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踏切の向こう側
晶子とカンナの人生が違う道に分かれ始めたのは、小学校4年生に上がる直前の春休みの事だった。
4年生になったら学習塾に通う事になっていた晶子が、カンナに一緒にその塾に通わないかと誘った時だった。
3年生で同じクラスになったカンナは、晶子にとって何となく気なる相手だった。いつも白いブラウスと紺色の釣りスカートの、いかにも小学生女子という服装の晶子に比べ、いつも半ズボンで男子とふざけ合っているカンナは、女の子なのに「ガキ大将」というイメージがピッタリの活発な子だった。
人見知りの傾向が強く、じっと机に座って本を読んでいる方が好きな晶子にとって、自分と正反対のタイプのカンナはどこかまぶしい存在だった。
やがて、ほんの時々ではあるがカンナと言葉を交わす機会を持つようになり、ようやく3学期も終わるころになって、晶子はカンナを下校途中の道で見つけて話しかけてみた。
「ねえ、山室さん」
そう呼びかけた晶子に、カンナは野球帽を斜めに被った顔を向けて笑った。
「お、篠崎。なんか用か?」
「あ、あのね。山室さんはどこの塾に行くの? あたしは4月から、京栄塾に行くんだけど。まだ決めてないなら、同じとこへ一緒に行かない?」
「は? オレは学習塾なんか行かねえよ」
その頃のカンナは先生の前以外では自分の事を「オレ」と呼んでいた。晶子はキョトンとして聞き返した。
「え? どうして? 4年生になったら、みんな塾に行くんじゃないの?」
「オレんちに、そんな金はないよ。篠崎は親ガチャで当たり引いたから、他のやつらもみんなそうだと思い込んでるだけだろ」
「親ガチャって何?」
「ガチャは知ってんだろ?」
「コイン入れて、ツマミを回して、カプセルが出て来る機械の事?」
「そう、それ。なんか高校生の兄ちゃんたちだと、スマホの中のゲームでもそういうのあるみたいだけどな」
「ガチャは分かったけど、親ガチャって?」
「生まれガチャとも言うぜ。ガチャって回してみないと何が入ってるか分からないだろ? 生まれてみないと、自分の親が当たりかハズレか分かんねえ。だから親ガチャ」
「えっと……自分のご両親の事をそういう風に言うのってどうかな?」
「オレの家じゃその親が自分で言ってんだよ。父ちゃんも母ちゃんもいつもこう言うんだ。『おまえは生まれガチャでハズレ引いちまったんだから、あきらめろ』ってさ」
「そ、そうなの?」
「塾に行きたいってのは、もう一度言ったんだよ。そしたら親にそう言われた。そんな金がうちのどこにあると思ってんだって、母ちゃんに怒鳴られた」
その時の晶子にはカンナの話している意味がさっぱり分からなかった。しばらく4年生になったらクラス替えがあって、などという他愛無い会話を交わしていると、電車の踏切の側へ着いた。
晶子の住むマンションはその踏切の北側にあった。カンナの家は踏切の南側だった。
カンナは走って踏切の向こう側へ渡り、線路越しに晶子に手を振った。
「じゃあな、篠崎。また学校でな」
晶子が挨拶を返そうとした時、カンカンカンと踏切の警報音が鳴り響き、その声をかき消した。
電車が通り過ぎて遮断機がまた上がった時、カンナの後ろ姿はもう声が届きそうにない所まで遠ざかっていた。
緩やかな坂の上の自分のマンションに向かって歩きながら、晶子は、周りの口の悪い大人たちが言っている言葉の意味を、初めて真剣に考えた。
口の悪い大人たちはその一帯を「格差団地」と呼んでいた。正確には、踏切の北側に広がる分譲マンション地帯と、南側に広がる公営住宅の団地で構成されている住宅街。
踏切のこちら側と向こう側、それの何がどう違うのか、年齢相応の世間に関する知識しかなかったその頃の晶子には、何も分からなかった。
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