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「次のニュースです。◯国にて過激派組織✕✕から犯行声明が発表されました。声明の内容は、“偽物の神は我々が破壊する”と言ったもので……」
くらい部屋の中、椅子の上で私はふと思う。
部屋を照らすのは見るわけでもなく点けているテレビからの光以外には何もない。
ただ隔絶されたその世界の中で、人の声だけは聞いていたいと思い点けていたもので内容などは気にしていなかった。
そんな中一つだけ耳に残る単語が一つ。
今や、snsでもよく目にする。
それはこの上の無い物を指している。絶対的な存在であり、国が違えば争いが起こる程に大きな存在である。その存在がその概念が、多くの人を戦いに誘うほどに。
だがこと日本においてはたかだか感情表現に成り下がっている。指し示す物は同じであるというのに、枠が一つずれるだけでこうも考え方が変わるものかと驚いてしまう。
我々はあまりにその存在を軽く見すぎて居るのではないだろうか? 人はそれを、宗教から脱却した啓蒙思想というが本当にそうだろうか?
この国では信心深い人間は馬鹿にされる傾向が強い。私もきっとそうだ。宗教的な考えは、偏った考えしか生まないものなのだと思い続けて来た。
だが違う。実際に見るべきはそこではないのだ。
きっと皆希望が欲しいのだ。絶対に揺るがない、それが生きる価値に値する信頼を。
だが他者が縋る物は、他の誰かからはどういう訳か醜い物に見えてしまう。
その理由は今なら何となく分かる。それは認めてしまえば自分の縋る物を否定することになってしまうからだ。
私には今、縋る物が何もない。だからなのか他者が縋る物がよく見える。
だがもう遅いのだ。
私はもう神を手放してしまったのだから。
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