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階段を駆け上がり、ゆゆはにずいっと近づく。ハーフアップがふんわりと揺れ、荻原は苦笑いを浮かべた。
海李子はぱっつん前髪の顔色ひとつ変えず、持っていたタブレットのP D Fを開く。中には円グラフが保存されており、「荻原ゆゆは」と、表示されたグラフを拡大した。
「荻原さん。このグラフを見て下さい。荻原さんが会社にいる8時間のうち、仕事をしている時間は青、遊んでいる時間は赤、休憩時間は黄色に色分けしています」
「なに、いきなりプレゼン? こわっ、てか、監視してんの?」
紫崎は、引くわー、と言いながら興味本位でタブレットを覗き込む。
「監視ではありません。先輩として、後輩の時間配分を検証しています」
青5時間、赤2時間、黄色が1時間。
海李子は切りそろえたすっぴん爪でグラフの説明を始める。
「仕事に従事すべき時間は、休み時間の黄色の1時間を除き、7時間です。間で休憩をしたとしても、2時間は遊びすぎです。次に紫崎くんですがーーー
「俺のはいい」
タブレットを覆うように紫崎は手でタブレットを押しやった。
「紫崎くん。事実を知らないと改善できません」
「……改善しなくてもいいっつーの。大体、仕事は金儲けのためであって、勤務時間にどれだけ仕事をしたとか、結果とかどうでもいい。言われたことを、するだけ」
「それは会社の社訓に反します」
海李子は微動もせず、淡々と言う。
「社訓を覚えてるのは、ミーコだけだと思うなぁ」
静観していた深沢は穏やかな顔で、紫崎に加勢する。
育ちがいいのか、セリフのわりに角はない。いわゆる草食系で、柔和な雰囲気は優雅ささえある。彼は荒波をなだめるのが得意だ。いつも揉めているところにふらっと現れて、間を取り持ち、なんとなく平穏無事になり、いい方向に向かう。
紫崎沼が社内の噂を荒らし、深沢がそれを片付けていく。
この構図はもう一連の流れとして出来上がっていた。彼も海李子や紫崎と同じく、同期入社だ。
「仕事はバランスだよ。どっちに傾いても、うまくいかないからね。ほら、紫崎も、荻原さんも、仕事に戻ろう。さっき課長が運動不足の解消に階段を使うって言ってたから、そろそろ撤退した方がいい」
「課長……、怒られると嫌なので、あたしは退散しますっ」
ゆゆははサッと身を翻し、式場のパンフレットが置いてある9階の扉を開けた。
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