認された時点で終わりだよ。ヤクザとかは地場の警察を買収している事がほとんどだから見て見ぬふりだろうけど」
「やっぱあるんすね!そういう映画みたいな事」
「いや、俺よりお前の方がそういうの詳しいんじゃねぇか?一応ヤクザの見習いみたいな事やってたんだろ?」
「見習いは所詮見習いですよ。会社でも研修生は上層部の偉い人同士の話に首突っ込まないでしょ?それと同じです。だからあんまりヤクザの世界は知りませんよ」
久本は煙草に火を点け、煙を宙に吐いた。
「しかしまぁ勘ですけど、さっきのあの柳って男…ありゃ多分下っぱでしょうね。ある程度上まで登りつめたヤクザはあんなあからさまな風貌じゃないですし、まず堅気の客にあそこまで凄まないですもん」
「たしかに。ただのチンピラっぽかったな…あいつ」すると久本が突然歩くのをやめた。神谷は気配で久本が立ち止まった事に気付いた。
「おい、どうした?」
「もう神谷さんは人を殺しても平気になってしまったんですか?」まだ若く純粋な久本の唐突な質問に神谷は驚いた。
「平気じゃないよ。って言いたい所だけど…正直もう慣れてしまったな。ヒットマンとして活動を始めた当初は殺す度に心臓が痛くなって夜も眠れなかったよ。だけどそれが仕事になると徐々に当たり前になってそういった感覚も麻痺してしまったな。相手にもよるが、一人殺すだけでサラリーマンの年収に近いほどの報酬が入るんだ。誰だって麻痺するさ」
神谷は振り返ったまま久本を見るが、久本は下を向いたまま何も答えない。そしてしばらくの沈黙を破り、久本は「俺は…俺はまだ怖いです」と言葉を漏らした。
「神谷さんも知っての通り、俺も過去にヤクザの見習いをしてました。見習いだから当然死体処理の手伝いとか、汚れ仕事も多かった…人が死ぬ所も何度か見た事もあります…でも当時はこれもヤクザになる為の通過儀礼かと思えたので何とか耐えれましたし、俺ら見習いはさすがに直接手を下さなかったから、まだ他人事だと割りきれてました。だけどっ…!」
久本は言葉を詰まらせる。
「だけど?」
「今は神谷さんと一緒に当事者となってその場にいます。このままじゃ俺も人が死ぬ事に対して本当に何も感じなくなっちゃうんじゃないかって…そりゃあ俺もヤクザの見習いでしたからある程度の免疫はあるつもりですよ。でも人が死ぬ所だけは何度見ても精神的に来る部分が…」
「じゃあ抜けろよ。お前の言う通り、この先俺に付いてたら本当に人を殺しても何も感じない様になる。別に俺一人でも中野は追えるからよ。引くなら今だ」
神谷には久本の言いたい事がよく理解できる。だからこそあえて冷たく突き放す様に言った。
「でも…!でも…俺にとって神谷さんは憧れの存在だし、できる事なら力になりたいです。矛盾だらけなのは百も承知です。もう少し…俺が本当に限界を迎えるまでお供させてください。神谷さんが俺を見て使えないなと思う様ならいつでも切ってもらって結構なんで」
「そうか…分かった」
「すいません。こんな状況の時に訳の分からない事言って」久本は足を止めたまま、頭を下げた。が、神谷は久本に目もくれずスタスタと歩き出した。そんな神谷の様子を見て久本も言わなきゃ良かったと後悔した。自分の弱さを恨んだ。神谷さんがこうなってしまったのも必ず何か訳があるはず。なぜそれをまず理解しようとせず、自分本意の想いをぶちまけてしまったんだろう。
久本は余計な事を言ったと落ち込みながらとぼとぼ歩いていると、前方を歩いていた神谷が突然足を止めた。そして神谷は振り返る事なく久本に聞いた。
「お前さ、さっき居酒屋で女将さんに俺との関係を師弟関係ですって言っただろ?何でそんな事言った?」
なんで?それは久本本人にも分からなかった。なぜか口から出た言葉がそれだった。でも神谷にそのままを伝えるのは違うと思い、少し考える。
久本が答えかねていると神谷は続けて問い掛ける。「俺みたいにヒットマンになりたいのか?」
「ヒットマン……に?」
「そうだ。お前は単に見習いとして命令に従っただけかも知れないが、過去に俺を殺す刺客として目の前に現れた。ま、そこで俺に完膚なきまで叩きのめされたけどな……でも断ろうと思えば断れたはずだ。命令をした組の者もいくら腕っぷしが強くてもお前は所詮見習い。自分で言うのも何だが、俺を殺す事は見習いが手に負える様な案件ではないと組のやつらも判断はついたはずなんだよ。だけどお前は俺の前に来た。来たからには殺せると確信があったか、あるいは何か信念の様なものがあったはずなんだ。俺にはそれが見えたからお前の事を買って殺さなかった」
しばらくの沈黙が続き、久本は無言で神谷の目を見ながら言った。
「あの時はただ組を壊滅に追い込もうとしている奴がいるから首取ってこいって言われて…これを信念と言えるのか分かりませんが、組を悪から救わねばという正義感は働きました。その正義感が俺を奮い立たせたのかもしれません」
「じゃあその悪から守るという正義感が、お前の中に隠された信念じゃないのかな。俺はそう思うけど」
「正義感…別に夢ってほど大それたものじゃないですけど、俺は殺される人間が一人でも減る事を望んでいます。報道される殺人事件なんてごく一部にすぎない事も知ってるし、殺されても当然の様な人間にも悲しむ家族はいます。だから一人でも多く、殺される人間を減らしてそれを阻止したい。これがこの世界に足を踏み入れてからできた俺の目標です」
そこで神谷がようやく久本の方へ振り返った。相変わらず神谷は無表情だ。そして口を開いた。
「俺はお前のそういう純粋な所が気に入っている。だからどうだ、弟子入りするか?」神谷はニッと笑った。
「え…?神谷さんはそういうの好きじゃないんじゃ……」久本は困惑する。
「好きじゃないっていうか…そういうのいた事ねぇんだ。だからよく分からんというか…俺の目標はあくまで中野に復讐する事。それが叶ってしまえばヒットマンとして活動するのは終わりだけどな。まぁ、それまでの間で良ければ弟子になれよ。お前は学んだ技術を自分の正義の為に使えばいい」
「ぜひ…!ぜひお願いします!」
久本は深々と頭を下げた。思いの外久本が喜んで提案を受け入れたので神谷も少し驚いたが、神谷は久本の肩に手をかけ「よろしくな」と声を掛けた。
「じゃあ明日から本格的に弟子って事で色々教えていくから、今日はもう帰ろう。昼頃また連絡するよ」神谷はそう言うとさっさと宿泊先のホテルへと帰った。
神谷はホテルの部屋に帰ると、まず煙草に火を点け深く煙を吸い込んで深呼吸した。
「弟子か……なんか皮肉だな」
神谷もかつては中野の弟子の様な立場であった。何も知らなかった神谷に銃の使い方やその他の武器使用法など、殺しに必要なスキルはほとんど中野に教わった。もちろん中野だけに学んだ訳ではないが、神谷のヒットマンとしての骨組みを作ったのは間違いなく中野だ。
「弟子がかつての師を弟弟子と殺しに行く。しかもその殺しのテクニックは師から学んだもの。ドラマチックじゃねぇかよ。こんなの即映画化だぜお い…」
独り言など言わない神谷だが、めずらしく独り言を話し、冷蔵庫に入れてあった糖質オフビールを一気に流し込む。そしてベッドに豪快にダイブした。「さて、これからどうするか……昼に連絡すると言ったものの何も考えてねぇや」あれこれ考えているうちに神谷の元へ睡魔がやってきた。神谷は襲ってきた睡魔に抗う事はせず、そのままゆっくり眠りについた。
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