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「ねえ、この動画、ヤバくない?」
至近距離から若い女の声がして、ネヅは手元に落としていた視線を斜め前方に上げる。
柱に寄りかかるようにして、同じ学校の制服を着た女子高生の二人組がいた。一人がベージュ、もう一人が紺色のマフラーをそれぞれ首に巻いている。声の主はどうやらベージュの方らしい。
「ああ、例の飛び降り動画? これって自殺した本人が死ぬ直前に撮影したんでしょ?」友人に差し出されたスマホの画面をチラリと見て紺色の方が答えた。「自分が自殺する瞬間の動画撮るって、どういう感覚なんだろうね? ここまでくると、単なる〝かまってちゃん〟じゃないでしょ? 死んじゃったら元も子もないわけだし」
うなじの辺りを冷たい舌で舐めずられるような感覚が走り、ネヅは思わず身をすくめた。今日はもう、これで三度目だ。自宅アパートのある三鷹から中央線に乗って、ここ新宿駅にたどり着くまでたかだか三十分程度。その間に〝例の飛び降り動画〟を話題にする人々にすでに二度遭遇していた。バズるとはまさにこういうことを言うのだろう。
「これってどこなんだろ? 暗くてよくわからないけど雪降ってる? 遠くに光が点滅してるね」
紺色のマフラーが続けて質問する。
「うん。先週だったかな? 大雪降ったじゃない? あの日どっかのビルの屋上の端っこに立って自分の胸あたりにスマホ構えて撮ったんじゃないかな? 遠くに見てるの新宿の副都心かな? ……本人の息づいかい、聞こえるね。なんかこの後死んじゃうんだと思うと切ないよね」
ベージュの方が眉根を寄せた。
「撮影しながら、時々下覗き込んでるね……このビル何階なんだろう? 暗くて分かりづらいけど、結構下まで距離ありそう」
「たぶん……十階くらいじゃない? うち、マンションの八階だけど、ベランダから下見るとこれより少し低い感じだよ。でも商業ビルとかだったらワンフロアがもっと高さあるから実際の階数はそこまで無いのかも」
「このまま飛び降りたらスマホ壊れちゃわない? 何で動画残ってるだろ?」
「これ、ライブ配信だから……」
「マジ? じゃあ本当に仕込みとかじゃないんだ。リアルタイムで見てた人たち、警察に通報とかしなかったのかな?」
「通報しても場所特定するのに時間かかるでしょ? 間に合わないと思う。あと、このライブ映像見てた人自体、すごく少なかったんだって」
「友達とかフォロワー少なかったのかな? なんか、そういうの、悲しいね」
「飛び降りて、現場に救急車とか警察とかが駆けつけて騒ぎになってから、急に動画の視聴数上がったらしいからね」
こういう場面に遭遇するたび、ネヅの脳に知りたくもない情報が刷り込まれてゆく。ならばあえて気に留めず、さっさとその場を立ち去ればいいものを、毎回どうしてもそれに聞き耳を立ててしまう自分がやるせない。
「呼吸荒くして、繰り返し下見てるよね? 迷ってるんだよ、飛び降りようか、それとも止めようか……ねえ、もうやめない? この後飛び降りちゃうんでしょ? あたし、そんな瞬間、見たくないんだけど……」
「うん……でもね、決定的瞬間は、もう少し後に起こるんだよ」
「どういうこと?」
「この人が飛び降りる直前、画面の隅に、死神が映ってるの」
「死神?」
「ほら、ここ、見て……」
二人がしばし、沈黙する。
「やだ……何これ、怖い……」
「撮影してる本人も驚いてるんだよ、『え? 誰⁉︎』って声、聞こえるもん」
「これ、加工とか、目の錯覚とかじゃないよね? 明らかに、何か人みたいなの、映ってるよね?」
「撮影者が飛び降りようかやめようか迷ってる時、痺れを切らした死神が現れて、この人をビルの下へ引き下ろした、って噂だよ……」
「……てことは、本人の意志とは関係なく、自殺させられたってこと? 嫌だ! 怖い!」
隣の友人が悲鳴に近い声を上げたため、ベージュの少女は、気まずそうに周囲を窺う。その視線とぶつからないように、ネヅは足早にそこを立ち去った。
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