◆第七章 【使者】 波浪◆

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◆第七章 【使者】 波浪◆

――ハロ、ごめん ――ごめん、あんな質問  夕飯後、リビングで課題をこなしていると、朔馬がのそりと起きてきた。時間はすでに二十三時を過ぎていた。 「ゼリーをいただこうと思って」  朔馬はそういって冷蔵庫を開けた。 「あ、スイカだ」 「そういえばお父さんが、スイカ切ったぞって、いってた気がする」  私と朔馬はスイカを食べることにした。  その際に彼は、昨夜の質問を私に謝罪した。私は謝罪ならすでに聞いたこと、私たちはその事実をずいぶん前から知っていたことを告げた。 「似てないから?」  朔馬は「んー?」と、スイカを口にしたまま首を傾げた。 「似てないと思ったことはない、かなぁ」  それから朔馬はぽつぽつと、自分が鵺退治のためにネノシマから来たこと、凪砂がネノシマの皇族かも知れないことを話してくれた。 「朔馬の体調不良は、鵺に襲われたせい?」  朔馬は「うん」と頷いた。 「凪砂にも同じ話をしたんだけど、驚かないね」 「ネノシマは昔から見えていたし、最近鵺を見たから」 「え、襲われなかった?」 「うん。鵺は眠ってたから」  私はそれほど迷わず、建辰坊と鵺の話をした。 「天狗ってことは、土地神かな。ハロは昔から妖怪とか見えてたの?」 「昔からではないよ。三年前くらい。建辰坊と話すようになったのは半年くらい前かな」  朔馬は「昔からではないのか」と、何かを思考するように呟いた。 「凪砂は、私が見鬼だってことは知らないと思う」 「え、そうなの?」 「うん。親も知らないと思う。毅にはいったことあるけど、覚えてないと思う」  朔馬は「そういうこともあるのか」と感心したようだった。 「そういうことって?」 「家族は知らなくても、他の人が知ってるってこともあるんだなと思って」 「少なからずあるんじゃない? ネノシマでは違うの?」  朔馬は「どうなんだろう」と首を傾げた。 ◆  翌日、いつものように西弥生神社に向かった。 「おそらくそいつは、ネノシマの桂馬なんだろうな」 「ケイマじゃなくて、朔馬だよ」 「桂馬は役職名だ」 「役職名? 朔馬はえらい人ってこと?」 「えらいかは知らぬが、実力者であることは間違いない。十五で桂馬になったのなら、血の滲む努力をしたのだろう」  建辰坊の言葉はなぜか、私の胸にすとんと落ちてきた。  具体的になにかを感じていたわけではない。しかし朔馬がそういう場所で生きてきたというのは、どうしてか納得できるものであった。  朔馬と暮らしてから、不快だと思ったことは特にない。しかし、不可解だと思ったことは何度かあった。  それは単純に「育った環境の違い」といえば、それだけなのかも知れない。しかしそれだけでは片付けられない、決定的な違いがあるような気がしていた。  朔馬に、いつから毎朝走っているのかを聞いたことがあった。彼は「七歳くらい?」と曖昧に答えた。 「ずっと惰性で走ってる。走るのが楽しいとか、そういうことを考えたことはなかったかな」  私は少なからず走るのが好きなので、朔馬の回答に小さな衝撃を受けた。  しかし朔馬が「桂馬」という役職を持つ者だと知った今、彼の言葉が理解できなかった理由を納得するに至る。  朔馬は将来を模索している私たちとは違い、すでに進むべき道が見えている人間なのだった。すでに何らかの成果を上げ、それを周囲に認められた人間なのだろう。ネノシマで生まれ育ったというだけでなく、朔馬と私たちは、そういう部分でも違いがあるらしい。  見ている景色が違っても、然るべきなのだった。 「朔馬がネノシマで生まれ育った人で、すごい人だとしても、同じ家に住んでるだけで、なんとなく家族に近い存在に思えるから、変な感じがする。たまに子どもっぽいことして満足してるし、いつも製氷機の音にびっくりするし」 「同じ家で生活を共にするとは、そういうことだろう。楽しくやれているなら、なによりだ」 「そういえば、可能なら近いうちに建辰坊に会いたいっていってたよ」 「そうか。別に、断る理由はない」 「じゃあ朔馬が元気になったら、一緒に来るね」  建辰坊は「わかった」といった後で、少し黙った。 「待てよ? その桂馬は、お前とここに来るのだな?」 「今のところ、私はそのつもり」 「それなら夜だな。夜がいい」  建辰坊にしてはめずらしい要望だったが、私は了承した。 ◇  家に帰るとリビングには誰もいなかったが、二人とも帰宅しているようだった。  私は家着になると、リビングに戻り編み物に手を伸ばした。編み物をしていると心の中がしんとする。なにかを頭の隅で考えつつ、それでも無心になれる。  どうしてか私は、自分はリビングにいるべきなのだと思い込んでいる。なぜそんな思考に至ったのかは、忘れてしまった。しかしそう思い始めたのは、おそらく凪砂が捨て子だと知ってからである。  凪砂が捨て子だと理解したつもりでも、私はまだ何かを飲み込めていないまま、いつも現実から少し目を逸らしている。  自分の芯がぐらついているように思うのは、そのせいだろう。そしてそれは、凪砂も同じなのかも知れない。私たちの間に、溝ができてしまった原因もそこに問題があるのかも知れない。しかし見るべき現実がどこにあるのか、私にはもうわからないのかも知れない。  ここ数日、そんなことを考えていた。  朔馬も凪砂も夕飯を食べ終えると、早々に自室へと戻っていった。  朔馬は学校にはいったものの、まだ本調子でないらしく、夕飯前も自室で眠っていたようだった。凪砂はいい点を取りたいテストが近いのか、勉強に集中したいらしかった。  夕飯時に建辰坊の話をしてもよかったように思うが、結局なにも話さなかった。  私は凪砂に、自分が見鬼であることをいいたくないのだろうか? そんなことを考えながら、私はスマホで朔馬に連絡を入れた。するとすぐに廊下から、軽い足音が近づいてきた。 「どうしたの?」  私はソファーに寝転んだまま朔馬にいった。 「今日、わざわざ確認してくれたのかと思って」 「わざわざというか、ほとんど毎日遊びにいってるから」 「あ、そうなんだ。毎日か」  朔馬は私の言葉を反芻した。 「近いし、最近は呪術を教わるのが楽しいから」  私はなぜか言い訳するようにつけ加えた。 「呪術? 土地神がハロに、呪術を教えてくれるの?」 「え、うん。それって、なにか変なことなの?」 「いや、変なことではないけど。かなりめずらしいことだと思う。どうして呪術なんだろう」  朔馬は呟くようにいった。  土地神である建辰坊はおそらく、神術・妖術・呪術を扱えるはずだと、朔馬はいった。 「呪術は微々たるものだけど自然の力を消費するから、あまり人間には教えない気がするけどな」 ――知識はきっと、お前の力になる  少なくとも建辰坊に悪意があるとは思えなかった。なにより、もらった言葉を疑いたくはなかった。 「呪術の方が教えやすいとか?」 「その可能性はあるかも」  適当な憶測を、朔馬はあっさりと肯定した。 「そうなんだ?」 「呪術を教えてもらって、何か変わったことはあった?」 「睡眠時間が増えたくらいかな。少し疲れるから」 「ハロを消耗させてまで、呪術を教えたい理由でもあるのかな」 「建辰坊は私が疲れてることは知らないと思う。建辰坊が思う以上に、私に体力がないとか?」  朔馬は「本当にそう思ってる?」という目で私を見た。私が毎朝走っていることを知っているので、当然の反応である。  私が無言でいると、朔馬は鵺に噛まれた傷痕を見つめた。その傷は両親には見えないらしく、言及されることはなかった。 「明日、いや明後日かな。建辰坊に会いにいってみようかな」  私は浅く頷いた。  少し後悔していた。朔馬と建辰坊を会わせるとはどういうことなのかを、もっと考えるべきだったのかも知れない。しかし私が考えたところで、答えが得られるでもなかった。 「朔馬と建辰坊は戦ったりする?」 「え、戦わないよ。向こうが好戦的なの?」 「そんなことはないよ。朔馬が会いに来ることは、快諾してくれたし」 「それならよかった。人間は神様に危害を加えたり、万が一にも殺してしまったら、例外なく祟られるよ。だからというわけじゃないけど、神様と戦ったりしない」  私は「そう」と小さく安堵の息を吐いた。 「土地神は人間が好きだろ? きっとハロと知り合えて、向こうは喜んでるんじゃないかな」 「そうだといいな」  朔馬は「呪術を教えてくれるくらいだし、すごく喜んでるよ」と微笑んだ。  建辰坊も朔馬も、まっすぐな言葉を投げてくれる。時々驚くほど無垢だなと思う。  育った環境や過ごした時間が違っても、近しい存在に思える。  しかし私は、両者のなにを知るでもないのかも知れない。そしてそれは、家族も同じなのかも知れなかった。  
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