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スマホは着信することなく、メッセージも受信しない。
美沙緒からの言い訳や謝罪、説明は無し。
なぜ「会社の上司で既婚者である冴島」があの場所にいて、「まるで何回も来ているかの口ぶりで挨拶してきて、普通にシャワーを使おうとしていた」のか。
(私が気づいていなかっただけで、冴島さんは今までうちに何回も来ていて、バスルームも使っていたってこと?)
考えたくはないが。
葉月は残業が多く、帰りが遅いこともままある。
さらには美沙緒の部署は外回りがあり、冴島と二人一緒の行動もよくしていたはず。たとえば、葉月の帰らぬ日、或いは外回りからの直帰のときなどに、家に……。
問題は、その家は美沙緒だけのものではなく、葉月も家賃を払っている二人共用の場ということだ。
美沙緒にとって冴島は恋人かもしれないが、葉月にとっては赤の他人でなおかつ会社の知り合いという時点で甚だしく迷惑。
しかも。
既婚者。
(不倫……)
気が重いまま、あてもなくうろうろと歩いていた。
金曜日。駅前はまだまだ賑わっていて、人通りも多い。ファーストフード店は意外なほどに混んでいて、二の足を踏んで入れなかった。
かといって、ひとりで飲み屋に入ったこともないのに、こんな精神状態のときはなおさらやめた方が良い。
どうしよう、どうしよう。
上の空だったせいか、どん、とすれ違いざまに肩がぶつかった。
「すみません」
おっかなびっくり、伏し目がちに相手の足元を見る。黒の革靴。サラリーマンかな、と思ったところで聞き覚えのある声が耳に届く。
「大滝さん。さっきから挙動不審だけど、何してるの?」
名前を呼ばれて、慌てて視線を上向けて、相手の顔を確認した。
「立原さん!?」
眼鏡をかけた、地味な風貌の男性。半袖のワイシャツ姿で、いかにも会社帰りと行った雰囲気。
葉月はよく見知った相手で、直属の上司でもある。
「そんなに驚かれてもどうしたものか。駅から出てきて、大滝さんを見かけたんですけど、同じ場所をウロウロしているから、探しものかなと。どういうものか教えて頂ければ、俺も探しますが」
「違います。落とし物を探していたわけでは……」
たしかに、裏道に入らないように明るいところを歩こうと、同じ場所を行ったり来たりしていた。
(いつから見られていたんだろう……。というか立原さんはここで何をしているんですか)
曖昧に笑った葉月を、立原はじいっと見下ろしてきた。
それから、「晩ごはん食べてます?」と藪から棒に聞いてきた。
「食べてないです。家に帰り着いたらどうにかしようと思っていて。ちょっと……帰れなくなっちゃった」
「わかりました。近くによく行く店があるので行きませんか。とはいっても、これは業務命令ではないので断って全然大丈夫です。もしくは、セクハラを疑う場合は他に知り合いを呼んでも構いません。べつに、俺には大滝さんと二人きりの食事の席をもうけたい意図はなく、ただ食事がまだなら美味しいお店を知っていますが、という情報提供が主たる目的です。ご理解ください」
立て板に水の如く、社内コンプライアンス遵守的な話をされて、葉月はなんとか頷いてみせた。
「わかります。立原さんに個人的に誘われたなんて勘違いしたりしません。私が立原さんに媚びたところで、何一つ便宜を図って頂けないであろうことも存じ上げております。でも……、あの……、少し時間を潰したかったので、ごはん、行ってもいいでしょうか」
「もちろん。こんなところで立ち話もないですし、行きましょう」
そっけなく感じるほどのさっぱりした態度で、立原はさっと歩き出した。
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