電車のしっぽ

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ガタンゴトン、ガタンゴトン 「来た」 物干し台に上がると電車が見える。 隣家の壁と壁の間、わずか20センチの隙間から。 私はそれが見たくて、洗濯物を干し終えてもしばらくそこから動かない。 チャンスはわずか20センチ。 少し目を離すと電車が去っていく音が残るだけ。 私はそこから見えたそれを 「電車のしっぽ」と呼んでいる。 今日はしっぽをとらえた。 今日はしっぽがすり抜けてしまった。 そんな独り言を繰り返して25年経った。 家人は私が電車のしっぽに一喜一憂していることを知らない。 だって誰もこの物干し台には上がってこないから。 風に飛ばされたタオルの行方も、 乾いていたシャツを雨に濡らす無情さも、 降水確率40%の曖昧さも、 知っているのは私だけ。 だって誰もこの物干し台には上がってこないから。 私が電車のしっぽにこだわる理由 その1、あの電車に乗って、ここから飛び出せるような気がするから。 その2、あの電車に乗っている誰かが、私を見つけてくれるような気がするから。 その3、いつか家人が「何してるの?」 って聞いてくれるような気がするから。 濡れた洗濯物はとても重い。 朝の重い気持ちの代弁者。 少しでも軽くなって欲しい。 家人の洗濯が乾いて軽くなるのが嬉しい。 私は毎日物干し台に上がる。 私だけの20センチ。 いつか電車のしっぽが、私をどこかへ連れ出してくれる日が来ても、洗濯物が乾く時間には私を送り届けて欲しい。
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