おつかいと森と狼と

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おつかいと森と狼と

 長閑(のどか)な辺境の小さな村に、その娘は生まれた。良くも悪くもごくごく普通な両親の元、食べるに困る程貧乏な暮らしではないが、貴族のような贅沢三昧を送れる程富んでいるわけでもない、ありふれた農家の生活を送っていた。……しかしながら一点、彼女には他の人間とは違う特徴があった。それは、彼女は何故か名前で呼ばれることが決してなかったこと。ではどう呼ばれたのだろうか?彼女の呼び名は……(あか)ずきん。物心つく前から母お手製の真っ赤なずきんを被り続けていたことに由来しているらしいが、親ですら名前ではなくその呼び名で呼ぶ光景は中々に異様であった。かといって、他人の家の問題にずけずけと口を出す者もおらず、一種の"暗黙の了解"となっていたのだが……。紅ずきん本人はというと、幼い頃は不思議がって親に何度も「自分に名はないのか」と尋ねていたが、一向に納得のいく答えを得られなかった為、いつしか「"紅ずきん"が自分の名前なのだ」と思い込むようになっていた。  さて、そんな少々訳アリな紅ずきんだったが、基本的には普通の少女である。(よわい)15になった彼女は、母から一つ、おつかいを頼まれた。 「紅ずきん、今日は何の日か分かる?」 「おばあちゃんにパンと葡萄酒を届ける日!だよね」 「そう。今まではお母さんやお父さんのどちらかが行っていたけれど、貴女ももう15歳……行けるわよね?」 「勿論!……今まで行きたいって言っても行かせてくれなかったのにどうして?」 「……もう、大丈夫かなって思ったのよ。貴女も知っての通り森は危険がいっぱいだからね。小さな子供には行かせられないけど……」  おばあちゃん、紅ずきんの父方の祖母は村でも大変有名な変人だった。たった一人で森の奥深くに住んでいて、紅ずきんの両親がどれだけ村で共に住むように説得しても首を縦に振らなかった。だから、紅ずきんの両親はご機嫌伺いと説得の為に定期的に自分達の畑でとれた小麦を使ったパンと葡萄酒を届けていた。今日はその日だったのである。  紅ずきんの両親にとっては手のかかる変人だった彼女だが、紅ずきんにとっては聡明で優しい祖母であった。ほんの数回、駄々をこねて両親に付いて行く形で会った祖母は、村の誰も知らないようなことを知っていて、村では到底体験できないような話を聞けたりした。好奇心旺盛な紅ずきんにとって、祖母はとても魅力的だった。例え、変人な祖母を「魔女かもしれない」と陰口を叩く村人が居ても、何も気にならなかった。 「じゃあ、早速準備をしなきゃね」  紅ずきんは足取りも軽やかに準備をし始めた。ふわふわと軽いウェーブがかった肩までの長さのオレンジブラウンの髪の毛を梳かし、丁寧にアイロンがけをされた真っ白なブラウス、ずきんと同じお気に入りである(くれない)のスカートを着て、いつものこげ茶の編み上げブーツはピカピカに磨いた。その間、母は複雑そうな表情で紅ずきんを見ていた。その視線は、ただ初めてのおつかいを娘にさせる親のものとは少し違い、別の何かを案じているようだった。当然、紅ずきんは母のそんな視線になど気付いていない。 「お母さん!準備できたよ!」  トレードマークの紅ずきんの紐をキュっと締めて、紅ずきんはターコイズグリーンの瞳をキラキラさせながら母を呼んだ。ハッとしたように母は、これまたお手製の籠バッグに、急いでパンと葡萄酒を詰め込んで紅ずきんに手渡した。 「紅ずきん、おばあちゃんの家への道は分かっているわね?」 「当たり前でしょ~だって一本道じゃない」 「寄り道はしないこと、何かに話しかけられても無視すること、これを渡したらすぐに帰ってくること、良いわね?」 「は~い」  何か、とは何なのか。紅ずきんは深く考えずに家を飛び出した。早く祖母の家に行きたくて、森に入りたくて仕方なかったのだ。森に向かう途中、幼馴染の羊飼いの少年に出会った。彼も紅ずきんに気付いたようで、牧場を囲っている柵の端まで駆けて来て、柵に寄りかかりながら声をかけてきた。 「どうしたんだよそんなにめかし込んで。城下町にでも行くつもりか?やめとけよ、お前じゃ道中魔女に捕まって魔法の材料にされるか、魔物や獣に食われるかだぜ」 「相変わらず感じ悪いね……それに、私は城下町に行くわけじゃない。おばあちゃんの家におつかいを頼まれたの。だから、"ライアー"に構っている暇はない」  ライアー、とは羊飼いの少年のあだ名である。本名は"レーア"というのだが、彼は村では有名な嘘吐きで、周りの人間を困らせてばかりだった。つい最近だって、「近々狼がウチの羊を食い散らかしにくる。羊は鍵付きの小屋に入れて、暫く放牧はやめるべきだ」なんて言って、結局狼どころか鹿や兎すら来なかったことがあった。放牧できなかった羊達の中の数頭は、運動不足で体調を崩してしまったらしいことを風の噂で聞いている。結局レーアは羊達の面倒を見ているのが嫌だっただろう。 「ふーん、おつかいねぇ。あれだけ行きたがってたお前に許可をくれなかったくせに今回は行かせるのか……そのまま帰って来なければいいって魂胆じゃないか?」  ニヤニヤと効果音が付きそうな顔でレーアは言った。紅ずきんはキッと元は丸い目を精一杯鋭くして早口でまくし立てた。 「お父さんもお母さんも仕事で忙しいの!私も15歳になったし、もう大丈夫だろうって任されたの!それ以上言うなら引っ叩くから!」  レーアは「はいはい」とでも言いたげに柵から離れ、そしていつにも増して真剣な表情になった。紅ずきんは、彼の長く鬱陶しい前髪の間から覗く深い紅葉色の瞳を注意深く見つめる。 「……俺は心配してるんだよ。森は本当に危険だ。猟師だって帰ってこないことがあるくらいね」  紅ずきんはゴクリと生唾を呑んだ。両親と共に祖母の家に行った際は何にも出会わなかった。しかし、本来は危険と隣り合わせなのだろうか。運良く何もなかっただけで……。紅ずきんの脳内に沢山の怖い生き物達が駆け巡る。顔色を悪くする紅ずきんを暫く見つめてから、レーアは口元を歪めた。 「……なんてね。この辺りの森は既に村の猟師団が散策済。出るのは鹿や兎や野鳥くらい、たまーに狼や熊を見るくらいだよ。それもかなりの低確率でね」 「~~~……もう知らない!!!馬鹿ライアー!!!」  紅ずきんは思い切り叫んでから森の方へと駆け出した。その後ろ姿を眺めるレーアはポツリと呟く。 「……本当に心配はしてるんだけどね。アイツのばあちゃんが住んでるような奥地までは猟師団も行ってないだろうし」 ハンティング帽を深く被り、レーアは再び羊達の元へと戻って行った。
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