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◆第十一章【今宵も】 波浪◆
妖鳥が、夜空へ消えた。
それを見送った後でも、闇の中で何かが鳴いているような感覚に支配されていた。
私がまだ呆然としている中、朔馬と建辰坊は「鵺の件を終わらせる」と、社殿の裏手に向かった。私は目を覚まさない凪砂の側にいることしかできなかった。
私が見鬼であることを、建辰坊の存在を、凪砂に話していたら、今とは違う結果になっただろう。
しかし私が凪砂に話せていないことがあるように、凪砂も私に話せていないことがたくさんあるのだろう。
すべてを明け透けに話す家族なんて、多く存在するとは思えない。しかし私たちはもっと、話をするべきなのかも知れない。
「そんな気はしてたけど、飛び立ったのは建辰坊のいっていた妖鳥だった」
凪砂をベッドに寝かせると、朔馬はいった。
起きる気配のない凪砂を、朔馬は家まで背負ってくれた。
そして朔馬は、あの妖鳥は自らが目覚めるために「よくないもの」を呼び寄せていたであろうこと、鵺もその一部だったであろうことを、私に話した。
「あの妖鳥は、俺が弾き飛ばした凪砂の肢刀の軌道に乗って、日本から出たんだと思う。弱っているとはいえ神社の神域から出るのも、日本から出るのも、それなりに力が必要なはずだから利用されたんだと思う」
「日本を出て、ネノシマにいったの?」
「たぶんね。俺はあの妖鳥を、なぜか雉だと直感したんだ。ネノシマには雉に呪われた一族がいるんだけど、そこへ向かった気がするんだよ」
◆
翌朝、凪砂はのそりと起きてきた。
朔馬が昨日の事情を説明すると「とんでもなく余計なことしたな。何度目だ」と、大きくため息を吐いた。
両親は休日のシフトですでに出勤しており、家には三人しかいなかった。
「今度謝りにいこう、一緒に謝るから」
私がいうと、凪砂は「うん、一緒にきて」と力なくいった。
「ハロは、いつから妖怪が見えてたんだ?」
「中学生前後。でも建辰坊は、今年の初詣ではじめて見た」
「たしかに口外しない年齢か。俺も朔馬の家で鵺の影を見た時、なんとなく誰にも話さなかったし。妖怪が見える人って、結構いるの?」
凪砂は朔馬を見た。
「日本ではめずらしいみたいだよ。でも見える人は、だいたい生まれつきだから、二人はめずらしい例だと思う」
「俺は朔馬の部屋にいったのがきっかけなんだろ?」
「そうだと思う」
「鵺と建辰坊以外は見えないんだけど、そんなもんなの? 建辰坊は神様なんだっけ?」
「建辰坊は土地神とか、山神の類かな。鵺は本来、日本にはいない妖怪だから、目撃されやすいんだよ」
「俺は強い妖怪しか見えないってこと?」
「目が慣れてくると、色んな妖怪が見えるようになると思うよ」
「色んな妖怪かぁ。そういえばハロはなんで、妖怪が見えるんだ?」
「希少種の妖怪に目玉を舐められじゃない? 目をケガした記憶とかある?」
私と凪砂は顔を見合わせて「ないなぁ」と返答した。
「凪砂、たぶん熱あるよ」
私は血色のいい凪砂の顔を見ていった。
「全身が痛いから筋肉痛だと思ってたけど、風邪か?」
凪砂は熱を測ると「うわ、最悪。微熱がある。昼間に上がるやつだ」と絶望した。
「これは、妖術を使った反動?」
凪砂は朔馬を見つめた。
「俺も慣れないうちは身体が痛かったけど、熱は出なかったよ」
「抜刀する度に、身体が痛むわけじゃないんだ?」
「術の理解を深めると、身体への負担は減るよ。あとはバランスの問題かな。ゲームにHPとMPってあっただろ? 凪砂の場合、HPは並みだけどMPが人よりある感じかな。昨日の件はたぶん、HPを使い切った感じ」
「わかりやすい」
凪砂はそういった後で「短期間でゲームに触れさせ過ぎたな」と呟いた。
◆
「ネギは?」
リビングに入ってくるなり、毅はいった。
わざわざ確認はしないが、部活が休みで帰ってきたのだろう。
「体調が悪いから、部屋で寝てるよ」
凪砂は本人が予想した通り熱が上がり、昼食には起きて来なかった。
「ふーん、起こしてくるわ。ハロはサクのこと呼んできて。どうせ家にいんだろ?」
毅は迷いなく二階へ上がっていった。止めようかと考えたが、結局なにもいわず、朔馬を呼びに向かった。西の間をノックすると朔馬は「はい」と、かすれた声を出した。
「毅が来てるよ。朔馬のこと呼べって」
朔馬は若干眠そうな顔をしていた。彼も昨日は消耗した上に、凪砂を家まで運んでくれたので、疲れていて当然であった。
私と朔馬がリビングにいくと、毅はすでにゲームを起動させていた。
「久しぶりに、ネギにキレられたわ」
「うん。さっきもいったけど、体調悪いから」
「なに? サクも体調悪いのか? 大丈夫か?」
朔馬は「大丈夫だよ」といいながら、毅が用意した和座椅子に座った。私は二人に飲み物を用意した後で、編み物を再開した。
昨夜は闇の中に置き去りにされたような気分であったが、私の日常は変わらずに流れている。
その事実がどこか不思議で、でも安心した。
「今朝話題に出たんだけど、ハロが目をケガしたことってあるかな?」
二人はいつものように、ぽつぽつと会話をしながらゲームをしていた。
「ハロは生まれてから一度もケガしたことないぞ」
毅は低い声でいった。
「え、そうなの?」
「いや、さすがに嘘。でも大きなケガはないな」
「そっか」
「でも、目か。目なら、なんか血ィ流してたことはあった気がすんな」
「ケガしたってこと?」
「ケガではなかったな。なんだったかな。目を掻きすぎたとかだっけ? 覚えてない?」
毅は私を振り返った。
そんなこともあった気がするが、記憶が曖昧だったので私は「うん?」といった。毅は「なんだよ。どっちだよ」と正面に向き直った。
「サクは気付いてるか分かんないけど、ハロは三人以上になると普段より話さなくなる」
「いわれてみれば、そうなのかな」
「家族間ではわかんないけどな。俺はハロにうっせーよと連発していた時期があり、おそらくそれが原因だと思っている。反省はしている」
「それは、ちょっとつらいな」
「うん。ごめんね、ハロ」
私は「大丈夫」と適当に返事をしながら、目を掻いて血が出た記憶を探していた。
「目に血が付いたことはあったかも知れない。手とか、指の血かな」
「手とか指の血? なんかあった気がしないでもないな」
毅は考え込んでいるのか、興味が失せたのか、黙ってゲームを続けた。しばらくすると毅は「ちょっと待って」と、ゲームを一時停止してこちらを振り返った。
「血の掟(おきて)だろ。海外ドラマにハマってた時、その真似事しただろ」
毅の言葉に過去を思い出すと、するすると記憶が紐解かれていった。
その海外ドラマには、血の掟と称した場面が何度か登場した。自分たちもそれをやろうという流れになったが、ドラマそのままではオリジナリティがないと毅がいった。そのため私たちは、毅の家のオーディオ室に飾ってあった古びたポスターに血判を重ねることにした。
「血判っていったら親指だよな? でもなんか二人して、人差し指から血ィ出してた」
朔馬は「はは」と短く笑った。
「親指でやり直しさせた後に、ポスターに血判したんだけど、そっからハロの目から血が出てるって、ネギが騒ぎ始めたことあったわ」
私は北川家のオーディオ室と相性が悪く、そこに長時間いると目がかゆくなったり、鼻がつまったりすることがあった。私はおそらくその時も、血のついた指で目をこすったのだった。
「ハロも馬鹿だから、なんか目が痛い気がするとかいうんだよ。目に血が入ってたら、そりゃ痛いだろうとは思うんだけど。凪砂がハロはケガしてるかも知んないとかいい始めたよな」
「あったね」
凪砂は自らの血の付いた手で私の目を広げたが、もちろん傷などはなかった。しかしそのせいで、私の目の周りはさらに血だらけになったのは言うまでもない。
「その時、ハロの目に凪砂の血が入った可能性はある?」
「ハロはずっと目掻いてたし、その可能性はかなりあると思う。今思うと本当に馬鹿だな。小学生の馬鹿具合すごいわ。なんで俺、血判しようとしたんだろうな」
「でも楽しそうだけどね。何歳くらいの話?」
「えーっと、あの配信見てたのは小五くらいか? 年齢でいうと十一くらいだな」
◆
凪砂は夕飯に起きると、再び自室に戻った。
その際に、私と朔馬は今夜も建辰坊のところへいくことを告げた。凪砂は、あとで謝りにいくと告げてほしい、と申し訳なさそうにいった。
「私が見鬼になったのは、凪砂の血が目に入ったから? 微妙に時期がズレてる気がするけど」
私は目の前を通りすぎる、透き通った妖怪を見つめていった。
「時期がずれていたとしても、きっかけはそれじゃないかな。凪砂の血はそこそこ特別だから」
「ネノシマの皇族だから?」
凪砂がネノシマの皇族だというのは確証がないらしく、彼の直感のみの判断らしいが、朔馬は「うん」とあっさり肯定した。
私たちは昨日歩いた道を再び歩いていた。しかし当たり前のように、昨日とすべてが同じではなかった。気温や天気だけでなく、肌に感じる空気も違う。なにより昨日よりも、闇が深くなったように思う。
理由は上手く説明できないが、妖鳥が飛び立ったことが関係している気がした。
「朔馬は凪砂を、ネノシマに連れていくの?」
素直に疑問をぶつけると、朔馬は「どうだろう?」といった。
「上からどんな命令が来るか想像できないけど、凪砂の意志を尊重したいとは思ってるよ」
朔馬は歩みを進めながら「すごくお世話になってるしなぁ」と続けた。
「朔馬が頼めば、凪砂はきっと断らないと思う」
朔馬は「なんで?」と、こちらを見つめた。
「凪砂はたぶん、この町から出たいと思ってるから」
朔馬は目を伏せて笑った。
「俺もネノシマにいた頃は、そんなこと考えてたよ。みんな、多少はそんなこと考えて生きてるんじゃないかな」
「そうなのかな」
少なくとも私は、この町から出たいと思ったことは一度もなかった。できれば、ずっとここに居たいとさえ思っている。
一の鳥居につくと、朔馬は以前そうしたように石段の灯籠にあかりをつけた。私たちを誘うように、暗闇に石段が浮かび上がってくる。
「それって難しい呪術?」
「そうでもないけど。どうして?」
「便利そうなのに教えてもらってないから、難しいのかと思って」
「建辰坊はこの術を知らないんじゃないかな。夜目がきく者には必要がないから」
「あ、そっか」
他者がどんな風に世界を見ているのかなんて、想像もつかない。それでも想像する努力は常にするべきなのだろう。
「手、痛い?」
「そうか、この傷はハロには見えるのか。痛くないよ」
朔馬は薄く微笑んだ。
浮かび上がる石段に先に、西弥生神社が鎮座している。
私はこの町から出たいと思ったことはない。しかし毎日石段を上っていたのは、日常とは違う何かを求めていたせいかも知れない。そうだとしたら、私はなにを求めていたのだろう。
石段を上りきると、不意に海の方から風が吹いた。振り返ると夜の海が広がっている。
真っ暗な海には、今宵もぽっかりと、ないはずの島が浮かんでいる。
朔馬がやってきた、ないはずの島である。
たとえ朔馬が凪砂をどこか遠くにつれていってしまうとしても、私は彼らを憎むことも、ネノシマを恨むこともできないだろう。
「ネノシマがきれいだね」
私がいうと、朔馬も海の方を振り返った。
そうしている間に、建辰坊が夜空から降りてきた。
私がなにをしても、しなくても、この世界は進み続ける。
きっと今夜も、世界のどこかで鵺がビヨと鳴いている。
【 第一部 了 】
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