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才能という宝は人間すべてが持ちあわせているわけではなく、持っていたとしてもその才能は自分が望むものであるとは限らない。その点、優遇されて生まれたわけでもないのに、自分のやりたいことが出来る環境にいる。それはまさに幸運なのだろう。
とはいえ、いざ自分より恵まれている人間を目の前にすると、どうも上手く呼吸が出来ない。嫉妬というべきか、ないものねだりをしているというべきか――とにかく、百七美ちゃんと接するたびに初めは落ち着かない気持ちにさせられた。
しかしそんな思いもすぐに立ち消えた。
だって……あまりにも百七美ちゃんは本気で私を慕ってくれていて、ピアノにも真摯に向き合っているから。
だから、百七美ちゃんとの関係では一旦その悩みを切り離すことに決めた。悩んでいるままだと、百七美ちゃんとのレッスンがお互いの得にならないものになりそうだったから。
「あの。私、泉菜さんがこのコンクールで以前優勝したときに弾いてらしたものをやりたいです」
レッスン三回目の今日。百七美ちゃんはピアノの前に座るなりこう切り出した。先週、私たちはコンクールで弾く曲を今日決めるという約束をしていたのだ。
「課題曲には私のときと同じのはないから、自由曲ってこと?」
「はい。そうです」
淡々と語る百七美ちゃん。語り口と裏腹に、ピンク色の唇の両端がきゅっと上がっている。
自分が出場した時の曲は何だったっけ。あっ。大学の授業での、今月の課題曲だ。
「たまたま、持っているのだけど」私はカバンから楽譜を取り出す。「これで合ってる?」
「ええ。この曲です」百七美ちゃんは楽譜を眺め、それから頷く。私はといえば少々思いあぐねていた。
百七美ちゃんが今度受けるコンクールには、課題曲と自由曲が設けられている。課題曲はコンクール側が提示した中から選択する曲で、自由曲はその名の通り、規定の時間内に収まる中であれば自由に弾ける曲である。
自由曲は評価の核となるから、高度な演奏技術を発揮できる曲を選ぶ必要がある。確かに以前の入賞者が弾いた曲を使用するケースは多い。だけど。
「私が弾いた曲を選んだからって、同じように自分も賞もらえる保証はないのよ?」
「はい。もちろん、分かっています。それでも演奏したいです。私は、泉菜さんに憧れていますから」
「ふふ、そこまで思って貰えると演奏家冥利に尽きるね」
ジーンリッチに思うことはあれど、妹弟子からの誉め言葉は面はゆくも嬉しい。芸術とは感覚面を司るものだ。誰かの感覚に残れることほど喜ばしいものはない。
「なら、私と同じのに挑戦してみようか」
「はい。頑張ります。実は自分でももう持っているんです」
百七美ちゃんは机の上の楽譜や教則本の山から楽譜を抜き取り、私に差し出す。やはり電子ではなく紙の楽譜だ。百七美ちゃんは紙の楽譜愛好者だった。ピアノといい、元々レトロ趣味なのかもしれない。私も何の変哲もないピアノと楽譜で今までやってきているので、ちょっとした親近感がある。
楽譜を受け取ってぱらぱらとめくる。私が使った出版社と同じものだ。ほっとする。出版社によって、同じ曲でも楽語記号やアレンジが違う場合がある。百七美ちゃんが違う楽譜を使うなら私もその譜面を勉強しないといけない。
「もう用意してあるなんて。やる気あるね」
「頑張ります」
「でも、コンクールの場で弾くには決勝まで残らないとね」
「はい。そうですね……正直なところ私は、不安です」
「不安?」
何もかも恵まれているジーンリッチが思い悩むことなどあるのだろうか。
「……不安になるんです。時々。ピアノを弾いていると……」
百七美ちゃんは目を伏せると、そっと首の刺青に触れた。さっきまでの喜びは彼女から消えている。
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