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◆第六章【来訪者】 凪砂◆
鵺に襲われた翌日、朔馬は学校を休んだ。
朔馬が家に住むようになってからは、毎日一緒に登校していたので、どこかさみしい通学路であった。僕が想像する以上に、朔馬は生活の一部になっていることに気づかされる。
僕は電車のドアに寄りかかり、朔馬から預かった小さな巾着(きんちゃく)を見つめた。一見するとただのお守りのように見えるが、中には石が入っている。
「俺が回復するまで、これを持っていて欲しいんだ」
今朝、家を出る際に朔馬はいった。
「いいけど、なにこれ?」
朔馬が寝込んでいるのも、朔馬が住む場所を追われたのも、すべて僕のせいであり、朔馬の「お願い」を断る選択肢は僕に存在しなかった。
「えっと、これは……連絡用の石で、俺は今こんなだから……」
朔馬は体調不良のせいもあり、言葉をつまらせた。おそらくなにか事情がある代物なのだろうと、僕は勝手に結論付けた。
「説明は帰ってから聞くよ。とりあえず俺は、これを持ってればいいんだな」
朔馬は「うん」と力なくいった。
「万が一、巾着から声が聞こえたら……俺は療養中だって伝えて欲しい」
「え、声? この巾着から?」
「うん」
もう少し質問したかったが、家を出る時間が迫っていた。僕は「とにかく安静に」といって、家を出た。
しかし家を出た後で、僕も学校を休んでもよかったかも知れないと思った。何ができるでもないが、一人にしなければよかった。朔馬に聞きたいことはたくさんあるが、そんなことは抜きにしても、側に居るべきだったかも知れない。
「おい!」
「うわっ!」
預かった巾着から声がしたのは、帰りの電車の中であった。僕は果てしなくぼんやりしていたので、ひどく驚いた。
「おい! 聞こえるか?」
その声は、おそらく女の子の声であった。
「おい、聞こえぬのか? 返事をしろ!」
声の主は苛立った声を出した。
その声はなかなか大きかったが、電車内の人には聞こえていないようであった。
「朔馬は療養中」
電車内ということもあり、僕はスマホと巾着を口元に持っていき、短くいった。
「療養中? お前は誰だ?」
名乗ろうかと思ったが、声の主が求めている答えではないだろう。そんなことを考えている間にも「おい! 聞こえぬのか!?」という声が、絶え間なく聞こえてきた。僕は不本意ながら、次の駅で電車を降りることにした。
「朔馬から、この巾着を預かった者だ。朔馬は療養中だと伝えてくれと、それだけ頼まれた」
電車から降り、ホームある日に焼けたベンチに座った。次の電車は二十分後である。
「お前は、朔馬のなんなのだ?」
「ただの友人だよ」
「友人? 朔馬に友人などいるか。お前は誰だ」
「は!? お前こそなんなんだよ?」
この質問は本来、朔馬にするべきなのだろう。しかしあまりに無礼な彼女の態度に、僕はひどく面食らっていた。
「お前にいう必要はない」
「なんなんだよ。とにかく朔馬は療養中だ」
「朔馬が療養しているのは、本当なのだな?」
「本当だよ」
「ならば私は今夜、そちらに向かう」
それを最後に、巾着から聞こえていた声は唐突に途切れた。
◆
朔馬の部屋に入ると、彼はうっすらと目を開けた。
「具合はどう?」
「だいぶいいよ。さっき、ハロが来てくれた気がする」
朔馬の声は朝よりもかすれていた。
「ソファーで眠ってたな。眠る前に様子を見にきたのかも。あ、これはハロからの差し入れかな」
僕は開けてないペットボトルや、飲めるゼリーらを見つめた。
朔馬は熱があるらしく、赤い顔をしている。鵺に噛まれた時の有効な薬はないらしく、とにかくおとなしく眠っている以外ないということである。
「お昼は? 食べられた?」
「うん」
「そういえば、巾着から声が聞こえたよ」
「え、本当に?」
朔馬はそういって上半身を起こした。
「寝てていいよ」
朔馬は短く咳をして「大丈夫」と、ペットボトルを口にした。
「それより、本当に声がしたの? 二ヶ月近く音沙汰なしだったから、使えないのかと思ってた」
「女の子の声がした。あれって、誰なんだ? いや、それ以前に色々聞きたいことはあるんだけど」
朔馬は「うん」と姿勢を正した。
僕は座布団に座り、なにから質問したものかと考えた。
「二度手間になるし、ハロも同席した方がいい? それとも、鵺の件はハロには内緒の方がいい?」
「ハロにも全部話すつもりだよ。でも寝てるなら、起こさなくて大丈夫。後で俺から話すよ。それに、二度手間なんて思わないよ」
朔馬は波浪が買ってきたであろう飲み物たちを見つめた。
「まず鵺のことを聞きたい。いや、朔馬のことかな? とりあえず、その辺」
「鵺は妖怪の一種だよ。俺の国では、害妖の分類」
「え、ガイヨウってなに?」
「人間にとって有害な妖怪のことだよ。日本でも有害な生物は、害鳥とか害獣っていうだろ?」
「あぁ、なるほど。ところで、朔馬はどこから来たんだ? 海外には妖怪がいるってこと?」
「俺は、あそこから来た」
朔馬は西の間から見えるネノシマを指した。
僕は「ネノシマ?」と呟いた。
「見える?」
「見えるよ」
ないはずの島が見えること、それはネノシマと呼ばれていること、ネノシマには妖怪や神様が住んでいるといわれていること、この土地にはそんな逸話があることを朔馬に伝えた。
僕は子どもの頃からずっとネノシマが見えていた。そのせいか、ネノシマが存在しないという方が信じられなかった。
「名前まで知られてるとは思わなかったな。それらの逸話はほぼ事実だよ。ネノシマは存在するし、そこには神様も、妖怪も、日本より多く住んでるよ。人間もそれなりに住んでるけど」
「朔馬は人間だよな? 十五歳の人間?」
「うん、十五歳の人間」
「だよな。ネノシマって、どんなところ?」
僕の漠然とした質問に、朔馬は「うーん」と唸った。
「地域差があるから一概にはいえないけど、文明的には日本の明治時代から昭和初期くらいかな」
「地域差が出るほど広いのか? それほど大きく見えないけど」
「ネノシマは鎖国中なんだけど、出島みたいな場所があるんだ。日本から見えるのはその部分かな」
「出島か」
急に聞き馴染みのある用語が出てきたので気が抜けた。
それから朔馬は、なぜ日本に来たのかを話してくれた。
数か月前、ネノシマから数匹の鵺が日本へ渡ってしまったらしい。その連絡を受けて、朔馬は鵺退治を命じられた。その際に「鎖国中のネノシマから、なぜ鵺が出ることができたのかを探れ」との命令も受けたらしい。
どういう方法でそれを探るのかはわからない。しかし昨晩、朔馬が倒れた鵺に触れていたのはそのせいなのだろう。
「色々調べたくて、寮のベランダに弱った鵺を捕獲してたんだ」
鵺や妖怪たちは日が暮れると活動が活発になるらしい。僕の急な体調不良は、鵺の瘴気に当てられたせいかも知れないと朔馬はいった。
「今まで妖怪なんて見たことなかったけど」
「俺の部屋には色んな仕掛けがあったから、それが原因で鵺が見えたのかも知れない。それに凪砂には、素質があったんだと思うよ」
「素質? ネノシマが見えるから?」
朔馬は「それもあるけど」と、言葉を濁した。
そして改めて、昨日の質問を僕に謝罪した。その質問を波浪に聞かれてしまったことに関しても、ひどく自分を責めているようだった。
「元はといえば俺の質問のせいだし、俺もハロも親から聞いてたから、大丈夫だよ。でも一応、他言はしないでほしい」
朔馬はしばし沈黙し、何かを考えるようだった。
「日本の者には口外しない。でも、ネノシマの者には報告義務がある。上層部だけだろうけど」
「俺がネノシマの人間かも知れないとか、そういう理由?」
「そう。凪砂はたぶん皇族だと思う」
「皇族は予想外過ぎるな。でもそうだとしたら、皇族の扱い雑だな。たぶん、流れついたってことだろ?」
「そうなるのかな」
朔馬は日本に跳ぶ際に、日本にいるかも知れない皇族を探せとの命令も受けていたらしい。理由を聞こうにも「いるかも知れないから探せ」と、いわれるだけであったという。
「なんで俺を皇族だと思ったんだ?」
「直感」
「直感か。そういうレベルの話なのか?」
「俺はちょっと呪われてるせいで、自分の直感をあんまり疑えないんだ」
「ちょっと呪われてるのか。朔馬も大変だな」
朔馬は他人事のように「はは」と短く笑った。
「いつ直感が働いたんだ?」
「職員室で顔を合わせた時。だから双子だって聞いた時は、ちょっと驚いた」
双子だと聞いてなお、朔馬にとって自分の直感を疑うことは難しかったらしい。
そして双子の姉である波浪を見た時、違和感を覚えたとのことだった。
「似てないから?」
「いや、顔とかじゃなくて。やっぱり、直感かな」
深く言及したい事項ではなかったので、僕は「そういうものなのか」と納得した。
「そういえば、うちに挨拶に来た朔馬の保護者は? 何者?」
「ネノシマに出島みたいな場所があるように、日本にも同じような場所があるんだ。そこだけは、ネノシマと親交みたいなものがまだ残ってるらしい。その名も出嶋(でじま)神社というんだけど、そこの宮司さんが俺の保護者ってことになってる。戸籍とか色々なことも、その人がやってくれた」
「すごいな、その人」
「ちなみに俺が鵺退治に日本に来たきっかけは、出嶋神社からネノシマへの苦情なんだ」
「苦情? 鵺が渡ってきたから、どうにかしろって?」
「そう。詳しくはわからないけど、日本の神社には独自の通信手段があって、情報を共有してるみたいだよ。この辺に鵺が流れ着いたらしいって、そういわれてここに来たんだ」
「なるほど。その宮司さんは肢刀だっけ? そういうの、朔馬みたいに出せないの?」
「妖怪は見えるみたいだけど、肢刀は出せないと思うよ。ネノシマにおいても、肢刀を出せるのはごく一部だよ」
「なんで俺なら肢刀を出せると思ったんだ?」
「抜刀するには血統が物をいう部分も多いから、皇族なら十中八九できる、はず」
「へぇ……」
朔馬があの夜そうしたように、僕は両人差し指の第一関節を擦ってみた。しかし、なにが起きるでもなかった。
「ある程度の知識と体力が必要だけど」
「そうだよな。あ、そういえば巾着の件だけど、今夜来るっていってた」
「え、誰? 誰が来るんだ?」
「いや、知らないけど。女の子の声だった。朔馬は療養中って伝えたんだけど、あんまり響いてなかった気がする」
「女の子か。光凛(こうりん)かな」
朔馬はいった。
僕が預かった巾着の中には、ありがたい石が入っており、その石は連絡手段の一つとして、日本に来る際に朔馬が持たされたものであった。
「ネノシマは鎖国中だから、連絡手段も面倒なんだと思う。だからその石は、俺が穢れを受けた今は、持たない方がいいと思って凪砂に預けたんだ」
「穢れか」
僕は暗澹とした気持ちで巾着を見つめた。
「あと二、三日もすれば、毒は体内から抜けるよ」
朔馬は僕の意を察してか、力なく微笑んだ。
「だからもし本当に光凛が来たら、俺は鵺に噛まれて療養中だから、三日は待てと伝えて欲しい」
了承すると、朔馬は安堵したように「ありがとう」といった。
◇
朔馬は夕飯には顔を出さなかった。
今日の夕飯は不要であると、朔馬はだいぶ前に連絡していたらしい。夕飯が食べられないほど体調が悪いと思っていなかったので、帰宅後に朔馬の部屋に長く居座ったことを小さく後悔した。
夕飯を済ませると、僕は早々に部屋に戻った。
最近では朔馬が夕食後もリビングにいるので、僕も自然とリビングにいる時間は長くなっている。
小学生の頃は座卓で宿題をこなしていたが、中学生になると自室で勉強する時間が増えた。単純にその方が捗るからである。波浪は今も座卓で課題をこなし、家にいるほとんどの時間をリビングで過ごしている。
波浪がソファーにいると、僕はなんとなく安心する。
自室で勉強していると、机の上に置いていた巾着から「おい!」という声がした。昼間も感じたことであるが、少なからず敵意が感じられる。
僕は「はい」と、そっけなく返事をした。
毅が僕を「短気」と揶揄する所以は、こういう部分だろう。僕は敵意を向ける人間に、敵意で応えることがある。つまりは子どもなのである。
「またお前か。朔馬はどうした?」
「今も療養中だよ」
僕がいうと巾着がもぞもぞと動き出した。さすがに驚いたので、僕は椅子ごと後退した。
空間がゆらりと動いたかと思うと、巫女の姿をした短髪の女の子が机の上に現れた。
僕は「えぇ……」と小さく声を出した。
彼女は机の上で仁王立ちしたまま、勝気な瞳で辺りを見渡した。
「朔馬は?」
「療養中だよ。君は光凛か?」
彼女は品定めをするように僕を見つめた後で「いかにも」と頷いた。
僕は朔馬の伝言を、彼女に伝えた。光凛には机から下りてもらったが、なおも仁王立ちのままであった。
「そうか。悪い判断ではないな。しかし朔馬が鵺に噛まれるとはな」
「とりあえず出直したら? 朔馬が回復しないことには、話しにならないんだろ?」
光凛は何かに気付いたように、じっと自分の手のひらを見つめた。僕もつられて彼女の手を見つめると、それは透けているように見えた。
「え、大丈夫か?」
「私は朔馬と違い、出国を許されたわけではないからな。この姿は長く保てない」
光凛はそういうと煙のように消えた。
と思ったら、足元に灰色のはちわれ猫がいた。
「猫!」
「この姿なら、数時間は日本に滞在できる」
「光凛だよな? 今が本当の姿なのか? 俺は軽い猫アレルギーなんだけど」
「これは姿は仮の姿だ。朔馬に渡していたのはハチワレ石の片方で、私はその石を依代にしている。ハチワレ石は猫と関わりが深い」
だからこの姿の方が動きやすい、と光凛はいった。
「鎖国とは聞いていたけど、大変だな」
「待て。お前、人間か?」
光凛はスンスンと鼻を鳴らした。
「人間だよ。光凛は人間じゃないのか?」
「私は人間だ。先ほどの姿が、本来の姿だ。しかし、そうか、人間か」
「なんだと思ってたんだ?」
「朔馬の使役した、日本の妖怪だと思っていた」
妖怪が目視できると、こういう弊害もあるらしい。そう思うと同時に、朔馬が動物園で「見える?」と僕らを振り返っていたことを思い出した。
「なぜ人間のお前が、朔馬からハチワレ石を預かっている?」
「朔馬が療養中だからだろ?」
「そうではない。ハチワレ石は大切なものだ。それをなぜお前が持たされているのかが、理解できない」
「自分が対応できない時は、誰かに頼るしかないだろ」
僕の回答に納得できなかったらしく、光凛は黙って僕を見つめた。
「出嶋神社の関係者か? まぁいい。お前、妖術は使えるのか?」
光凛は自らの気持ちを切り替えるようにいった。
「妖術? 肢刀を出すとか、そういうことは一切できないよ。素質があるとはいわれたけど、よくわからない」
「ならば朔馬が本調子でない今、妖術書でも読んでいろ。扱えないとて、今よりは朔馬の役に立つだろう」
光凛は後ろ脚で自らの耳を掻いた。すると和綴じの本がぽこんと現れた。
「なにこれ?」
「妖術書だ。読んでおけ。念のため、ここから持ち出すなよ」
光凛は「また来る」と言い残し、猫の姿のままゆらりと姿を消した。
彼女が姿を消しても、妖術書は僕の部屋に残ったままだった。
僕はきっと知りたかった。
この家の子ではないと知った時から、ずっと知りたかった。
自分はどこから来たのかを、知りたかった。
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