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『7』
「神谷さん、本当に入るんですか?」
「当たり前だろーが。居場所分かってんのに一回も実物見ない奴がどこにいる」
神谷と久本は小倉が警備をしているクラブ「オアシス」へと訪れていた。遠目からでも一度小倉を見ておきたいと神谷が言ったのだ。久本は小倉の顔とある程度の情報はネットで検索したら出てくるからそこまでしなくてもと不満を漏らした。
「もし小倉に警戒されたらどうするんです?殺りにくくなりますよ」
「何もしないのに何で警戒されんだよ」
「うーん、殺し屋のオーラ…的な?」
アホかお前はと神谷は呆れる。「そもそも小倉は何でこんな金にならん警備の仕事してると思う?それなら元力士のパワーを生かせる建設業とかでもいいだろう?」
「単純にスカウトされたんじゃないですか?」
「多分そうだろうな。で、小倉自身も元力士というプライドがあるんだ。俺の体を見ろ!俺は強いんだぞって。だからいちいち警戒するどころか、きっと堂々としてるよ。もし暴れる奴がいれば取り押さえるという名目で捻りあげて力の誇示ができるからな」
「有り得ますねそれ。素行の悪さを理由に引退させられた小倉らしい」
「まぁ性格とか何も知らんからあくまで憶測だけどな。だからあんまジロジロ見たりするなよ。何見てんだって難癖つけてきやがるぞ」
久本は「そうなればここで殺しましょう」と冗談を言いながら受付へと向かった。入場料を払うと、チャラついたもやしの様なスタッフが手の甲にスタンプを押してくれた。そのまま中へ通され、地下への階段を下りる。階段の壁にはヒップホップのライブやイベントの予告のポスターがみっちり貼り巡らされていた。今日はイベント日ではなさそうだったが、地下の会場に近づくにつれリズミカルな重低音が鳴り響いてきた。会場の入口にあたる二枚扉には二名のスタッフが立っており、「どうぞ」とジェスチャーのみで中へ招かれた。
ドンッ!ドンッ!ドンッ!と重低音が鳴り響き、これだとまともに会話が成り立たない。そこで神谷がポケットからワイヤレスイヤホンを取り出し、耳に着ける様指示した。有名メーカーのロゴが入ったイヤホンを手に取り、スマホとペアリングを済ませて耳に着ける。神谷は久本がイヤホンを着けた事を確認すると、久本のスマホに着信を入れた。
「聞こえるか?」
さすが有名メーカーのイヤホンなだけに、この爆音の中でも神谷の声がクリアに聞こえる。
「ええ、聞こえます」
「今から二手に分かれて小倉を探す。だからこのまま通話中にしとけよ。それと絶対に深追いはするな」
「了解しました。じゃあ俺はこのままこのフロアをまわります」
「なら俺は上のフロアを見てくる」
そう言うと神谷は螺旋階段を登り、VIP席のある上のフロアへと移動した。神谷が上に上がるのを確認すると久本もフロアの巡回を始めた。京都で一番大きな会場なだけにフロアは客だらけだ。ほとんどの客は一心不乱に酒を片手に頭を振りながら踊り狂っていた。素面の久本はその様子を「きもっ」と横目で見ながらスタッフの数を確認した。受付にいたスタッフもそうだが「オアシス」のスタッフはロゴ入りの白のTシャツを着ている。そして恐らく警備スタッフだろうと思われる人間は、色違いの黒のオアシスTシャツを着ていた。それに黒Tシャツの連中は、ほとんどゴツい奴らで腰には警棒を装着していた。
「もしもし、神谷さん?」
ザザザッと少しノイズが走ったが、すぐに神谷のクリアな声が聞こえた。
「どうした?小倉を見つけたか?」
「いえ、小倉はまだ見つけていません。でもどうやら黒のTシャツの連中が警備スタッフの様です」
「上のフロアはVIP席があるから黒Tばっかだぞ」と神谷は笑った。
「じゃあ小倉は上のフロアにいそうですね」
「俺もそう思ってぐるっと見たんだけどな、でも上にはいない様だ」
ならどこにいますかね?と神谷に聞こうと思ったが、そんなの神谷が知るはずないかと思い、久本は言い留まった。そもそもクラブで小倉が警備の仕事をしていると調べたのは久本だ。SNSの情報を参考に、街中にいる若者に少し聞き込みをした程度だったので調べが甘かったと思った。少し前まで小倉はメディアへの露出も多々あり、特にこれといった特徴の無い顔だった事もあって、似ている人間が警備をしていただけかもしれない。
「神谷さん、すいません。今回は空振りっぽいですね」
「かもな。もう少しだけ上のフロアを見ておくよ。ほどほどにして降りるからお前は酒でも飲んで待ってろ」
「わかりました。じゃあ後で」
そして神谷との通話を終えた。とりあえず神谷が戻ってくるまでの間、言われた通り酒でも飲んでおこうと若い姉ちゃん達が陣取っている簡素なバーカウンターに向かう。向かいながら何を飲もうか考えていたら少し尿意を感じたので、先にトイレを済ませてから酒を飲む事にした。トイレの前にはチンピラが数人たむろしており、分かりやすくガンをつけられる。だが久本は無駄な争いを避ける為にチンピラとは一瞬たりとも目を合わさず中へと入った。少し前の俺なら完全に揉めていたな、と自分が大人になった事に酔いながら用を足していたら奥の個室から「ごほっ!ごほっ…あぁ……!」と声が漏れてきた。酔っぱらいかよ、勘弁してくれ。とさっさとトイレを出ようとしたその時、個室の鍵が開いた。何となくどんな奴が入っていたのか気になったので、手を洗いながら洗面台の鏡越しに個室の方を確認した。中から出てきたのは黒のオアシスTシャツを着た大男だった。長髪をピチッと後ろで束ね、まさにブルドーザーという感じの体格だった。そして久本は瞬時にこいつが小倉だと察した。知らないフリをしてすぐにトイレから出るべきなのは分かっていたが、どうしても鏡越しで視線が小倉の方へ行く。見るな見るな…と自分に言い聞かせ、蛇口の水を止めて出ようと顔を上げた時、久本の真後ろに小倉が立ったおり、鏡越しで完全に目が合った。全身に鳥肌が立った。
「おう、さっきから何をチラチラ見とんねんお前」
低くドスの効いた声で小倉が言う。久本は血の気が引いて声が出なかった。そして黙ったまま小倉を見続けた。心なしか小倉の目が飛んでいる事に気付いた。こいつ吐いていたんじゃなくて葉っぱでも吸ってやがったのかと思った時、後ろから急に湿り気のある手で首根っこを捕まれた。
「ええ根性しとんのぉ。これ完全に喧嘩売ってるやろ?」久本は条件反射でもがいたものの、もの凄いパワーで首根っこを捕まれており、湿り気のある小倉の手はビクともしない。
「ちょ!喧嘩なんて売ってませんよ!やめてくださいっ」
小倉は久本の言葉などまるで無視し、さらにぐぐぐっと力を足し、首を締め上げた。ごつい手が完璧に久本の首にはまっており、親指で頸動脈が圧迫されているのが自分でも分かった。だめだ、このままだと落ちる。と思った時「こっち来いや」と引きずられる様な形でトイレを後にした。さっきまで自分がいた華やかなクラブ内が一瞬で地獄と化した。トイレから出ると、ゲストがいる広間の方と逆に小倉は進み「STAFF only」と書かれたドアを開けて中へと進む。中は簡単な休憩室の様になっており、テーブルに数人の休憩中であろう警備スタッフが座っていた。各々煙草を吸ったり、お菓子を食べながら雑談していたが小倉の姿を確認すると全員が立ち上がり、お疲れ様です!と頭を下げた。一瞬空気がピリッと張り詰めたが、中にいた40代ぐらいの最年長であろう男が「小倉さん、こいつどうしたんですか?」と尋ねた。
小倉は「こいつが俺に喧嘩ふっかけてきてよ。今からしめんだよ」と言い、部屋中にの全員が笑った。
「バカだろこいつ」「終わったな 」「よっ、勇者。死ぬなよ」と久本をからかった。
小倉は「すぐ戻るから。宜しくな」とだけ言い残し、休憩室を突っ切って奥のドアを出た。そこは外だったが、残飯やごみ袋が散乱しているこれぞ路地裏という所だった。外に出てようやく久本の首を締め上げていた小倉の手が離れた。
「兄ちゃん、 俺が誰か分かっててガンくれとったんか?あぁ?」
この返事次第で状況が一変すると思った久本は、頭をフル回転させる。知らないと言うべきか知っていると言うべきか…そして答えた。
「知っています。元力士の小倉さんですよね?俺ファンだったんですよ。それで小倉さんだ!って思って見ちゃいましたけど…だから決して喧嘩を売っていた訳じゃないんです」久本の答えは、これ以上ないベストアンサーだった。だが小倉は久本が予想していた答えとは違う事を言う。
「いーや、あの目はファンの目と違った。明らかに俺に敵意のある目やったわ。今までそんな人間腐るほど見てきたから俺には分かるねん。心配すんな、二度とあんな目で人を見れへん様に潰したるさかい」
久本がベストアンサーだと思った答えは全くベストではなく、逆に火に油を注いでしまった。これはやばいぞと久本の脳内に危険信号が灯る。だがここはクラブの建物の裏にあたる路地裏だ。通行人はおろか人目が一切ない。だから助けなど絶対来ない。詰んだわと思った時、小倉が久本の体に軽めのボディーブローを放った。モーションで軽めのボディーブローだと分かってガードせず打たれたが、鉄球でも当たったのかと思わせるぐらい思い打撃だった。
「おっ、お前今反応出来てたのにわざとガードせんかったな。やっぱり罪の意識があるんか?よっしゃあ!その根性に免じで全力で叩き潰したるわ!」
小倉はそう言って久本の顔面めがけて掌底を繰り出す。とっさに久本は両腕を上げガードしたが、バチィィン!と高く渇いた音が腕の肉から鳴る。そして久本の両腕はまるで透明人間に下からぶら下がられているかの様に重くなり、動かなくなった。だが二手目か来る。早くガードしなくては!と焦るが、やはり掌底をもろに受けてしまった腕は上がらない。そして案の定、小倉から二手目の掌底が放たれた。小倉はこの二手目で決めようと思っていたらしく、一手目よりも明らかに大振りの掌底を放った。二手目の掌底は頭を横に振り、間一髪かわした。危なっ!と思った瞬間、顎に衝撃が走った。下から上へと力が加わり顔が上に弾き上げられる。小倉の放った二手目はフェイクで、実は三手目の掌底で左アッパーを狙っていたのだ。わざと久本がかわせる様に二手目を打ち、かわした後の一瞬の隙を見事に突かれた。久本は倒れまいと踏み留まったが、時すでに遅しだった。四手、五手目と次から次へと小倉の張り手の猛攻が続く。四手目で、もはや久本の敗北は決まっていた。四手目を受けた際に意識は飛んだ。だが続く猛攻のせいで飛んだ意識が所々よみがえる。そしてすでに何手目か分からない張り手を受け、久本は地面に崩れ落ちた。だが小倉は、 倒れた久本にまだ数発蹴りを入れる。
「おらぁ!おらぁ!そんなもんかいわれぇ!」
小倉の怒声が耳へと入って来ていたが、久本はもう目を開けていられなかった。
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