0人が本棚に入れています
本棚に追加
ほんの百年前は海だった場所に、天を衝くような建物が並んでいる。昔、海辺で暮していた生き物たちは消えてしまった。鉄とコンクリートの隙間を、人間ばかりが異常な密度で行き交っている。
夜の街は昼のように明るかった。全ての建物で音楽が流れていた。人間はみんな寝不足だった。超高層マンションの一室で、家族が夕飯の支度をしている。壁の電子カレンダーには「土用の丑」と表示されていた。
プラスチック製の造花が冷房の風に揺れている。誰も見ていないのにテレビがついている。父が食卓に丼を四つのせた。
「今夜は豚丼だぞ」
母がコーラを注ぎながら呼びかける。
「ご飯できたよー」
返事はない。
「ご! は! ん!」
大学生の姉と高校生の弟がやってきた。手を洗い、席に着く。手のひらの上で小さな画面をいじりながら食べはじめた。
父が豚肉をつまみ、懐しむように言った。
「子供のころは、豚丼じゃなくて鰻丼を食べてたっけ」
姉が首をかしげる。
「ウナって何?」
母が画面を取り出す。そこに映っていた見慣れない生き物に、弟は顔をしかめた。
「うわ、何これ気持悪い。虫みたい」
「毎年、土用の丑の日のために、鰻を世界中で殺して日本に運んでいたの。お金儲けのために蒲焼にされて、日本中のスーパーとコンビニで安く売り飛ばされた。売れ残った鰻は生ごみとしてその日のうちに捨てられたの」
母が遠くを見るような目で言った。
父が白米を口に運ぶ。よく嚙まずに吞み込み、微笑んだ。
「やっぱり米はシベリア産だよな」
『臨時ニュースをお伝えします』
テレビの中でアナウンサーが伝えた。家族はそちらを見た。
『先程、気象庁は日本の季節区分から春と秋を廃止すると発表しました。今後は、夏、梅雨、夏、冬の三季四区分となります』
「そう、春もなくなっちゃうのね……」
母が遠くを見るような目で言った。父が溜息をつく。
「秋なんてもう、とっくの昔に暦の中だけの言葉になってたけどな」
弟が首をかしげる。
「アキって何? 人の名前?」
「あっ、高校の古文で習ったよ。『秋は夕暮』っていうんでしょ」
姉がはきはきと言った。
ニュースが変る。今は亡き日本の里山のような風景が映った。最新の技術で火星に再現されたものだ。
弟は力を込めて言った。
「俺、大学卒業したら火星に住むんだ。火星で農家になって、まっとうな人間の暮しに戻ってやる。もうこんな騷しい、ゴミと人間だらけの、何のために生きてるのか分らなくなる星は嫌だ!」
稲妻が走り、滾るような雨が降り出した。日本の夏の風物詩、ゲリラ豪雨である。外来種の木々と花々で彩られた幹線道路に、水晶玉のような大粒の雹が叩きつけている。
最初のコメントを投稿しよう!