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それから、祖母は私を養女にし、何不自由ない暮らしを与えてくれた。清潔な衣服に、温かな食事。幼稚園にも行かせてくれた。学校も、好きなところに行っていいと言われたけれど、私は頑張って偏差値の高い高校を目指した。大学は、歴史が好きだったので、史学科を目指した。
祖父は私が生まれる前に亡くなっていたらしい。祖母はひとりでも、矍鑠として元気だった。
そんな祖母が倒れたのは、私が大学三年生の時だった。幸い、三年までに卒業に必要な単位はほとんど取ってしまっていたので、祖母の介護に時間を費やすことができた。ヘルパーさんに手伝ってもらいながら、私は自宅で祖母を介護した。
「すまないね。あんたに苦労させて」
半身不随になっても、意識ははっきりしていた祖母は、度々そう言った。
「そんなことないよ。おばあちゃんには、お世話になったもの。恩返しだよ」
「……お世話になったって言ってもね。私は当然のことをしただけだよ。自分の娘が責任を果たさなかったから、私が代わりに果たしただけ。責任を果たさない娘を育てたのは、この私だしね……。何も、あんたが気にすることないんだよ。お金もあるんだし、施設に入ろうかね。ちょっとお高めの施設なら、空いてるだろ」
祖母の台詞に哀しくなって、私は首を振った。
「そんなこと言わないでよ。今は在宅介護で大丈夫だし。施設はどこも混んでるよ?」
祖母はプライドの高いひとだったから、孫に下の世話をされるのが嫌だったらしい。おむつ替えはなるべくヘルパーさんに頼んで、と言われていた。だけど、ヘルパーさんが帰った後は、私がやらないといけないわけで。その度に、祖母は何かをこらえるように目をつむっていたっけ。
「あんたにはなるべく、何の苦労もさせたくなかった。小さい頃、辛い目に遭った分、幸せしかあげたくなかったんだ」
「そんなこと言わないでよ。私、不幸じゃないよ」
たしかに、介護は大変だ。身体に負担もかかるし、時間も取られるし、おむつを替える時の臭気はどうしても辛い。それでも、私は止めたいとは思わなかった。
あれは本心だった。
卒業してからも、私は働かずに介護を続けた。祖母は私の選択に、何も言わなかった。それは、自らの死が近いと、勘づいていたからかもしれなかった。
祖母は、風邪をこじらせて、肺炎を起こし、亡くなってしまったのだ。喪主の私は、呆然として葬式を執り行った。参列者は多くなかった。祖父が経営していた会社の関係者や、祖母の友人ぐらいだった。
でも、私は焼香に来たひとたちに紛れていた男女二人組に、すぐ気づいたのだった。
お母さん、お父さん。
記憶にある姿と、あまり変わっていなかった。父も母も髪を明るい茶に染めており、黒に沈んだ葬式会場のなかでは、その色はいっそう目立った。
「璃子」
私の名前を読んで、母は近寄ってきた。
「久しぶり。元気だった?」
まるで、少し留守にしていただけだったように、彼女は私に笑いかける。
「……げ、元気」
「そう。よかった。まだそんなに年じゃなかったのに、母さん――残念だったわね。あなたが看取ってあげたの?」
黙ってうなずいて、私は唇をかんだ。一度も、祖母の見舞いにも来なかったのに。なぜ、今更来たのだろう。
「何か手伝えることある?」
問われて、私は硬直した。視線を感じて、ふと母の後ろに目をやる。父が、にやにや笑って私を見下ろしていた。四十は過ぎているはずなのに、若く見える。三十代と言っても、通用するだろう。
父の視線で、私は気づいた。どうして、彼らが来たか。決して、祖母を見送りにきたわけじゃない!
「……わ、私、ちょっと」
さぞ、その時の私は血の気が引いていただろう。
両親の横を通り過ぎて、黒い服に身を包んだ人々に紛れるようにして、私は斎場の廊下に出た。真っすぐにお手洗いに向かおうとしたところで、腕を掴まれた。
「すみません、お嬢さん。大丈夫ですか。顔色が悪い」
弁護士の、西堂さんだった。彼はすぐに手を放して、私の表情を心配そうにうかがう。
白いハンカチで口元を抑えると、西堂さんは察したようにため息をついた。
「さっき話していたひとたちは、親御さんですね。おばあさんから、聞いてはいたのですが。きっと、葬式には来るだろうと。遺産のため、ですね」
「……ええ」
「まったく。呆れたひとたちだ。追い払っておきましょうか?」
「いえ。どうせ、しばらくは留まるつもりでしょう。遺産について、西堂さんから聞くまでは帰らないでしょう」
「……わかりました。そっとしておきますね。さすがに、あなたの家には泊まらないでしょうけど。私は本日、最後までおりますので。何かあったら、言ってくださいね」
「ありがとうございます」
心底有難くなって、私は頭を下げた。
両親を見てから冷え切った心が少し、温まった気がした。
葬式から二日後、弁護士の西堂さんは私を含めた祖母の親類を集めた。といっても、親類は少なく、私と両親だけだった。
西堂さんは、大きな声で祖母の遺言状を読み上げた。
――全財産を、養女であり、孫娘である璃子に。
空気が凍って、母が椅子を蹴って立ち上がった。
「璃子、あんた母さんに吹き込んだんでしょう! ええ、きっとそうよ! そうじゃないと、どうして実の娘の私に一銭も残さないっていうの!?」
激昂する母とは裏腹に父は冷静だった。だが、なんとなく嫌な予感がした。彼が口を開き、その嫌な予感が当たっていたことを、私は知る。
「まあまあ。そもそも、璃子は僕らの娘なんだ。ずっと離れていたけど、これからは一緒に暮らせばいい」
それは、私が継いだ遺産を使わせろという主張と、同義だった。
「……それは、そうね」
母は怒りをひっこめて、無理矢理に笑顔を作った。
「そうだわ。私たち、親子だもの。一緒に暮らしましょう。母さんが死んで、あなたも淋しいでしょう」
私の頬に、自然に涙が伝っていた。
このひとたちは、私を何だと思っているんだろう。
「さっきから聞いていれば、なんと勝手な! 史子さんから、言われていた通りだ! 璃子さんを利用するな!」
西堂さんが怒り、それと同時に父が立ち上がった。
「赤の他人のあんたが、首をつっこむな!」
騒がしい室内で、私はひとり涙を落とし続けた。
結局、西堂さんが両親を追い払ってくれた。しばらく怖いだろうから、とボディガードまで手配してくれて。ボディガードはしばしの間、私の家の周りを見張ってくれた。
最近まで、このあたりに私の両親は度々現れていたらしいけれど、ようやく諦めたのか、もう現れなくなった。
もうボディガードもお願いしなくていいし、こうやってふらふらと歩き回れる。得難い、幸せだった。
思い出せば心が冷える過去から意識を戻して、私はすっかり冷え切ったコーヒーを啜る。気がつけば、もうあの親子はいなくなっていた。代わりのように、おじいさんや学生が、席に着いている。
嘆息して、コーヒーを飲み干す。本を読むつもりだったのに、全然読めていない。これは借りて帰ろうと決めて、私は立ち上がった。
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