日常

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「いかがでしたでしょうか」と(めぐみ)は動画を停止し、客に向けていたタブレットを自分の元へと引き寄せた。 「簡単ではございますが、当式場についてご紹介させていただきました」 「そうね。とにかくこちらはとても自由だってことが分かったわ」    客である女性は、気だるげに髪を耳にかけた。 「で、料金はどれくらいなの?」 「こちらでございます」    恵はパンフレットと共に料金表をテーブルに広げた。 「プランによって料金は変わります。式だけにされるのか、披露宴もご一緒にされるのか。田中様のご希望はいかがでしょうか」 「そうね、どうせなら披露宴もしたいところだけど、うちのひとって大きいじゃない? ちゃんと会場に入るのかしら」 「その点はご安心ください。当式場には披露宴会場が三種類ございまして、一番大きな会場ですと、三トントラックでしたら二台余裕で入れる大きさでございます。こちらの会場だけお庭がついておりますので、ガーデンウエディングも可能ですよ」 「あら、それは良さそうね」 「もしよろしければご見学されませんか?」 「そうね、じゃあお願いしようかしら」  恵は客を連れて、目的の会場へと向かった。 「ふう、ただいま戻りました」 「あ、先輩! お疲れ様です」  控室に戻ってきた恵の元へ、後輩の純奈(すみな)が駆け寄ってくる。 「さっきの、えーと田中様でしたっけ? どうでした?」 「バッチリ。契約取れたよ」 「さっすが先輩! で、田中様のお相手ってどういった方なんですか?」 「どうぞ」  恵はファイルに入れてあった写真を純奈に見せた。 「わー、カッコいい車! 青い車体が綺麗ですね」 「フェラーリ488スパイダー、イタリアの車よ。何千万もするんだって」 「わお、高い。私、車には全然詳しくないですけど、フェラーリって赤ってイメージでした」 「同じく。でも田中様はこの色に一目惚れしたらしいわ」 「なるほど。とにかく、結婚したくなっちゃうほど好きってことなんですね」    ここ、<ボーダレスパーティー>は挙式と披露宴を執り行う会社だ。  ただ、一般的な式場とは違い、ここでは人と動物や人と物など、人間同士以外のカップルを専門としている。現在の法律上、夫婦と認められるのは人間の男女のカップルのみなので、もちろん本当に婚姻関係を結べるわけではない。ただ、形だけでも夫婦として成立させたいという人は意外と多く、そういう人たちにとってここは特殊だがありがたい場所になっている。 「純奈ちゃん、そろそろ次のお客様が来られる頃じゃないの?」  真っ青なフェラーリをずっと眺めている純奈に恵は声をかけた。 「本当だ!」 「ほら、行ってきなさい」 「はい、私も先輩みたいにばっちり契約取ってきます!」  純奈は恵に向かってピースサインを見せると、軽やかに控室を出て行った。  他のスタッフも接客中で室内には恵だけ。おそらく純奈も一時間は戻ってこないだろう。恵は自分のデスクに戻り、引き出しを開けた。 「今日はどれにしようかな」  取り出したのは有名店のチョコレートボックス。一仕事終えた後にチョコレートを食べるのが、恵のルーティーンだ。  箱の中にはツヤツヤに煌めくチョコレートたち。今日は少しビターな味を楽しみたい。そんな気分に合わせてカカオが80パーセント配合されているチョコレートを選ぶ。 「さてと、いただきま……」 「せんぱーい!」  口を開けたと同時に、純奈がドアを派手に開けて入ってきた。 「どうしましょうっ」  純奈は眉をハの字にして駆け寄ってくる。 「なに? お客様はどうしたの」 「それが、来られたのは来られたんですけど。その、一刻も早く式を挙げさせてくれっておっしゃってて」 「有難いじゃない。早く戻ってちゃんと話を進めてきなさい」 「違うんです、いや、違わないか。えっと、今すぐ式を挙げさせてくれって泣かれてしまってぇ」 「え、泣く?」 「とにかく一緒に来てくださいぃ」  腕を引っ張られた恵の手から、食べるはずだったチョコレートは箱へ舞い戻った。
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