黄橡の追憶

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     新しい家族と出会って、一年が過ぎた頃――  カズマは相変わらず、家では常に私の傍から離れなかった。 「小雪、一緒に寝よう」  自分の枕とブランケットを手に、カズマがリビングへやってくる。その姿を一瞥して、私は密かに息をついた。  つい先日、自分だけのベッドを買ってもらったと喜んでいたくせに。まさか一週間もしないうちに、こうして「一緒に寝よう」と言ってくるようになるとは思わなかった。  私の隣でテレビを見ていたお母さんも、半ば呆れたように口を開く。 「小雪と寝るなら、布団持って来ないと風邪ひくわよ」 「ブランケット持ってきたよ」 「ダメよ、そんなんじゃ。今夜は冷え込むらしいから、ちゃんと布団を敷きなさい」  溜め息交じりに立ち上がり、お母さんが和室へ向かう。そのまましばらく待っていると、布団を抱えて戻ってきた。 「ほら、小雪の隣に敷いて」 「はーい」  テーブルをどかして布団を敷く二人を見ていると、今度はお風呂上がりのお父さんもリビングへとやってくる。 「なんだ、カズマはまた小雪と寝るのか」 「小雪が寂しがるからだよ」 「寂しいのはカズマでしょ」  ずいぶん自分勝手な言葉に、思わず口を開く。  すると、お父さんもお母さんも吹き出すように笑った。 「ほら、小雪が怒ってるわ。私のせいにしないでって」 「いつの間にか、小雪のほうがカズマのお姉ちゃんになってるな」 「何それ、小雪は僕の妹でしょ。もう……お父さんもお母さんも、早く寝たら?」  拗ねたように唇を尖らせて、カズマが布団に潜りこむ。頭まですっぽりと掛布団を被って、そのまま寝てしまうつもりのようだった。  こうなってしまっては、もうどうしようもない。  変に頑固なところがあるカズマの性格を知っているだけに、私たちは顔を見合わせるしかなかった。 「じゃあ、お母さんたちももう寝るわね」 「おやすみ、小雪」 「おやすみなさい」 「おやすみ、カズマ」 「………」  カズマからの返事は、ない。  お父さんは困ったように笑いながら肩を竦めて、お母さんと一緒にリビングを出て行く。    ――それが、「両親」との最後の会話だった。    眠りについて、どれくらい経った頃だろうか。  息苦しさに目を開けると、身体中を言い様のない不快感が駆け巡った。 「なに……?」  無意識に呟いて、吸い込んだ空気に口を噤む。  焦げたような匂いを感じて、私は隣で眠るカズマを起こした。 「カズマ、起きて……カズマ!」 「んん……うるさいよ、小雪……」 「変な匂いがする! ねぇ、起きて!」 「っるさいな! いい加減にし……!」  苛ついたように起き上がったカズマは、そこで言葉を飲んだ。  私と同じように、空気の異変を感じ取ったらしい。すんと鼻を鳴らして、立ち上がる。 「……なに、あれ」 「え……」  ドアに向けられたカズマの視線を辿ると、床との僅かな隙間から煙が立ち昇っているように見えた。  それがこの不快な焦げ臭さの原因なのだと、すぐに理解できたけれど――。 「カズマ……」 「……小雪は、そこにいろよ」  そっとドアに近づいて、カズマがノブを回す。  ほんの僅か――細く隙間を作るようにドアを開けた瞬間、廊下から真っ黒な煙が流れ込んできた。 「カズマ……!」  私が叫ぶのと同時に、カズマが振り返る。  開け放たれたドアはそのままに、庭へ続く窓に向かった。 「小雪、来い!」  震える手で鍵を開け、駆け寄った私を抱き上げる。  早くもリビング中に広がった黒煙から逃げるように、開けた窓から裸足で飛び出した。 「寒い……!」  さっきまで暖かいリビングで寝ていた分、余計に外の寒さを厳しく感じる。  半ば放り投げられるようにカズマの腕からおりると、反射的に二階の窓を振り返った。 「…………え?」  真っ先に目に入ったのは、金色の光が揺らめく窓。  あの窓は、お父さんとお母さんが寝てる部屋の―― 「おと――」 「お父さん! お母さん!」  それは、今まで聞いたことのない声だった。  再び家の中に戻ろうとするカズマの足を、咄嗟に掴む。 「小雪!」 「ダメ、リビングはもう真っ黒だよ!」 「こゆ……痛っ」  蹴られたって、離すわけにはいかない。  必死にしがみついていると、私が掴んでいるところから泥水色の生温かい何かが流れ出した。  その鉄臭さに、思わず顔をしかめる。 「どうして……お父さんと、お母さんが……」  ボロボロと涙を零しながら、カズマの頭がぐらりと揺れる。  まるで辛い現実から目を背けるように、そのまま意識を手放してしまった。 「カズマ!」  膝から崩れ落ちたカズマに、慌てて駆け寄る。  鼻先で触れた頬は冷たくて、目を閉じたその顔は――息を飲むほど白かった。 「――けて……」  かろうじて動いた口は、それでも寒さに凍えて固まったかのようにうまく開かなかった。  助けを求めたいのに、うまく声が出ない。  どうすればいいのか分からないまま、ただ私は窓を照らす金色の炎を見上げた。 「だれか……」  この状況で、誰を呼べばいいのだろう?  お父さんとお母さんは、いまだに外に出てこない。  カズマは、目を閉じたまま微動だにしない。    ――今、ここにいるのは「私」だけだ。    そう思った瞬間、考えるより先に足が動いていた。  庭を駆け抜け、門扉に体当たり同然で外に出る。  周りの家は、当然ながら真っ暗だ。  それでも私は、大きく息を吸い込んだ。 「助けて! 誰か助けて!」    × × ×
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