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◆第五章【双児】 波浪◆
風呂上りに朔馬の部屋に向かうと、ノックする直前に朔馬の声が聞こえた。
「凪砂とハロは本当に双子なの?」
心臓に冷や水を浴びせられたように思った。
ただ、この質問にだけは、私が答えなければならないと強く思った。
朔馬の部屋を出た後、私はすぐに自分の部屋に戻った。
ベットに倒れ込むと、いつかの毅の声がした。まだ声変わり前の、幼い毅の声である。
――捨て子のくせに
凪砂の傷ついた顔を、今も鮮明に覚えている。
◆
自分たちの出生の話を聞いたのは、小学三年生の時だった。
その日、凪砂と毅はテレビゲームに興じていた。
しばらくすると毅は、苛立った声を出した。その頃の毅はまさにガキ大将という感じで、小学校の女子には怖がられていた。私は当時の彼に、何度「うっせーよ」といわれたか分からない。とりあえず当時は、毅の苛立った声は聞き慣れていた。
その時は、毅がゲームを強制終了させたらしかった。
「いい加減にしろよ。前も同じことしただろ。その時、もうしないって約束した」
「はいはい、悪かったよ。もう一回やろうぜ」
「やらない」
「は? なんでだよ」
「お前が簡単に約束破るからだろ」
「ネチネチいうなよ。学校では俺のくっつき虫のくせに」
「なんだよそれ。俺はお前のくっつき虫じゃない」
「なにするにも俺の後くっついて来るだろ! 朝、走るのに付き合うのも、どうせ俺に逆らえないからだろ!」
「俺は嫌だと思ったことはしない! してない!」
凪砂はそういった後で「毅がそう思ってたなら、すごいムカつく。お前とはもう遊ばない」と言い放った。
その言葉を受けて、毅は乱暴に立ち上がった。
「お前はいいよな。どうせハロは、絶対にお前の味方だもんな」
そして吐き捨てるようにいったのだった。
「お前なんか、捨て子のくせに」
子どものケンカには、よくある捨て台詞だったかも知れない。しかしその言葉は、私たちの心を小さく破壊した。
毅が家を出ると、凪砂は自室にこもってしまった。私は何度か凪砂の部屋をノックしてみたが「ほっといて」と、短くいわれるだけであった。
凪砂は夕飯時もふさぎ込んでいた。夕飯を食べた後もすぐに自室に戻ってしまった。
何かあったの? と母に問われ、私は答えた。
「毅とケンカしてた。毅が凪砂のこと、捨て子っていったの」
母は「そうだったの」とだけいった。母はそれ以上なにもいわなかったが、その横顔はたしかに動揺していた。
◇
その翌日、両親は「変な噂を耳にする前に、話しておきたいことがある」と、私たちにいった。
そして母は、私たちが生まれた時の話を始めたのだった。
母は不妊治療の末に、双児を妊娠した。
出産予定日を一ヶ月後に控えた頃、母の身に異変が起きた。母は旅館で倒れ、すぐに産婦人科に運ばれた。毅の祖母の経営する、産婦人科医院である。
病院に運ばれた母は、すぐに出産する以外に選択肢はなかった。女児は生まれるとすぐに保育器に入れられた。直後男児が生まれたが、男児はどれだけ手を尽くしても産声を上げることはなかった。
母はその喪失に涙が止まらなかったと、気が狂いそうだったと、そういった。
父が母子の危機を知ったのは、母が病院に運ばれて少し経ってからだった。父は配達に出ており、伊咲屋にはいなかった。
そのため父は男児の死と、母と女児の容態を、車内で知った。父は同乗者の制止を聞かず、その場で車を降りた。父を乗せた車は伊咲屋の近くに来ていたが、連絡を受けた場所からは、走って病院へ向かった方が少しだけ速いことを父は知っていたためである。
父は泣きながら病院へと続く浜辺を走った。そしていつしか、自分の嗚咽に子どもの泣き声が混ざっていることに気がついた。最初こそ幻聴かと思ったらしいが、それは確かに父の鼓膜を揺らしていた。一刻も早く病院へいかねばという気持ちはあった。
しかし父はどうしようもなく、その泣き声に引き寄せられた。
泣き声の先には廃れた舟があった。その廃れた舟には、生後間もないと思われる男児が布に包まれていた。
父はそれほど迷うことなく、その男児を腕に抱いた。
こうして凪砂は伊咲家の子となった。両親の子となった。私の片割れとなった。
その出生の話は、完全に秘密にはならないことを両親は理解していた。近しい身内を含め、出産に関わった者や男児の火葬に関わった者などは、少なくとも双児の秘密を知っている。誰の口から秘密が漏れても仕方がないと、そう覚悟はしていたらしい。
だからこそ両親は、いつか自分たちで打ち明けなければならないと思っていたらしい。
◇
凪砂と毅は、気付くと仲直りしていた。小学生のケンカとは、そんなものである。
その後、毅が私たちの出生に言及したのは、私の前では一度だけであった。
「明日、ばあちゃんの三回忌だ。親戚と顔合わせんのだるいわ」
めずらしく毅と帰りが一緒になった時のことだった。毅は大袈裟にため息を吐いた。
「三回忌……早いね」
彼の祖母が二度目の脳梗塞で倒れたのは、私たちが小学三年生頃であった。身体の自由を奪われた彼女は、ほとんどすぐに認知症になり、その進行も早かったと聞く。
それでも彼女は毅が病室にいくと、昔のように嬉しそうに色んな話をしてくれたという。
「双子と今日はなにして遊んだって話した時にさ、本当に双子は残念だったなって、ばあちゃんがいったんだ。男児は、産声さえ上げなかったって」
毅の祖母は数えきれぬ命を、その手ですくい上げてきた。だから、どこぞの双子と勘違いしているのだろうと、毅は思っていたらしい。それでも毅は、聞き流すことができずに「双子は今も元気に生きてるぞ」と祖母にいった。すると彼女は「そうだった。奇跡みたいに、拾われてきたんだった」と答えたらしい。
「それだけのことなんだけど、なんかずっと心の中に残ってたんだ。お前はその場にいたか忘れたけど、ネギとケンカした時に、捨て子のくせにっていったことあんだよ。俺はそん時のこと、なんでか今も後悔してんの」
毅の家ではその頃、祖母のこと以外にも、兄の進路のことでゴタゴタしていたらしい。家の中は居心地が悪かった、と毅はいった。家の不具合は、子どもにとっては大事件である。
「元々こんな性格だし、家族に気ィ使ってる自分が他のヤツらよりもえらいって思い込んでた気がする。お前らのことも、俺の所有物みたいに思ってた」
それから毅は「今も少し、そう思ってるけど」と続けたので、私は「なにそれ」と短く笑った。
その日以降、私たちの出生の話は、誰からも聞いていない。毅が私たちのことを、どう認識しているのかは、私には分からない。
毅も、毅の祖母も悪くない。誰も悪くない。
ただ目の前の真実が悲しい。凪砂が捨て子だと知ってからも、私たちは何も変わらなかった。
しかし気付いた時には、私たちの間には小さくて深い溝ができていた。
それでも私たちは、今も昔も仲のいい姉弟のままである。
だからこそ、何が問題だったのか、分からないで日々を過ごしている。
朔馬がうちに住むようになってから、凪砂は雰囲気が柔らかくなったように思う。
朔馬に初めて会った時、人間ではないと思ったが、今はその印象はだいぶ薄れた。しかし「普通ではない」という感覚は微かに残っている。
腕のケガも、私たちの出生に関する言及も、彼の正体に関係しているのかも知れない。
聞けば朔馬は答えてくれるかも知れない。しかし結局なにもいえないでいる。
◆
「お前は見鬼(けんき)というだけではなく、呪術の才があるのだろうな」
呪術を発動させると、建辰坊はいった。
「普通の人はできないの?」
「神職者は、やってやれぬことはないだろう。しかし俺みたいなのが人に呪術を教えることは、ほとんどない。知らぬことはできぬだろう」
知らないことはできない。当たり前であるが「それもそうだな」と納得した。
「どうして私には、色々教えてくれるの? 鵺が危険だから?」
建辰坊は沈黙の後で「ついて来い」と、いつぞやのように私の両脇を抱えてふわりと空を飛んだ。そして私を、高い木の枝に置いた。
「隣の木を見ろ。お前には見えるだろう?」
そこには、鳥を模した石があった。
「石になった妖鳥(ようちょう)だ。石になって久しいが、数年前からコイツが目を覚ますようになった。それ以降、この辺に異変が起きるようになった。鵺がこの辺に集まったのも、そのせいだろう。鵺以外にも、危険が潜んでいる可能性がある」
私は浅く頷いた。
「俺の力もずいぶん衰えた。だから教えられるものは、教えておきたい。知識はきっと、お前の力になる」
建辰坊は再び私を抱え、地上におりた。
「そういえば、鵺は? もう放した?」
「放してない。今も裏手に捕獲してある。少し増えたがな。なにかあったか?」
昨夜はそこまで考えるに至らなかったが「朔馬は、鵺に襲われたのではないか?」と昼間にぼんやり考えていた。
「友だちがケガをしたの。鵺は見鬼以外を襲うことはある?」
「ほとんどない」
朔馬に鵺のことを聞いてもいいのだろうか? しかしそれを口にしてしまったら、後戻りができない予感があった。
――毅が凪砂のこと捨て子っていったの
あの時、私が口を閉ざしていたら、今とは違った未来があったかも知れない。そんな馬鹿みたいなことを、今も考え続けている。
だから私は今日も口を閉ざしている。
私は西弥生神社から帰る際、コンビニでゼリーや食べやすそうな物を買って帰った。
朔馬は本日、学校を休んでいる。今朝様子を見た限りでは、熱もあるようで、ひどく苦しそうだった。
あの質問の後だと少し気まずさがあったが、私は朔馬の部屋をノックした。
待てども返事はなかったので、私は「開けますよ」と部屋に入った。
朔馬は布団の上で、苦しそうに呼吸をしていた。顔は赤く、今も熱は下がっていないようである。枕元には、凪砂のノートパソコンが置いてあった。おそらく動画が観られるようにと置いていったのだろう。
私がその場に佇んでいると、朔馬が薄く目を開いた。
「ハロ、ごめん」
朔馬はかすれた声でいった。朔馬は上半身を起こそうとしたが、私はそれを制止した。
「ごめん。あんな質問」
朔馬はうなされるようにいった。
私は朔馬に謝って欲しかったんだろうか?
そもそも朔馬は悪いことをしたのだろうか?
結局、誰も悪くないままだった。
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