0人が本棚に入れています
本棚に追加
2
***
私はピアノが好きだ。楽譜を読み解き、指先から世界を構築するという行為に没入する間は自分が無敵でいられる気がするから。
ただ、今は、周りの雑音が少しばかり多すぎる。
「先生。私を椿野川のおうちに推薦したのは何故ですか」
大学にあるレッスン棟の一室で、私は先生と向かい合う。限られたレッスンの時間をわざわざ割いてでも、質問せずにはいられなかった。
「私でなくとも、一門の中で他に適任がいるのではないかと思っていて。もちろん、有望な生徒さんの指導は勉強になるので私自身の研鑽になる、という心遣いは大変嬉しいです。……ですが」
「ジーンリッチの百七美さんの相手をするのは、同じジーンリッチがいいのではないか。ってことかな」
私の言葉を遮って先生は言う。先生にはお見通しなのだろう。眉間にしわが寄るのを感じながら、私はゆっくりと頷いた。いかにも温厚そうなおじさまなのだけど、先生はときどき手厳しい。
ジーンリッチ【gine rich】。それは受精卵の段階で外見や知力、技能といった特定の特徴を持つように調整されてから生まれてきた人間のことだ。彼らの存在はこの現代社会に馴染み、今や新生児の五人に一人はジーンリッチである。
一口にジーンリッチといっても調整内容や数の違いはある中、椿野川家はジーンリッチの子どもをたくさんもうけ、かつ、すべての子どもが多くの特徴を持つよう調整されていることで世間によく知られている。百七美ちゃんの名前の由来も『一〇七番目に生まれた椿野川家の娘』であるからだという。人工子宮が普及した現代だからこそ出来たことだろう。
ジーンリッチには法律による決まりで、十点以上の遺伝子調整を行った場合には首筋に家紋などといった出自の証明をする刺青を入れることになっている。百七美ちゃんの首に刺青があるのもこの理由のためだ。
先生は私に訊ねる。「泉菜さんには更なる経験や実績を積んでもらい、羽ばたいてほしい。だから、私は心配しているのです。ジーンリッチの存在が泉菜さんの才能を閉ざしてしまうのではないかと。まだ、彼らの存在を恨んでいますか?」
先生とは本心を隠したまま話をすることなどできない。私は観念して口を開く。
最初のコメントを投稿しよう!